10年後の関係




「お前、豪炎寺か…!?」

円堂によく似た大人は、開口一番に俺の名前を呼んだ。

「……誰…ですか?」

年上には、自然と敬語を使ってしまう。例えそれが混乱と異常な状況の中であっても。

昨晩、円堂に寄り添って眠った後、どうしてこうなったのか見当もつかない。起きたら知らない場所で、知らない人の隣にいた。

「…あ、えーっと…、俺だよ、円堂!円堂守!」

「えん…どう?」

意味が分からなかった。目の前の大人は見るからに20歳を過ぎているが、口調や屈託のない笑顔はまさしく円堂で。

「豪炎寺、小さいなあ!何歳だ?中学生くらいか?」

「じ、14歳…です」

「お!じゃあFFIらへんか?懐かしいなー!」

目の前に居るのは円堂、だと言う。確かに親戚等にしては似すぎているし、仕草や声や、彼を構成する全てが円堂守だと示していた。

「あの…これは一体」

「悪い、俺にも分からないんだ。朝起きた時にはもう隣にいたからな」

頬をポリポリと掻きながら、困った様に笑っている。
相手の苦笑混じりの表情で、初めて何も着ていない自分の格好に気付く。腕にしているミサンガを除けば全裸だ。

見れば円堂…らしき彼も上半身裸だ。焦ってタオルケットを手繰り寄せ身体を覆う。

全裸な自分と、半裸な大人がひとつベッドの中。

思い至った最悪な状況に、声が震えた。

「ま、まさか…寝てる間に…」

「…っ、いや、ないない!してない、そんな記憶ないし!」

「……本当…に…?」

「し、信じてくれよ」

眉を下げて困り果てている相手を見ながら、少し冷静に考える。確かにこの人と何かあった、という感じではない。
身体に残る微かな痛みと違和感も、昨晩の円堂との行為のものだ。

ホッと胸をなでおろしたものの、とりあえずこの格好のままでいるわけにはいかない。
初対面の人に全裸を見られた羞恥が、今頃一気に押し寄せて来て、顔がカッと熱くなった。

「わかりました、信じます。それで……あ、あの、聞きたい事が沢山あるんですが、先ずは着替えを…その、貸してくれませんか…」

恥ずかしさから語尾が小さくなる。キョトンとした大人の円堂は、あぁと笑い、何を思ったのかタオルケットごと俺を抱き上げた。

あまりに突然の事で、抵抗する暇もなかった。

「…っ!?何を…っ、降ろして下さいっ」

「おっ、豪炎寺軽いなあ!」

人の話を聞いてない。この人は円堂だ、間違いない。

「降ろして下さいっ、自分で歩けます!……円堂、さんっ!」

「ん?いつもみたいに呼び捨てでいいぞ。着替えはこっちにあるんだ、確か」

結局訴えは却下され(というかスルーされ)降ろして貰えず、ベッドルームの隣の部屋に連れていかれた。
シンプルな家具に幾つかの写真立てがある、不思議と居心地がよくて落ち着く雰囲気の部屋だ。

仕方なく抱えられたまま部屋を観察していると、ふわりと優しく床に降ろされた。

「この部屋のクローゼットに入ってるやつ、どれでも着ていいぞ!」

「あ、ありがとうございます」

「ん?礼なんかいいよ、お前の服だし」

俺の服…ということは、ここは俺の部屋なのだろうか?

写真立てをよく見ると、夕香がメガホンをもった姿で写っている。自分の部屋で間違いない様だ。

「あの、今って何年……」

「先に着替えたらどうだ?その間に飲み物でも用意してやるからさ。少し落ち着いて、話そうぜ」

「…はい」

大人になった円堂の言う事はさすがと言うべきか、らしくないと言うべきか。

取り敢えず、クローゼットから適当に下着や服を見繕い身に付けると、急いで部屋を出た。
当たり前だが、全部大きくてぶかぶかだ。

「お待たせして、すみません」

「お、可愛いな」

冷蔵庫から牛乳を取り出しながら、ドアから出てきた俺を見て円堂…、いや円堂さんが笑っている。
その第一声が、可愛い。

「やっぱ服おっきいか。うん、でも相変わらず可愛いな!」

「……やめてください…」

円堂は大きくなってもこうなのか。思った事をすぐ口にするなんて、恥ずかしい大人だ。

促されリビングのソファーに座ると、目の前のテーブルにコトンとマグカップが置かれる。
ふわふわと湯気がたちのぼり、微かに甘いはちみつの香りが鼻を擽った。

「ホットミルク、好きだろ?落ち着くし」

「ありがとう、ございます……」

息を吹き掛けながらマグカップに口をつければ、適度な温かさと柔らかな甘みが身体中に染み渡る。
気持ちが少しだけ落ち着いた。

同時に、自分の好きな物を分かっているこの人は、本当に円堂なのだと深く実感させられた。



*



「タイムスリップ、だと思う」

「やっぱり、そうですか…」

お互いの状況を話した結果、10年後の自分と入れ替わったのではないかという結論に至った。原因は不明。

確かに、宇宙人襲来だとか(実際は違ったが)、未来人来訪だとか、あり得ない出来事も既に経験済みだ。
タイムスリップの可能性も十分にある。というか、これ以外に考えられない。

色々と話し合ったが原因は特定できず、良い解決策は浮かびそうになかった。

埒が開かないなと笑う彼に、とりあえず原因究明は保留し別の事を聞いてみた。

「そういえば、ここは円堂さんの家なんですか?」

「んー…いや、豪炎寺の家だ。昨日の夜から来てたんだけど、朝になったらこうなってた」

困ったように笑う顔も、昔と変わらずに眩しい。

「……あ、の」


聞きたい。


10年後も自分は円堂の傍に、1番近くに居られるのだろうか。
部屋に泊まり一緒に眠るくらいだから、別れたりはしていない筈だ。

と、その時気付いた。彼の左薬指に銀色のシンプルで綺麗な、指輪。

自分の知っている円堂は、ファッションで指輪をするようなタイプではない。



結婚、している?



「何だ?」

「いえ、何でもありません…」

男の自分と、結婚は出来ない。……だとしたら、10年後の関係は。

「豪炎寺、聞いてる?」

「……え…」

ショックで、あまりよく聞いていなかった。

「だから、行くとこないだろうし、ここにいろって。俺も毎日来るからさ」

「………は、い」



不倫。



10年後の俺は、既婚者である円堂と身体の関係を続けている?

「豪炎寺、大丈夫か?」

「…は…い」

不倫という2文字が、ぐるぐると頭の中で繰り返し再生される。中学生の自分にとって、不倫だなんて単語は馴染みがなさすぎて、やけに罪深く感じた。

どうして円堂とそんな関係なんかに。その前に別れる選択を、なぜ自分はしなかったのだろう。そこまでして、彼が欲しかったのだろうか。人の道に反してまで。

「そんな顔するな。元気だせよ、な?」

「!」

余程ひどい顔をしていたのだろう。
不意にすっぽりと抱き込まれて、こめかみに口づけられた。まるで恋人を優しく慰めるように。

「きっとすぐ元の時代に戻れるから、な?」

こんなのは嫌だ、触れないで欲しい。

「……はなして、下さいっ」




結婚してる癖に。




俺の傍から、離れた癖に。




自分でも、もう止められなかった。涙がぼろぼろとこぼれて、抑えようとしても次から次へと嗚咽が洩れる。

こんな風に、人前で泣いた事なんて今まで1度だってないのに。泣きたくなんかないのに。

「そんな泣くなよ、ほら。俺が一緒にいてやるから、それなら寂しくないだろ?」

「……っ、…う」

やわらかく頭を撫でるこの人は、きっと俺がタイムスリップのショックで泣いていると思っているのだ。
全然違う。違いすぎて、説明する気にもなれない。





ずっと一緒にいようと、絶対幸せにすると、言ったのに。





そんな事は無理だと元々分っていた筈なのに、何故かひどく哀しかった。

嗚咽と共にしゃくり上げると、手首の紐がちいさく揺れた。





×
- ナノ -