甘やかして




食器を片付けた後、日中に洗っておいた浴槽にお湯を溜める。少し高めの温度で設定をして、居間で寛いでいる円堂さんに声をかけた。

「円堂さん、お風呂いいですよ」

呼び掛けると、ニコニコとこちらを向く。

「ああ、サンキュな!豪炎寺は後から入るのか?」

「はい。円堂さんは、仕事で疲れてるでしょうし、先に入って下さい。俺は後で…」

全て言い終わる前に、上から声が被せられた。

「疲れてるけど、豪炎寺が一緒に入って背中流してくれたら、少しは癒されるかもなー」

「……嫌です」

この人は、まだ諦めていなかったのか。

「なー、豪炎寺一緒に入ろ?」

「入りません」

「えー」

「だめだって、さっきから何回も言ってるじゃないですか!」

ここはハッキリと断るべきだろうと、やや語気を強めて答える。

今までになく強い拒絶に目を瞬かせた彼は、一瞬驚いた表情をした後、小さく呟いた。

「だって、一緒に居るのに寂しい…だろ」

やや落ち込んだ声に、ズキリと胸が痛む。

まさか、傷つけてしまった?いや、こんなのわざとに決まってる。その手には乗らない。

ほだされそうな気持ちを抑え、決意も新たに視線をやると、肩を落としている様子にまた胸が痛んだ。

「まあ、仕方ないか。今の俺は、お前の知ってる円堂守じゃないし……豪炎寺にとっては他人みたいなもんだよな」

「え……」

──他人?

「悪い、無理言ってごめんな。先に入ってくる」

「…あ……」

他人だなんて、そんなふうに思っていない。大人だろうと、円堂は大切な人だという事に変わりはないのに。

「ま、待って下さい、円堂さん…」

着替えを取りに自室へ向かおうとしている背中に、遠慮がちに触れる。シャツの裾を掴み、つんと軽く引いた。

「ん?」

「他人とか…思ってない、です」

「ああ、言い方が悪かったか。気を遣わせちゃってごめんな?気にしないでくれ」

「でもっ」

「俺はどんな豪炎寺でも好きだからさ、つい豪炎寺も同じ気持ちだろうって勝手に思い込んじゃってて」

「どんな俺でも?」

「おかしいよな。豪炎寺が何歳でも、俺にとってはあんまり関係ないんだ」

困った様に微笑む顔に、何だか泣きそうになってしまった。

「入ります」

「豪炎寺?」

「一緒にお風呂、入ります。俺だって……」

どんな円堂も好きなんです…と、最後は心の中で付け足した。



*



「あー、気持ち良い!」

「……そうですね…」

結局、一緒に入っただけでなく頭も身体も洗われ、今は後ろから抱き込まれる形で円堂さんと湯船に浸かっている。

正直、顔が見えない態勢で助かった。恥ずかしさで、かなり赤くなっているに違いない。

「豪炎寺は肌綺麗だなー」

「ひゃ…!」

うなじに軽く噛み付かれて、思わず高い声が出てしまった。恥ずかし過ぎる。

「や、やめて下さい!……っ!?」

肩や首辺りを甘く食んだり、もぐもぐと口を動かしたりしている。擽ったくて、たまに触れる舌の感触に緊張してしまう。

「子供みたいな事、しないで下さいっ」

「だってこの肌の弾力、何か気持ち良い」

「美味しくないですよ」

「美味しい」

やわやわと楽しんでいる様子に、仕方がないと溜息が洩れた。

「歯型とかは、やめて下さいね……」

「せっかくだし、つけちゃうか?」

「痛いのは嫌です」

「気持ち良いのは?」

「……だめ、です」

ちぇっと残念そうな声と共に、右肩に重みを感じる。顎が乗せられたのだ。顔がとても近い。

ふと、左手を取られて問われる。

「このミサンガ、懐かしいな。赤とオレンジ、やっぱり似合う」

「覚えてるんですか?」

「ああ。そういえば、これどんな願い事してたんだ?聞きたかったんだよな」

「いえ、特に何も…」

このミサンガに願い事はしていないし、中学生の円堂にもそう伝えていた筈だ。

「そうなのか?でも豪炎寺は叶ったって言ってたんだけどなあ」

「叶った?」

今はしていないが、これから何か願い事でもするのだろうか。

円堂さんが指先でミサンガを弄ると、チャプチャプとお湯が鳴る。つついたり、揺らしたりしている仕草が、中学生の円堂とまるっきり同じで面白い。

「円堂さん、もうそろそろ上がらないと逆上せますよ」

「そうだな上がるか!あ、髪は俺が乾かしてやるからな」

きっと嫌だと言っても無駄だろう。ここ数日で学んだ事だが、自分はこの人には勝てない。

「じゃあ、お願いします」

「おう!」



*



上機嫌にバスタオルで髪を拭く様子を、不思議に思う。

人の頭を乾かすなんて、何が楽しいのだろうか。

「円堂さん、楽しそうですね」

「ああ、いつも豪炎寺はさせてくれなかったんだ」

「そうなんですか?」

「髪、結構長いから時間かかるとか言って、自分でしちゃうんだよ」

10年後の自分は髪を伸ばしているのか。なんだかサッカーするのに邪魔そうだ。

「ドライヤーかけるぞ」

「あ、自然乾燥で…」

「いいから!」

「……どうぞ」

円堂さんがカチリとスイッチを入れると、ドライヤーから大きな音と共に風が吹き付けてくる。

「豪炎寺の髪、気持ち良い!柔らかいな!」

「普通です!」

ドライヤーの音で聞こえないので、叫ぶ様に会話をする。空気を含ませる様に触れる手が心地良い。

「よし、出来た!」

「ありがとうございます」

お礼を言って立とうとすると、後ろからギュッと抱き締められる。

「円堂さん?」

「豪炎寺、いい匂いがする」

肩口に顔を埋められ、思い切り息を吸い込むような仕草に恥ずかしさで顔が熱くなる。

「円堂さんも同じ、ですっ」

同じボディソープとシャンプーを使っているのだから、匂いだって同じに決まっている。

何とか抜け出そうとしても、抱き付いたままの腕は解放してくれる気配がない。

「豪炎寺、一緒に寝よう」

後ろから頬を擦り寄せられて、心臓がドキリとする。

「だから…だめ…」

「やっぱり寂しい、豪炎寺の傍にいたい。何にもしないから、だから……な?」

振り向けば、黒く濡れた捨て犬の目でこちらを見つめている。
こんな表情をされて、甘えられたら。

「円堂さんは、ズルい……」

「豪炎寺、甘えさせて」

「だめな大人、ですね」

「ん」


だめで、ちょっと可愛い。


「本当に、何もしないですか?」

「ギュッてするのはいいだろ?今もしてるし」

「……はい」

「豪炎寺は何されたくないんだ?言ってくれたら、しない」

「な、何って……っ」

あんな事とか、こんな事とか、どれも口にするのを憚られる。

「豪炎寺?」

「あ……、えっ…と、その…触るの…とか」

上手く言えない。

「触ったらダメなのか?」

「いえ、普通に触るのはいい…んですけど」

「普通じゃないのって?」

「あっ、の……、くちとか…そのあんまり近いのは」

しどろもどろの俺を見て、円堂さんがニヤリと笑った。

「………豪炎寺、やらしい事考えただろ?」

「!?」

わざと言わせようとして、困っているのを楽しんでいたのだと漸く気付いた。かあっと顔が熱くなる。

「──…っやっぱり、1人で寝て下さい!」

「えっ」

「もう、知りません!」

「ごめんっ、豪炎寺ごめんって!」



何だかんだと言い合いながらも、結局は円堂さんに押し負けた。本当に、この人には適わない。

随分と抵抗したけれど、ベッドに入ってしまえば人肌の温もりがとても気持ち良く、安心してしまって。


あんなに拒んでいたのが嘘の様に、2人寄り添って朝までぐっすりと眠った。






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