間違い




翌日も、鬼道は変わらずにサッカーの練習に参加していた。もう、完全に身体は元通りのようだ。

俺の支えは、もういらない。

鬼道から視線を逸らす。こんなに気にする必要はないのだ、鬼道は元々1人で何だって出来るのだから。

鬼道の事を頭から掻き消すために、自分の練習に没頭する。ただがむしゃらにボールだけを追い掛け、余計な事を考えないように集中して。



親友だった、今まで通りに接する為に。



*



練習が終わりシャワーを浴びて一息つくと、見計らった様に鬼道から電話が掛かって来た。

「鬼道か?」

『豪炎寺、今話して大丈夫か?』

「ああ、構わない。昨日言っていた件だな。電話じゃだめなのか?」

『きちんと直接話したい』

そう言うと思った。
鬼道は、大切な事は直接対面して話したいタイプなのだろう。

「そうか、なら夕飯を食べた後にしよう。9時くらいでいいか?」

『ああ、ならそのくらいにお前の部屋に行く』

「分かった」

要件だけの短い通話でも、声が聞けて嬉しい自分がいて。

もう、重症だな。

既に切れている携帯をボンヤリと見つめる。

あと数時間。

鬼道が部屋に来るまでの僅かな時間の内に、何とか心の準備をしてしまわなければならないな、と少し震える手で携帯を閉じた。



*



9時少し前、ドアが軽くノックされる。入るように促すと、約束通り鬼道だった。

狭い部屋内で特に椅子やテーブルもない。どうしたらよいかと立ち尽くしている鬼道にベッドに座るよう勧めると、軽く躊躇を見せた。


警戒されている。


「俺は床に座るから」

「いや、なら俺も……」

「座布団やクッションの類が1つしかないんだ、ベッドに座ってくれ」

「……すまない」

しんと部屋が静まり返って、お互いの息遣いや外からの音がやけに大きく感じる。
鬼道がやや緊張した面持ちで口火を切った。

「豪炎寺、一昨日は本当に助かった。感謝している」

ありがとうと、深々と頭を下げる鬼道に本当に律儀だなと思う。

「それで、だな……あの日言った事なんだが…」

本題に入った。やや言いにくいのか、もごもごと歯切れが悪い。

「あの時、女だからお前の事が好きなんだ……と言っただろう」

「ああ」

「その、こうして男に戻ってみて……」

思った通りだ。戻ってみれば、やはり男は無理だったと言いたいのだろう。

「鬼道、もういい」

「え?」

「安心しろ、大丈夫だ。俺は平気だから気にしなくていい」

鬼道の口から拒絶を聞きたくなくて、つい自分で先を続けてしまった。

「お前とは友人でいたい。チームメイトとして、これからもよろしく頼む」

心にもない事が、すらすらと口から出た。もう何か喋っていないと居たたまれない。

「友人?しかし、お前は俺が好きだと…」

「ああ、もうその事は忘れてくれ」

「え…?」

「お前とは、やはり親友のままでいたい」

自ら言ってはみたものの、もう親友にすら戻れないのは分かっていた。
きっと気まずさから徐々に距離が出来て、最終的には必要最小限しか話さないチームメイトになるに違いない。

「………親友…」

「また身体に何かあったら言ってくれ、いつでも相談にのる」

相談なんて、もうしてこないだろう。俺は鬼道の感情を、ただ掻き乱しただけなのだから。

「…豪炎寺は…それでいいのか?」

「ああ、男相手に好きだなんて言って、どうかしてた」

本当にどうかしていた。一生胸にしまっておくべき気持ちを、一時の感情でぶちまけてしまった。

「あれは……間違いだった、と?」

「ああ」

言わなければ良かった。今更、何もかもが遅いけれど。

後悔しながらふと鬼道を見ると、膝の上の手がカタカタ震えているのに気が付いた。

「鬼道?」

「…っ、…そん、な……」

鬼道の様子がおかしい。酷く動揺している。

「何回もっ……告白してくれるって、言った…のに」

「え……」

それは、どういう意味だ。

「そんな……」

「き、鬼道?」

「今更間違い、だなんてっ……ひどすぎ、る」

震える手をギュッと握り、激しく非難の色を湛えた瞳で睨まれた。

「やはり女がいいのか…っ、俺が女じゃなくなったから、だから……っ」

「な、にを」

女がいい?何の事だ。
鬼道の言っている意味が分からない。

「おかしいと思った!男の時から俺が好きだったとか言ってたくせに、女の俺とも平気であんな事したから……っ」

憎しみに近い感情を映した目から、ぼろぼろと涙がこぼれ落ちる。

どうして、泣いて。

「鬼道……」

立ち上がり傍に行けば、堪らず手が出てしまった。

涙を拭ってやりたい。

「っ……やめろ!触るな……っ」

伸ばした手を払い激しく抵抗する鬼道は、"いやだ"とか"もう信じない"とか、拒絶ばかりを口にしていて。
その表情や仕草があまりにも痛ましくて、こちらまで辛くなる。

嫌がる身体を強引に抱き寄せて、離れようともがく手を握り込む。

「鬼道、落ち着け」

「……っお前が望む女の俺はもういない!」

俺が、女の鬼道を望んでいる?

「違う、鬼道が好きなんだ。性別なんて関係ない」

「嘘だ!また口ばっかり…っ」

赤く濡れた瞳が疑心暗鬼に揺れている。感情が昂ぶって、こちらの聞く耳を持たない。

「鬼道!」

やや強めに呼ぶと、鬼道は一瞬怒られた子供の様に動きを止め、苦しそうに叫んだ。

「間違いだなんて…今更言われて、男に戻ってもお前が好きなままの俺は、どうしたらいい!?」




好き?




「……豪炎寺を好きになってしまった…俺は、どうしたら…」

興奮の糸が切れたのか、後半絞りだされた声は弱々しく、鬼道は俯いていた。

──俺が、まだ好きなのか?

「今のは本当か」

「………っ」

「鬼道の、俺への気持ちは消えていないのか?」

無言の鬼道を覗き込み、さらに続けて問うと、悔しそうに鬼道が顔を逸らす。

鬼道の気持ちは無くならなかった?鬼道は俺を好きなままなのか?

「鬼道」

「…な、ん……ッ、や…め」

鬼道の目元にキスを落とす。涙を拭うように、頬にも、顎にも。最初は激しく抵抗していた鬼道も、泣き疲れたのか次第に黙って受け止める様になった。

わざとチュッと音を立てると、ピクンと身じろぎする。

「少しは落ち着いたか?」

「……もう、放してくれ」

「だめだ、まだ唇にしていない」

「……っ、好きでもない癖に!」

「好きだ。……鬼道、好きなんだ」

反論される前に、間髪いれずに唇を塞ぐ。何か言おうと開かれた隙間から舌を挿し込み、より深く求める。

もう、遠慮する必要はない。ずっと想いを寄せていた鬼道が、好きだと言ってくれたのだから。

「……ぅ、……ん…ッ」


もっと、もっと欲しい。


逃げる舌を追いかけて絡め、息継ぎする余裕さえ与えずにきつく吸う。
思い切り想いをぶつけ、夢中で貪る様に続けると、がくんと鬼道の身体から力が抜けたので慌てて支える。

「………は、…ぁッ、……は」

紅潮した頬に潤んだ瞳で、惚けたような表情がひどく無防備だ。緩く開いている口元は濡れて艶めかしく光っている。

「……こんな…ご、えんじは、親友に…っこんなキス、するのか…?」

苦しそうに歪められた眉根に口づけて、もう力の抜けきっている身体をぎゅっと抱き締める。

「まさか。好きな奴以外にする筈ない」

「嘘、だ」

「嘘じゃない」

宥めながらそっとベッドに横たえてやると、腕で顔を覆ってしまう。

震える肩を撫でながら、何度も言い聞かせる様に好きだと繰り返した。






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