約束は守れない 鬼道から抱いて欲しいと強請られた時、だめだと口では言いながらも、相反する気持ちがどこかにあった。 そもそも、以前からずっと好きで焦がれて、そんな相手から求められたのだ。 本当は、すぐにだって抱きたかった。 鬼道には理性的な態度を装ったが、本当は違う。俺はもっと自分勝手で、乱暴で、狡い。 鬼道が女になったと告げてきた時からずっと心の奥底に潜んでいた、自分ですら目を背けていた黒い欲望。 抱いて、嫌がるならば犯して……既成事実さえ作れたら。 中学生とか元は男だとか、そんなの関係なく鬼道は自分だけのものになる。 鬼道の、男としての将来を潰して、たくさんの犠牲を払わせて。 脳裏にチラつく欲望はあまりにも魅力的で、抗うのに必死だった。 なのに、全てを奪われる当の本人が言ったのだ。 男に戻れなくてもいい、一緒にいられれば性別なんて関係ない、と。 抱いていた欲望を許されてしまった事で、歯止めが効かなくなるかと思った……けれど逆だった。 鬼道を抱けない。 ここまで想ってくれる鬼道の未来を、潰す事なんて出来る筈がない。 もし、朝目覚めて鬼道が元に戻っていたら、俺への気持ちは消えてしまっているのだろうけれど、それでも愛しい事に変わりはない。 どんな鬼道でも受け入れる。 隣で静かに眠っている鬼道の顔を見つめながら、少しだけ切ない気持ちで朝を待った。 * 「鬼道、そろそろ起きる時間だ」 優しく肩を揺すってやると、目蓋がゆっくりと開く。相変わらず綺麗な赤だ。 「……おは、よう」 「おはよう、シャワー浴びるか?」 「ん……ぅ……」 寝起きの鬼道は随分とボンヤリしている。低血圧なのだろうか。 またすぐに閉じてしまいそうな瞳に、笑ってしまう。 「朝練、間に合わなくなるぞ。ここは俺の家だ」 「ご…えんじの、うち………?……っ…!」 ようやく脳が働き始め現状を理解したのだろう、がばっと起き上がって暫くフリーズしている。 きっと色々思い出しているのだ。身体は見たところあまり変わりなく感じるが、どうなったのだろう。 俺を好きなままだろうか?それとも、昨日は何て事をしてくれたと罵られるだろうか。 緊張しながら暫く待っていても、鬼道は一言も発しない。 「鬼道?」 「……」 「大丈夫か?」 「……大丈夫だ。取り敢えず、宿舎に戻る」 ベッドから降り、さっさと身支度を整える鬼道に恐る恐る尋ねる。 「鬼道、身体は?」 「問題ない、元に戻っている」 「男、に?」 「ああ」 簡潔にだけ返される言葉に、安堵と共に切なさが押し寄せる。 ああ、だからこんなにそっけないのか。好きな気持ちが消えた今、俺にどう接していいのか分からないんだろう。 「そうか……また一緒にサッカーが出来るな」 笑いかければ一瞬驚いた表情をしたあと、小さく、ああと頷いた。 暫くの間はお互いギクシャクしてしまうかもしれないが、時間が経てばきっと元に戻れる。 ふと、昨日の鬼道との約束を思い出した。 俺への気持ちを鬼道がなくしていても、振り向いてくれるまで何回でも告白する。 でも。 俺を好きじゃないなら。ただのチームメイトでいたいと鬼道が望むなら。 約束は守れないかもしれないな、と思った。 * 朝練も午前中の練習も様子を見ていたが、鬼道は問題なくこなしていた。的確な指示、絶妙なパス回し、自信に満ちた鬼道のサッカー。身体は完全に戻っている様だった。 良かったと思う反面、ひどく胸が痛む。 今の鬼道は、同性である俺からの気持ちに困惑して、きっとどう断ろうかと思案している事だろう。 苦しい。 今までと状況は何ら変わらないというのに、鬼道に想われる喜びを知ってしまっただけに、何倍も辛かった。 昨日が、昨日だけが特別だったのだ。 1日だけ、願いが叶った。 それでもう充分だと思わなければ。あれは夢の様なものだったんだと、何とか自分に言い聞かせる。 午後の練習は、もう鬼道を見る事はなかった。 * 宿舎に戻ると、着替えもせずにベッドへ倒れこむ。昨日殆ど寝ていないせいか、疲れで手足を動かすのが億劫だ。 今日の練習内容を思い返し、思わず溜息が洩れた。 ミスを連発した上、必殺技も上手くいかずゴールが決まらない。プレーに全然集中出来ていなかった。 早く調子を取り戻さなければ、皆に迷惑をかけてしまう。 もう、何もかも全て忘れて眠りたい。 急激に襲いくる睡魔に抗わず着替えもしないまま、ただ黙って瞳を閉じた。 目が覚めると既に夜10時を過ぎていた。完全に夕飯を食べ損ねてしまったようだ。 取り敢えずシャワーだけでも浴びてスッキリしようと部屋を後にする。 汗を流して部屋へ戻ると、充電器に繋いでいた携帯の着信を示すライトがチカチカと光っている。 もしかして寝ている間に来ていたのだろうか?さっきは寝起きでぼんやりしていたから、確認していなかった。 見ればメールが2件と着信が1件きている。 相手は全て鬼道だ。 メールを開くと、"話がある"との内容で6時に1回、"夕飯を食べに来ないのは何かあったのか"との内容で8時に1回メールが来ている。その後電話をくれた様だ。 そういえば昨日もこんな感じのメールが来たなと、まだ1日も経っていないのに随分懐かしく思った。 話とは、おそらく俺への返答だろう。……チームメイトで居てくれとか、昨日の事は全部忘れて欲しいだとか。言われなくても分かる。 正直、鬼道へ連絡するのは勇気がいった。フラれると分かっている相手に、自ら連絡なんてしたくない。しかし、これだけメールや着信が来ているのに無視する訳にもいかなかった。 仕方なく鬼道の番号にかけると、数回のコールの後鬼道が出た。昨日よりやや低い男の声。 『豪炎寺か』 「ああ、電話とれなくてすまない。寝てしまっていた」 『そうか、別に何もなかったならいいんだ。それより話があるんだが、今からお前の部屋に行ってもいいか?』 もう12時近い。これから話なんてしたら、また寝不足になりそうだ。 「明日にしてくれないか?まだちょっと疲れが溜まっているから、眠りたい」 『しかし、』 「頼む、鬼道」 何か言おうとした鬼道の声を敢えて遮る。これ以上、今日はダメージを受け止められそうにない。 『……わかった』 そうだ、きちんと言ってなかったな。 「鬼道、男に戻れて本当に良かったな。嬉しいだろう?」 言ってから、少しだけ皮肉のように響いてしまったかもしれないと思った。俺への気持ちを忘れられて良かったな、と。 『それはどういう意味だ』 案の定、訝しむ様な声で問われる。 「言葉通り、そのままだ」 『豪炎寺、お前…』 「ああ、悪い。話は明日聞くから」 『………っ』 「おやすみ、鬼道」 『……ああ』 プツリと通話を切った後、どうしてあんな言い方をしてしまったのだろうと思う。 八つ当たりしてしまったのだろうか?だとしたら最低だと、心の狭い自分に嫌気がさす。 明日は優しく、傷つけないように話そう。今まで通りチームメイトでいられるから気にするなと。 何度告白しても、きっと鬼道は俺を好きにはならない。元々恋愛対象外なのだ。それどころか、伝える程苦しめてしまうだろう。 昨日の鬼道には嘘をついた事になってしまう。 けれど。 俺と一緒に居られるなら性別なんてどうだっていいと言ってくれた鬼道は、 もう居ない。 ←→ |