始まりに過ぎない 豪炎寺と気持ちを伝え合ってから、1ヶ月が経った。 あれ以降、練習が終わった後や寝る前のひと時、どちらかの部屋で一緒に過ごすことが増えた。 サッカーの戦術の話をしたり、今のチームや監督の事、世界に通用する技についてなど、話すことは尽きなかった。 狭い1人用の部屋は、もちろん椅子も1つしかなく、自然と2人並んでベッドに座ったり寄り掛かったりと隣同士近くにいる事が多くなる。 ふとした瞬間に豪炎寺と腕が触れたり、近くに寄ったりすると胸がドキドキした。 ほんの少し押されただけでもベッドに投げ出されてしまうだろう距離に、常に緊張してしまう。 それに、自分達は恋人同士なのだ。 いつ、そんな雰囲気になってもおかしくない。 常に気を張りながらも、一緒に居られることは嬉しくて、ついつい就寝時間ギリギリまで時間を共にしてしまう。時間が遅くなればなるほど、心臓は大きく高鳴った。 けれど、豪炎寺は何もしてこなかった。 触れる事も、キスする事も…もちろん求めてくることも無かった。 我慢出来ないほど、俺を好きだったのではないのか? 1度目は無理矢理に、2度目は交換条件で。 どちらの時も、普通の状況ではなかった。こうして晴れて恋人同士になれたというのに、一体どういうことなのだろう。 豪炎寺は俺に遠慮しているのか?まだ、最初の事を気にしている? したい、と思っているのは自分だけなのだろうか。 言葉だけでなく、身体でも気持ちを確認したいと考えるのはおかしいのかと不安に思う。 恋愛経験の皆無な自分では、いくら考えても分からなかった。その上、どうこの気持ちを伝えたら良いのかも分からない。 抱いて欲しいだなんて、言葉ではとても言えないし、誘うだなんてもっと出来ない。 告白した時に似た様な事を言った筈だが、その場の勢いや緊張もあり、どう伝えたのかなんてとっくに忘れてしまっていた。 そういう雰囲気にするといっても、ほぼサッカーの話しかしていない。常に色気のない話題だ。 考えているうちに、何だか馬鹿らしくなってきた。 どうして俺だけが、こんなに悩まなければならないのだろう。豪炎寺が一言くれたら、少しだけ手を引いてくれたら済む話なのに。 「……優しくしてくれるんじゃ、なかったのか…」 恋人同士になっても、一向に悩みは尽きない。両想いはゴールではなく、ただの始まりに過ぎなかった。 * 鬼道と一緒にいられる、それだけで嬉しい。 気持ちを伝える事すら諦めていた相手が、今では恋人として傍にいてくれる。 あんなに鬼道を欲しいと思っていた乱暴な気持ちが、心が満たされた事によって少し落ち着いた。 以前は必死に気持ちを抑制して、最終的にそれが耐え切れず理性が効かなくなっていたのだろう。鬼道の気持ちを確認した今では、傍にいてもとても穏やかな心を保てる。 鬼道を傷つけなくて済む。優しくできる。 受け入れられた、いつでも傍にいてくれると思うと、鬼道を欲しいという気持ちより、鬼道を知りたい、と思う様になった。 もっと、鬼道を知りたい。 何が好きで、何が楽しくて、どんな気持ちで、どんな表情をするんだろう。 サッカーの話をしている鬼道は、生き生きとして嬉しそうで、見ているこっちまで幸せになった。 音無の話をしている鬼道は、少し恥ずかしそうに、でも誇らしそうに話していた。 笑った顔も、照れた顔も、もっともっと見たかった。 きっと、少し舞い上がっていたのだと思う。 鬼道が恋人だなんて夢の様だと浮かれて、だから鬼道の気持ちまで慮れなかった。鬼道のここが知りたい、こんな顔が見たいと、全部自分本位な事ばかりで。 鬼道が悩んでいるなんて、思いもしなかった。 * 豪炎寺は相変わらず、全く俺に興味が無い。いや、正確には俺との触れ合いに興味が無い。 前のように激しく求めることは一切なかった。 好かれているという事は分かる。でも、ただ毎日言葉で可愛いと言われても、そんなのペットと同じではないだろうか。愛玩用の、ただ自分の心を満たすためだけのペット。 豪炎寺は、気持ちが受け入れられた事で、既に満足しているようだった。いつも嬉しそうに俺の話を聞いている。恋人になった、それだけで充分だとでもいうのだろうか。ただ、傍にいるだけでいいなんて。 こんなのは、違う。恋人じゃない。 少なくとも俺は、したい。豪炎寺が好きだから、欲しい…のに。 こちらからキスをして、服を脱いで、して欲しいと言えば抱いてはくれるだろう。 けれど、すでに心が満たされている相手の前で、それはどれだけ滑稽に映るだろう。出来る筈がなかった。 豪炎寺に、欲しがってほしい。 もっと、足りないと強く求められたい。 思った以上に自分は豪炎寺が好きで、そして欲が強いのだと実感する。友達やチームメイトのような関係ではもう足りない。 豪炎寺の感情だけじゃなく、豪炎寺が欲しい。好き、だけじゃ嫌だ。 俺をこんなにしたのは、お前なのに。 気持ちを伝えあったあの時、「優しく」なんて言わなければよかった。今は強引でも乱暴でもいいから、自分を求めて欲しかった。 * 練習が終わり、いつもの様に鬼道が部屋に訪ねて来た。 けれど入ってすぐに立ったまま、ジッとこちらを見て何か言いたそうにソワソワしている。 「鬼道?」 「……その、今日…」 「ん?」 立ったままの鬼道の手を引き、ベッドに座る様に促す。ぽすんとベッドに腰掛けた後も、鬼道は落ち着きなく、視線を彷徨わせている。頬が少し赤いのも気になった。 何か、相談事でもあるのだろうか。 「今日…ここに」 「ここ?俺の部屋がどうした」 「……っ、今日ここに泊まっても、いいか…?」 自分の手をギュッと握り締めながら恥ずかしそうに聞いてくる鬼道は、随分と緊張している様で。 必死な顔をして何を言うかと思えば、泊まりたい、だなんて可愛いらしいお願いで、思わず笑みが洩れた。 「……だめ…か?」 「いや、別に構わないが」 勿論、ずっと一緒に居られるのは嬉しい。けれど、ベッドは当然シングルで、2人寝るにはやや狭いかもしれない。鬼道に窮屈な思いはさせたくない。 「なら、俺は床で寝るから、鬼道はベッドを…」 「っ違う……」 「?」 小さく呟いた鬼道の様子が、どこかおかしい。一体どうしたというのだろう。 「全然、わかってないっ!」 「鬼道?」 「お前はもう、俺に興味ないんだな……」 「え?」 ひどく悲しそうな表情をする鬼道に、困惑する。 どういう事だ。興味がないなんて、そんな筈ない。こんなに好きなのに、何故そうなる? 「よく、わかった……。もう、帰る」 「鬼道っ!?」 理由は分からないが、鬼道を傷つけた。帰るといった時に泣きそうだったのは、きっと見間違いなんかじゃない。 「暫く…お前とは距離を置きたい」 「な…に」 距離を、置く?どうして。 突然の事に思考が追いつかない。 「少し、お前との事を考えさせてくれ」 苦しそうな声を残して、鬼道は部屋から出て行ってしまった。 残された俺はただ呆然と、鬼道が出て行ったドアを見つめていた。 ←→ |