※バレンタイン 恋人の特権 豪炎寺にこの気持ちは伝えられない。友人でチームメイトで、なにより男だ。それなのに、どうしてチョコレートなんか作ってしまったのだろう。渡す勇気もない癖に、学校にまで持ってきてしまった自分には本当に呆れてしまう。 焼却炉に捨てようか?持って帰ろうか? 箱を見る度ため息が漏れる。チョコレートは自分の気持ちそのもので、なかなか処分する踏ん切りがつかないまま迷っているうちに気づけば放課後になってしまっていた。 ホームルームが終わってから真っ直ぐ来たせいか、部室にはまだ誰も来ていなかった。ロッカーの鍵を取ろうと鞄に手を入れるとコツリと硬い感触が指に触れる。結局どうする事も出来ず入れたままだったそれを、リボンがよれない様にそっと取り出す。 包装紙の赤が何だか酷く鮮やかに目に映った。誰にも貰われない、食べて貰えない、意味のないチョコレート。 もう見たくない、かと言って家に持ち帰りたくもない。なのに捨てられない。 豪炎寺を想いながら作り、包装紙を選び、丁寧にリボンをかけた自分があまりにも哀れで虚しくて。 どうすることも出来ずにジッと小箱を見つめていると、不意に声をかけられた。 「いつまでそうしているんだ?」 「ご、豪炎寺?!」 まさか渡したい相手本人がそこにいるとは思いもしなくて、心臓が口から飛び出しそうなほど驚いた。いつの間に部室に入ってきたんだ。 「よほど大切なものなんだな」 「あ、いや……これは」 見られた、よりによって豪炎寺に。 「別に隠さなくていい、今日はバレンタインだからな」 違う、と言おうとしたが声が出なかった。あまりにも突然で対応できない。 このままでは勘違いされてしまう。まるで誰かに告白するみたいではないか。 「その…っ…」 「大丈夫だ。確かに部室へ個人の飲食物の持ち込みは禁止だが、今日くらいは監督も目をつぶってくれるだろう」 何せ量が量だ、と肩を竦めて豪炎寺は笑った。 よくみれば、豪炎寺は両手にぎっしりとチョコレートの詰まった紙袋をいくつも下げている。 ああ、そうか。 俺が誰かに渡す、だなんて勘違いする訳がない。バレンタインは女子が好きな人に気持ちを伝えるイベントだ。 当然、このチョコレートも女子から貰った物だと思ったのだろう。男がチョコを作るなんて考えるはずがない。 豪炎寺の中ではそんな事はあり得ないのだ。 すぐさまチョコレートを掴むと鞄に突っ込む。ようやく正気に戻った。俺はなんて馬鹿なんだ、本当にどうしてこんなもの作ったんだろう。 そうでなくてもファンクラブのある豪炎寺だ、たくさんチョコレートを貰うとわかっていたのに。そしてそれは当然女子からだろう。 死にたい。恥ずかしくて居た堪れない。 「鬼道?」 俺の様子がおかしいと気付いたのか豪炎寺が声をかけてきたが、満足な受け応えも出来なかった。 「今日は部活を休む」 胸が、心臓がぎりぎりする。苦しい。こんな物さっさと捨ててしまえばよかった。むしろ作った事実ごと消したい。どうせなら、一緒に豪炎寺への気持ちも消えてしまえばいいのに。 そうすれば、プレー中に体が触れるのを意識しなくてもすむし、豪炎寺が誰と仲良くしていても気にならない。バレンタインだからとこんなに心を揺らすことも無かったのに。 鞄を肩にかけ部室を出ようと踵を返す。急に帰るなどと言って豪炎寺には変に思われたかもしれないが、気にしていられなかった。早くここから出たい一心でドアに手をかけたとき、背後から問われた。 「付き合うのか?」 付き合う?何の話だ。 振り返り豪炎寺を見れば、眉をひそめ酷く険しい顔をしている。 「そのチョコレートをくれた相手と付き合うつもりなのか?」 「は?」 「随分と真剣に見つめていたし、長く考え込んでいただろう?相手の事が好きなんだと誰だって分かる」 誰だってわかると言われて、かあっと顔が熱くなる。 「放って…おいてくれ」 羞恥と動揺で声が震えてしまう。悟られない様に短く返すと、豪炎寺の表情はさらに歪んだ。 「まさか本気なのか?」 微かに非難めいた声にドキリとする。怒っている? 「いまは部にとって大切な時期だ、練習に集中するべきだろう。鬼道はうちの要なんだ、そんな浮ついた気持ちでいられては困る」 「浮ついた…」 「彼女なんて作っている場合じゃないはずだ」 矢継ぎ早に浴びせられる言葉は責めるように刺々しく、いつになく饒舌な豪炎寺はかなり苛ついているようだった。 「大体、相手は鬼道の事をちゃんと理解しているのか。サッカーをしている姿しか知らないんじゃないか?だとしたら上手くいくはずがない」 どうしてそんな事を言うんだ。俺が誰と付き合ったってどうでもいいくせに。 「豪炎寺には関係ない」 「チームメイトだ、心配するのは当然だろう」 豪炎寺は、俺ではなく試合が心配なだけに違いない。人の気も知らないで。 なにより豪炎寺を想うこの気持ちを、浮ついた、と表現された事が少なからずショックだった。 「鬼道が傷つく事になる。やめた方がいい」 「お前はプライベートにまで口をだすのか?家族や恋人ならまだしも」 ただのチームメイトの癖に。 「しかし…」 「俺に干渉するな!」 感情が高ぶったせいで、声がやや大きく早口になった。弾みでつい、ドンとドアを叩いてしまい、物に当たってしまった狭小な自分にうんざりする。 こんな日に喧嘩なんて。もう、これ以上ここにいたくない。 まだ何か言おうとする豪炎寺を無視して、部室から出て行こうと改めてドアに手をかけた、その時。 突然、腕を掴まれドアに押し付けられた。その拍子に鞄が床に落ちて、やけに大きな音が響く。強く押されて身動きが取れない。 「…い、っ痛!何のつもりだ」 「……ならいいのか」 「何?」 「恋人ならいいのか」 豪炎寺の声はいつもより数段低く、掴まれた肩はビクともしない。普段は見せない激しい一面に背筋がぞくりとする。 「は、放せっ」 「恋人には見せるのか?あんな、俺の知らない顏も」 「豪炎寺、何言って───…っ」 突然、唇が塞がれた。思い切りぶつけるように当てられた唇に動揺して逃げようともがいても、太腿の間に豪炎寺の膝が割り込んでいて動けない。 「ン、っ……ん!」 わけがわからない。どうして、と問おうとしても、豪炎寺は呼吸さえ許さないとばかりに強引に口付けてくる。きつく吸われ、空気を取り込もうと開いた隙間からは舌が差し込まれて。 キス自体初めてだというのに、奪うように深く求められて、応え方も逃げ方も分からず、ただされるがままになってしまう。 自分以外の体温がこわくて、それでも不思議と嫌悪感はなかった。 激しくてまるで嵐のようなキスは、とても長く感じた。息が出来ない苦しさから、じわりと涙が滲みはじめる。 がくんと脚から力が抜けて何とかドアに寄り掛かっている状態の俺から、豪炎寺はようやく唇を離した。 「は……っあ、…」 言葉が出ない。息苦しさと混乱で頭は真っ白だ。 「だめだ、許さない」 豪炎寺が鼻が触れるほど近くで小さく言い放つ。 「鬼道が誰かと付き合うなんて認めない。鬼道の事は誰よりも俺が1番理解している。嫌いな事も、好きな物も、自分じゃ気づいていない癖も、全部」 ぜんぶ?この気持ちにすら気付いていないのに? 「なのに口出しするな、なんて言うから」 切なげに目を細めながらそっと俺の唇を撫でる豪炎寺は、幾分落ち着いたのか小さく「悪い」と呟いた。 何か言ってやりたいのに、声が出ない。 どうしてキスを?怒って苛ついて、ただ俺を黙らせる為にしたのだろうか。 もう思考はめちゃくちゃだった。豪炎寺が好きで苦しくて、チョコレートまで作ってしまう程なのに、当の豪炎寺は俺なんか何とも思っていなくて、ただサッカーに支障が出るから彼女を作らせたくなくて、だから無理矢理キスをしたのか? まるで意味が分からない。もう、なにもかも混乱していて考えがまとまらない。 「鬼道?」 不意に視界がぼやけて豪炎寺の顔がよく見えなくなる。だめだ、泣いてしまいそうだ。 俺の顔をみて慌てた豪炎寺がハンカチを取り出し、しどろもどろに言い訳をはじめる。 「すまない、その…泣くほど嫌だったか?」 嫌じゃない。嫌じゃなかっただけに、より自分が惨めに感じる。どれほど豪炎寺を好きなのか、改めて思い知らされた。 「お前は、好きな相手じゃなくてもこんな事が出来るのか?俺はチームメイトなのだろう」 悲しいのか苦しいのか、ただ驚いただけなのかよくわからないまま泣いている。 「……チームメイトだとずっと自分に言い聞かせてきたんだ。なのに」 顔を上げると、豪炎寺は悲しい様な苦しい様な、複雑な表情をしている。 「あんな切ない表情でチョコレートを見つめている鬼道を見たら、もう耐えられなかった」 そんなにひどい顔をしていたのだろうか。 「あの時、鬼道を誰にも渡したくないと本気で思った。関係ないと突き放されて悔しくて、受け入れては貰えないと分かってはいたが」 誰にも渡したくない? 「もう気持ちを抑えられない。鬼道にとっては女子と付き合う方が幸せなんだと分かっているし、他に想う相手がいるのも分かった。…でも」 ちょっとまて、さっきから豪炎寺は何の話をしているんだ。 「それでも鬼道が好きなんだ」 「……っ!」 告白を終えた豪炎寺は、こちらの様子を伺うでもなく、ただ黙って俺を見つめている。 豪炎寺の告白がとても遠く感じる。まるで他人事の様に、自分の中には入ってこない。 好き?豪炎寺が俺を?まさか。そんな事ある筈がない。 「からかっているのか?いや、何かの罰ゲームか」 「なに?」 訝しい顔をした豪炎寺を見ても言葉は止まらない。 「じゃなきゃ、お前が俺を好きだなんて言う筈がない。あり得ない」 あり得ないと言った瞬間、豪炎寺の眉がピクリと動いたが構わずに続ける。 「俺は男でお前も男だ、恋愛の対象にならない。ましてや付き合うだなんて考えた事もない」 というより諦めていた。想いが通じるなんて想像すらしたことがない。いつだって断られる前提で考えてばかりだった。 「好きだとか、そんなのは嘘だ。豪炎寺が俺を好きになる訳がない」 あんなにモテる豪炎寺がわざわざ男の俺を選ぶ理由がない。 キッパリと言い切ると、豪炎寺は随分と掠れた声で尋ねてきた。 「それは……NOという事か?」 「NOもなにも」 信じられない、と思わず口から本音がこぼれる。正直、混乱と動揺で正常な判断が出来る状態じゃない。 「鬼道、信じたくない気持ちはわかるが真剣に答えて欲しい。その結果、断るなら断るで構わない」 そう言いつつも豪炎寺の表情はすでに暗く、諦めと落胆の様子が色濃く浮かんでいた。断断られるものと決めてかかっているのか、視線は逸らされ諦めたようにため息をついている。ふと、固く握りしめた拳が微かに揺れているのが見えた。 震えているのか。世界一を決める試合の前ですら堂々としていた、あの豪炎寺が。 もしかして、本当に?豪炎寺は真剣なのか。 震えが止まらないのか、もう片方の手で握りこむ様に押さえる仕草に確信する。 豪炎寺は本気で俺を好きなのだ。 だとしたら、自分が苦しんでいた様に豪炎寺もまた苦しんでいたのだろうか。世間一般とは相容れない同性への恋慕は、誰に相談する事も出来ない。抱え込んでしまう質の豪炎寺は、もうギリギリだったのかもしれない。そうでなければ突然キスなんてするだろうか。 じわり、と心が動かされる。 女子特有のやわらかさも華やかさもない、同性である自分を、豪炎寺が本当に想ってくれているのだとしたら。 応えたい、伝えたい。 ふと思い出して鞄の中から赤い箱を取り出す。決して豪華でもない、なんの変哲もないただのチョコレートだけれど。 豪炎寺へと差し出すと、一瞬辛そうに眉を顰めてから聞いて来た。 「それはさっきの…」 「受けとってくれ」 「え?いや、これは鬼道が貰った物だろう」 意味が分からないのか、豪炎寺は普段あまり見せない困惑した顏をしている。首を振り、貰ったんじゃないと伝えて箱を更に差し出す。 「俺が作ったんだ」 「鬼道が?しかし、それなら尚更受け取れない。好きな相手にきちんと渡すべきだ」 他に好きな相手がいる前提で話す豪炎寺に、やはりと思う。豪炎寺も俺と同じで、自分の気持ちは絶対に届かないと思い込んでいるのだろう。お互い相手の事ばかりを考えて、我慢して臆病になってしまっていたのだ。 箱にかかったリボンを解く。包みを開いて蓋を開けると、中にあるチョコレートをひとつ自分の口へ放り込む。 「鬼道、何を───…」 何をすると問おうとした豪炎寺の唇を自分のそれで塞ぐ。自然に体が動いた。言葉では上手く伝わらない気がして、それがもどかしくて。 固まっている豪炎寺には構わずキスを続けても、特に拒絶される事もなくてそれが少し嬉しい。 おずおずと豪炎寺の首に腕を回すと、返すようにぎこちなく抱き締められて。ドキドキする。心臓の鼓動はピタリと合わさった胸からきっと響いてしまっているだろう。 豪炎寺が好きだ。 伝わっているだろうか?豪炎寺の為に作ったチョコレートの味も、この気持ちも。 唇を微かに離し、濡れたような黒い瞳をジッと見つめると、熱っぽい、けれど何か問いたげな視線にぶつかった。不安そうな色に、キスだけではなく、確証が、言葉が欲しいのだと思い至る。 「豪炎寺、お前が好きだ」 「ほ、本当か!」 「が、お前の言う通り、確かに今は部にとって大切な時期だし浮ついてプレーに影響が出ては困るな」 「そ、それは───」 何か言いかけてから黙ってしまった豪炎寺は、先程自分の言った言葉を後悔しているようだ。 「恋人なんて作っている場合ではない、そうだろう?」 「……ああ」 心なしかしゅんとしてしまった豪炎寺に、こんなにも感情表情豊かだったのかと意外に思いながら続ける。 「けれど、お前なら……いい」 ただ応援するのではなく一緒に戦える、チームメイトでもある豪炎寺なら、きっとお互い支え合える、乗り越えられる。 「鬼道、それは…その」 まだ不安が拭い切れていない豪炎寺の手にそっと触れて、耳元で囁いて。 「プライベートに口出しして、いい」 「!」 ようやく意味を察したのか、目を見開いて驚く豪炎寺は新鮮で少しおかしかった。 頬を染めつつも、まだ実感がないのか言葉が出ない様子がなんだか愛おしくて。 仕方が無いなと笑い、もう一度チョコレートに手を伸ばした。 happy valentine's Day !!! END (2014/02/14up) ←→ |