青天の霹靂




豪炎寺は久遠監督に休みを貰って来た。理由は特に聞かれなかった様で、随分信頼されているのだなと思う。

「鬼道、まずどこまで変わっているんだ?」

「どこまでとは?」

「見た目だけでなく、中身まで変わっているのか?」

「ああ、多分パーツが入れ替わったとかではなく、染色体レベルで変わっているという感じだ。現に声まで高くなっているだろう?」

「そうだな」

豪炎寺は現状を把握するために、かなり詳細に質問してきた。痛みや体調の変化はないのか、何か寝る前に予兆はなかったか。
一通り聞いたあと、困った様に軽く息を吐く。

「原因も見当がつかないし、やはり病院等専門の機関で検査を受けるべきだと思う」

「そうか……」

当たり前の結論だ。中学生がたった2人で何を出来る訳でもない。

やはり、きちんと身体を隅々まで調べる必要があるだろう。けれど、正直少し怖かった。検査を受けて女と証明されたら、もう元に戻れない気がする。

「取り敢えず、何日か様子を見たらどうだ?突然なったんだ、突然戻る可能性もあると思う」

「ああ、そうだな」

その可能性は確かにある。だが、同じだけ一生戻らない可能性もあるのだ。



死ぬまでこのまま。



ゾクリと悪寒がした。女がだめだとか、嫌な訳じゃない。けれど、今まで積み重ねてきた物が全て崩れてしまう恐怖に否応なしに身体が竦んでしまう。

男だから、今の自分があるのだ。

「もし戻れなかったら、俺はどうなるんだろうな」

部屋の白い壁を見つめながら、最悪の場合を想定して口にする。
豪炎寺に話す、というよりは独り言に近くなった。

「跡を継げないのだから鬼道の家からは出るしかないな。あんなに色々して貰ったのに」

「鬼道?」

そうだ、もう鬼道の名で居られないかもしれない。

「日本代表も去る事になるだろう。中途半端で心苦しいが」

「やめろ、鬼道」

サッカーも失うかもしれない。

「皆とも、もう今まで通りではいられない……」

「そんな事を言うな!」

友人まで失うだろうか?

ネガティブな事ばかり思っていると強い制止と共に、グンと引き寄せられる。豪炎寺に痛い程力を込めて抱き締められても、今度は言葉は止まらなかった。

「皆、俺を奇異の目で見るだろう。気持ち悪いと。確かに自分でもそう思う」

「そんな筈ないだろう!気持ち悪いなんて…っ」

「お前だって言っていた。突然女になるなんて"医学的に有り得ない"のだろう?」

当て付けるような発言に、豪炎寺が苦しそうに眉根を寄せる。こんな、自棄になっても良い事なんてないと分かっているのに、言葉が止められない。

「もしかしたら研究とかされるかもな。モルモットみたいに」

「もう、黙ってくれ…」

豪炎寺の懇願する声が、小さく擦れていて痛々しい。お前がなった訳でもないだろうに、と少し可笑しくなる。

「身体中調べられて」

「鬼道!」

「きっとニュースにもなっ…、…っ!?」

突然、言葉が言えない様に口を塞がれた。




豪炎寺に、キス…されている?




押しあてられた唇は強く、けれど少し震えていた。一瞬驚いたものの、目を閉じて黙って受け入れる。暫くするとゆっくり唇が離された。

豪炎寺を見れば、今まで見た事もない程顔を赤くして、口元を押え視線を逸らしている。

「………鬼道、その…すまない…」

「別に構わない」

キスをされたというのに、心はやけに冷えていた。やはり、と思う。
親友の豪炎寺ですら、女になった途端にこうなのだ。きっと今までの交友関係は全て壊れてしまうだろう。

「鬼道、俺は…その……」

「別にいい、気にしていないから手を放してくれ」

思春期真っ盛りの中学生が、元は男だといっても女と身体を密着させていたのだ。キスのひとつくらい、したくもなるだろう。

「本当にすまない。けれど誤解しないでくれ」

「誤解?何をだ」

一呼吸置くと、迷いを吹っ切る様に豪炎寺が視線を合わせてきた。

「こんな時に言うのも何だが、鬼道が……お前の事が好きなんだ。だからいい加減な気持ちでした訳じゃない」


好きだからキスした?


そんな筈はない。今まで好きだなんて素振りは少しも見せていなかったし、なにより男だった。
好きになったのだとしたら当然女の俺だろうし、身体が女になったのは今朝だ。

この短時間で好きになったというのか?案外、嘘が下手だ。

「告白なんてやめてくれ」

「鬼道、俺は本当にっ……」

何をバカな事をと、呆れて溜息が洩れた。

「大体さっきのは全く気にしていないから、そんな下手な言い訳は必要ない」

強い失望感を覚える。
豪炎寺にとっては、自分が女のままでも何の問題もないのか?いや、むしろ好都合なのか。

「言い訳、って……」

言葉を詰まらせた所を見ると、図星か?

「好きだなんて、その場しのぎで軽々しく言うものじゃない」

「軽々…し…い…?」

ふと豪炎寺を見れば随分険しい表情をしている。握った拳が僅かに震えていた。

「健全な男なら、女と抱き合えばキスくらいしたくもなるだろう。誤魔化す必要はない」

だから本当に気にしなくていい、と言おうとしたその時。

「……俺が、軽いその場しのぎで告白したと?」

豪炎寺の声色が変わった。

不機嫌そうな……いや、この感じは怒らせてしまったか?

マズいとは思いながらも、こんな事を言い合っている場合じゃないのにとの気持ちから、つい返しがキツくなった。

「違うのか?俺には苦しい言い逃れにしか聞こえなかったが」

言えば、途端にキッと睨まれた。黒くて鋭い、怒りと虚しさを湛えた瞳。

「今まで俺がどんな気持ちで……っ。ずっと苦しくても我慢して抑えて、それを………軽い……?」

怒りで声が震えているのか、最後までは聞きとれなかった。苦しそうに吐き出される言葉はどれも初めて明かされた物で、すぐに理解出来ない。


今まで、ずっと我慢してきた?


「豪炎寺、何を言って…」

「信じられないか。なら、どれだけ本気なのか見せてやろうか?」

「……っ痛…!」

突然、肩を乱暴に掴まれて思わず声が出た。そのままベッドに力任せに倒されて、上に乗られ両腕を縫い止められる。抵抗しても女の腕力ではピクリとも動かせない。

「ば、馬鹿っ、ふざけるのもいい加減にしろ!」

全く思い通りにならない身体に、混乱した思考、見た事もない"男"の表情をした豪炎寺。

首筋に噛み付くように顔を寄せられ、強く吸われてチリリと痛みが走る。肌がざわつき、軽くパニックを起こした。重くて苦しくて、息が上手く吸えない。

「…い、やだ!嫌だ、豪炎寺っ」

首元に顔を埋めたまま、豪炎寺が囁く。

「女かどうかすぐ分かる」

驚く程低い声で、本気なのだと思い知らされて。豪炎寺の手が服の上から胸に触れる。その性急で乱暴な動きに恐怖心が膨らんだ。
強く揉まれて快感より痛みが先行する。

「…っ、……!痛…っぁ…」

豪炎寺は一言も喋らない。手を胸から更に下ろし、ハーフパンツに指がかかった。

ビクンと腰が跳ねる。脱がされる。こんな、女の身体を見られたくない。触られたくない。何より、こわい。無意識に身体が恐怖で震えた。



豪炎寺が、怖い。



「や、め…」

「騒ぐな」

口を押さえられそうになり、もう堪えきれなかった。

こんな激しい豪炎寺、俺は知らない。

「…いやだっ!!!やめ…ろ…、誰か…助けてっ、やだ…っ!誰かぁ……っ」

涙が溢れる。
少しも動かせない自分の身体が、恐ろしい程の閉塞感を生んでいた。

途端に豪炎寺の動きが、ピタリと止まった。激しく求める気配は消えて、我に返った様に呆然とこちらを見下ろしている。

「……っ、…う…助け…て」

「…っ……すまない」

上から豪炎寺が素早く退ける。顔に手を当て、苦しそうな表情で一切目を合わせない。

どうしてそんな顔をする?襲われたのはこっちなのに。

「身体の事は他の人に相談してくれ。……許してくれなくていい」

「……っ、く…」

「もう、近づかない」


近づかない?


乱れた呼吸と嗚咽で、何一つ返事は出来なかった。

「本当に、すまなかった」

最後まで目を合わせないまま、豪炎寺は振り返る事もなく部屋から出ていった。

バタンとドアの閉まる音がやけに大きく響いた後も、暫くの間はベッドの上から動けなかった。






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