交換条件




豪炎寺の部屋へは、あっさりと通された。門前払いやインターホン越しの説得になるかと覚悟していたが、その心配は取り越し苦労だった様だ。

既に夜7時を回っているのに、家には豪炎寺しか居ない様子で、2人きりという状況に身体が少しだけざわついた。

「…何の用だ」

椅子に座ってこちらも見ずに放たれる声は、小さく弱々しかった。

「日本代表を降りるだなんて、どういうつもりだ」

「どうもこうも……別にその方が鬼道も嬉しいだろう」

「勝手な事を言うなっ、お前が逃げたいだけだろう……!」

「だったらなんだ」

「!」

何だ、この目は。

冷えた視線に背筋がゾクリとした。諦めているというより…空っぽだ。

「……鬼道は案外馬鹿なんだな」

「……な、に…」

「あんな酷い目にあわされた男の所にノコノコきて、部屋に2人きりだなんて学習能力がない」

ガタンと豪炎寺が椅子から立ち上がる音が響く。一歩、また一歩と近づいてくる豪炎寺に、恐怖で声がうわずった。

「……やめ…ろっ、来るな!」

一瞬苦しそうに眉をひそめた後、豪炎寺は何故か悲しそうに笑った。

「もう帰れ。それとも、またされたいのか」

「っふざけるな…!」

違和感を感じる。豪炎寺らしくない。

わざと嫌われるような、突き放すような物言いをして、俺を帰らせようとしている。現に言葉とは裏腹に、瞳は合わせまいと伏せられていた。

「……サッカーが好きなんだろう!?何故やめる」

「別にどうでもいいだろう、鬼道には関係ない」

「……なん、だと」

関係ない筈がない。明らかにあの夜の事が関係している。

「俺がいない方が、鬼道だってプレーしやすい筈だ」

「……っまさか、それが理由、か」



俺が、いるから。



一緒にプレーしたくない、出来ないという事か。

「……別に…」

「俺が…、俺がいるからか?俺のせいだって言うのか!?」

「…鬼道?」

もう、抑えきれない。我慢していた様々な感情が、次々溢れて声が荒くなる。

「お前が無理矢理、あんな事…っ!俺がどんな気持ちでこの2日間いたか、考えてみた事があるか!?……っ怖くて、怖くて、廊下の足音だけでも震えが止まらないっ」

「……っ…!」


怖かったのに。辛かったのに。


「身体中痛くて、辛くて……寝ても覚めてもお前の事ばかり頭に浮かんでくるっ…!」

「…すまない」

「ようやく眠れたと思えば、……夢の中でもお前に…っ!もう、狂いそうなくらい……つらくて、苦しくて…」

「……きど、う…っ、すまない。本当に…」


そんな顔をされたって、許せない。


「それでも一緒にプレーしたいと、思ったのに…、なのに……お前は…っ」

豪炎寺のサッカーを認めていたから。尊敬していたから。
あんな事をされてまで一緒にサッカーが出来ればだなんて、自分も相当狂っている。

俺の言葉に豪炎寺は、ただただ驚いていた。

「……一緒にプレーなんて、鬼道は平気…なのか?」

「……自分でも、よくわからない。けれどお前がサッカーをやめるのは嫌なんだ」

「…鬼道は……優しいな」

豪炎寺はフッと自嘲ぎみに笑うと、諦めたかのように呟いた。

「……い」

「なんだ、聞こえない」

「……こわいんだ」

「?」

「……っ人と接するのが、人を…好きになるのが……こわ…い…んだ…」

「…豪炎寺?」


どういう意味だ。


「鬼道にあんな事、したくなかった。……好き…だから……っ、好きなのに……傷つけた…っ」

「…好き?」

確かにあの夜、豪炎寺はそんな事を言っていた。完全に言い訳だと、決め付けていたけれど。

「鬼道を好きで、でも…叶わないって分かってたから…、…傍にいるのも…苦しくて…っ」

だから距離を置いたんだと告白する豪炎寺は、胸元をぎゅっと押さえ、もう俺の方を見ようとはしなかった。

「……俺が、全部悪いんだ…だから…」

「サッカーをやめる……か」

「ああ…、もう人と関わりたく、ない……っ」

「豪炎寺…?」

「傷つける…からっ、俺は好きになった相手を……傷つけて…しまう、から……!」

「!」

豪炎寺も傷ついている。
ここに来るまで、俺は自分が無理矢理された事ばかり考えていて、豪炎寺の気持ちなんてまるで考えてもみなかった。
人一倍優しい豪炎寺が、あんな事をして自分を責めない筈がなかった。

ぼんやりと、誰に話すでもなく豪炎寺が呟く。

「……鬼道を…犯す夢を、何度も見るんだ」

「!」

「嫌がって、泣いて叫んで、そんな鬼道を無理矢理抱いて……。……夢と同じだった……」

「豪炎寺?」

豪炎寺の瞳から涙が流れて頬を伝い、顎に溜まってポタリと落ちる。

「嫌われるのも、軽蔑されるのも、夢のとおりで……」

「……」

「…最低……だ、俺はもうおかしいんだ…って…思いながら……起きて」

「もういい、自分をそんなに追い込むな」

泣いている豪炎寺に、もう恐怖は感じなかった。そっと手を伸ばすと、怯えたように後退りし首を振っている。

「……っ、傍に、来ないでくれ…」


近づかないで。


傷つけてしまうから。


豪炎寺の言葉が胸に痛かった。
このままでは、豪炎寺は人と関わる事を恐れてサッカーをやめてしまう。友人もチームメイトも自分から遠ざけて、孤立を深めていくだろう。

そんな豪炎寺の姿なんて、見たくない。

「……人を好きになるのが、こわいのか?」

「……こわ…い、もう自分を…信じられない…」

「なら、俺を好きでいろ」

「……っどう…いう意味だ…?」

「俺を好きでいればいい。それなら他の人を好きにならず、傷つける心配もないんだろう?」

「……きど、う…?」

「俺は、平気だ。女じゃあるまいし、多少の事では……壊れない。実証済みだろう?」

「なに…言って…」

「だから、サッカーをやめないでくれ。お前とサッカーがしたいんだ」

俺は、一体何を言っているんだろうか。自分と引き換えにサッカーを続けて欲しいだなんて、馬鹿げてる。

「……無理だ…、これ以上鬼道を傷つけたくない…っ」

「なら、俺を傷つけないように我慢してくれ。堪える訓練だと思えばいい。それでも無理な時は……しても構わない」

頭がおかしい。
これでは、我慢出来ないなら抱いていいと言っている様なものだ。

「……同情、か…?」

「いや、交換条件だ。……豪炎寺、俺の為にサッカーを続けてくれないか?」

好きなんだろう、俺の事が。欲しいんだろう?なら、辛くても逃げたくても、今まで通りサッカーを続けてくれ。

呆然としている豪炎寺に答えを促すと、複雑な表情を浮かべて俯いてしまった。

暫く待っていると、黙っていた豪炎寺が意を決したのか、顔を上げてこちらを見つめる。
縋る様な、苦しそうな黒い瞳。




「……鬼道を好きで、いさせて…くれ……」




好きでいる為に、サッカーを続ける。


サッカーを続けて貰う代わりに、欲望を受けとめる。



お互い、どうかしている。






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