※合宿中

特別扱い




些細な事だった。

顔を洗っていたらタイミング良く横からタオルを渡してくれたり、食堂であらかじめ席を取っておいてくれたり。

「鬼道大丈夫か?」
「課題か?手伝おう」
「この後、練習するなら付き合うぞ」

友人なのだから当然といえば当然で、特に気にもとめていなかった。豪炎寺はいつも優しく紳士的で、少し甘過ぎるのではないかというくらいで。女子達がさわぐのも当然だと思った。

だから、何の気なしにその通りに伝えたのだ。

「お前と付き合う女子は幸せ者だな。こんなに出来たパートナーはなかなかいない」

伝えた途端、豪炎寺は複雑な表情をした。

「突然なんだ」

「いつも思っていたのだが、細かいところまでよく気もつくし物腰も柔らかい。俺に対してさえこうなんだから彼女が出来たらさぞや大切に……豪炎寺?」

みるみる表情を曇らせた豪炎寺にどうしたのかと声をかけても、フイと顔を背けられてしまった。もしやこの手の話題は嫌だったのかだろうか。

「あ、その……すまない。気を悪くしたか?」

プライベートに踏み込み過ぎてしまったのかもしれない。そういえば、今まで豪炎寺から恋愛関係の話はされたことがなかった。

「豪炎寺?」

黙ったまま何も言ってくれない豪炎寺は少し辛そうに眉をひそめている。
そんなに嫌な思いをさせてしまっただろうか?

「……鬼道は全然平気なんだな」

「なにがだ?」

恋愛の話がか?

「彼女、な」

小さく独り言のように呟いた豪炎寺はなんだか傷ついたように見えた。

「豪炎寺、すまない。なにか気に障る事を言ってしまったなら謝る」

昔、彼女となにかあった、とか。心の傷に触れてしまったのかもしれない。

「本当にすまなかった。ごう…」

「もういい」

「え…」

「もうわかった」

「あ、ああ」

謝罪の途中でピシャリと断ち切るように言い放たれ、明らかな拒絶のオーラにそれ以上は言葉が続けられなかった。

その後はたいした会話もなく、お互い黙ったまま気まずい雰囲気で別れた。部屋に戻ってからも先刻の豪炎寺の態度が気になって落ち着かない。

豪炎寺を傷つけてしまった。

なんとなく、そう雰囲気で感じた。何が悪かったのかはわからない。けれど、誰にだって踏み込まれたくない領域はあるだろう。嫌な思いをさせたのは間違いない。

明日もう一度きちんと謝ろう。

そう決意しながら、その日はモヤモヤする気持ちを抑えつつなんとか眠りについた。


*


翌朝、早く謝りたくて少し足早に食堂へ向かう。席はいつも隣だし、なによりこんな気持ちを抱えたままなのが苦しかった。豪炎寺と仲直りしたい。そう思いながら食堂へ入り、豪炎寺の姿を探して。



ショックを受けた。



豪炎寺は、すでに吹雪と虎丸の間に座っていた。虎丸の面倒を見ながらも吹雪とは楽しそうに話している。
もちろん食事の時の座席は自由で、皆その日その日で好きな場所に座っているのだから別におかしな事はなにもない。なにもない、けれど。

いつもは隣を空けて「鬼道こっちだ」と呼んでくれるのに。

ズキズキと心臓のあたりが痛みだす。鼓動も少し早まっているように思う。
豪炎寺は怒っているのだろうか。嫌われてしまったのか。一緒に食事をしたくない程に?

一瞬で幾つもの疑問が頭を駆け巡った。謝るどころか隣にも居られない。
思った以上にショックだったのか、その日の朝食は何を食べたのか、どこに座ったのかも一切憶えていなかった。


*


結論から言うと、豪炎寺は別に怒ってはいなかった。ごく普通に会話し、普通に笑う。サッカー中のプレーにも変化はない。ただ、以前のように隣には居てくれなくなった。

ほら、とタオルも渡してくれないし、こっちだ、と呼んでもくれない。けれど、これは別に豪炎寺が冷たくなった訳じゃない。友人としてはこれくらいが普通で、豪炎寺は円堂や風丸に接するのと同じに俺と接しているだけなのだ。

わかっている。だから、こんな事を思うのはおかしい、おかしいのに。


物足りない。寂しい。


離れてみてはじめてわかる。
豪炎寺は俺を特別に扱ってくれていたのだ。それも、他の人よりも何倍も何倍も。

体調不良を隠していた時も、練習後に何も聞かずに薬を手渡してくれた。ちいさく「無理はするな」と囁かれて驚いた記憶がある。
下校途中、後ろから来た車に危うく接触しそうになった時も身を呈して庇ってくれた。今思えば、それ以降は常に豪炎寺が車道側を歩いていた様に思う。

知らず知らず、守られていた。

今はもう傍にも居ない。胸がまたぎゅっと苦しくなる。いつも隣にいたのに、これからは豪炎寺は他の誰かの隣にいるのだ。

しかたがない、今までが優し過ぎただけだ。普通に戻っただけなのだから、と自分に言い聞かせてみてもやっぱり辛い。

謝って前みたいな関係に戻りたい。傍に、隣にいて欲しい。
そう伝えたかった。けれど何と言えばいいだろう?

別に無視されているわけじゃないし、話だってサッカーだって問題なく普通に出来ている。何故これ以上を求めるのかと言われても答えられない。自分でもわからない。自分はどうして豪炎寺に傍にいて欲しいのだろう。

親友だから?心を許せる数少ない友人だから?

どれも合っている様で少し違う気もした。豪炎寺の傍はとても居心地が良くて、それに甘えてしまっていたのかもしれない。だとしたら

もう、隣には居るべきじゃない?

一緒にいたらまた甘えてしまって、豪炎寺に迷惑をかけるだろうか。

豪炎寺にとって俺は迷惑だったのだろうか。

今までの自分を思い返して、どれだけ与えられていたのかを再確認するともう豪炎寺の隣には居られないと思った。

結局元の関係には戻れないのだと結論がでたけれど、胸は痛いままだった。



豪炎寺から離れてみると、色々と分かる。無口な為クールに思われがちだが、面倒見がよく皆からの信頼も厚い。周りには常に人が絶えなかった。中でも円堂との距離は特別近く、スキンシップも多かった。

練習試合が決まり、やったな!とはしゃぐ円堂と拳を合わせたり、視線を合わせて笑ったりしている。

苦しい。

円堂は好きだし、尊敬もしている。なのにひどく妬ましい。羨ましい。

もう、見ていられない。胸の痛みは酷くなる一方だった。



*




「鬼道」

練習終わりに、突然豪炎寺から声をかけられた。もう豪炎寺からは近づいてくることはないと思っていただけに、驚きが隠せない。

「な、なんだ」

「最近何かあったか?プレー中も集中出来てないし、顔色も良くない。体調が悪いなら…」

「悪くない。放っておいてくれ」

動揺から、突き放すような返しになってしまった。痛い。胸が痛い。鼓動が早まってどくどくと耳元で鳴っている。豪炎寺を見れない。

「おい、鬼道」

こちらの答えにややムッとしたのか、少し強めに肩を掴まれる。それでも視線をあげられない。

「放せ」

「鬼道、ちゃんとこっちを見ろ!」

無理だ見れない。どんな顔をしたらいいんだ。お前の隣にいる円堂に嫉妬して、でも何も言えなくて。こんな醜い感情だらけなのに。醜さが表情にも現れてしまっているかもしれない。敏い豪炎寺に読み取られるかも。

いやだ。

「はな、せっ!」

「鬼道!」

大きな声に少しビクついてしまって、身体がゆれた。豪炎寺が怒鳴る事なんで滅多にない。怒らせた。

「こっちにこい」

グンと腕を引かれ、引き摺られるように連れて来られたのは豪炎寺の部屋だった。ベッドに座らされたかと思うとゴーグルを取り払われ、真っ正面から黒い瞳に射抜かれる。

「何があったのか話せ」

「なに?」

「気になっていたんだ。何があった?お前がそこまで落ち込むなんて」

「……」

真っ直ぐな視線が痛くて目を逸らす。お前のせいだ、なんて言える筈もない。

「平気なフリして無理して笑って、今日だって食事も殆ど残してただろう。円堂だって心配してたぞ?」

だから声をかけたのか?円堂が心配していたから?

「円堂は、関係ないだろう」

「そんな言い方はないだろ。円堂はお前の事を思って…」

「もういい」

円堂、円堂、円堂。円堂の事ばかり。

わかってる、円堂は俺を心から心配してくれている。こんな言い方をして、悪いのは全て俺の方だ。でも、豪炎寺の口から円堂の名前が出るたびに胸が軋む。苦しくて上手く息が出来ない。

「鬼道?」

無意識に痛む胸を押さえていたのか、それを見た豪炎寺が少し心配そうに声をかけてくる。

「……っ」

話したい事がたくさんあった。
どうして隣に居てくれなくなったのか。怒らせてしまったのか。何が悪かったのか。今まで迷惑だったのか。




もう、傍にはいてくれないのか。




声に出せない想いが苦しくて、代わりに涙がこぼれた。

「き、鬼道?」

「………っ、ど…して」

どうして。

どうしてこんなに辛いのか。泣くような事じゃないのに、涙は止まらない。豪炎寺の前でみっともない。恥ずかしい。

「鬼道……泣くな」

「……っ、ないて…ない!」

泣いてないと言いながらも溢れる涙は頬を伝い、視界はぼやけて豪炎寺の表情もよくわからなかった。

「……泣かないでくれ」

「み、るな」

少しかすれた豪炎寺の声がなんだか焦っているようにも聞こえて、ごうえんじ、と呼んだ途端。

「………悪い」

何が、と問う間も無かった。

唇に柔らかな感触を感じた瞬間視界が反転した。目に飛び込んできた無機質な天井に、ベッドに押し倒されたのだと気付いた頃には、キスは更に深くなって。

豪炎寺にキスされている?

「ん、っ………」

遠慮なしに噛みつくようにされた口づけは、徐々に求めるように変化し、舌を絡められ息が継げなくなった。唇の合わせを変え幾度となく繰り返される行為は不思議と抵抗がなく、心地良く感じた。

次第に激しさはおさまり、ちゅ、ちゅと涙を啄ばむように頬に触れたかと思えば、また強引に唇を奪われる。
抵抗しないよう押さえられていた両手は、いつしか指を絡めるように繋がれていた。

豪炎寺に求められている。それに、こんなに傍にいる。

「鬼道…」

「ん、は……っ、あ、…」

ようやく離された豪炎寺の唇は赤く色づき濡れていて、何故だかドキリとしてしまう。

「鬼道、好きだ」

「すき……?」

「好きだから心配なんだ、何があったのか話してくれ。俺に出来ることなら何でもするから」

真っ直ぐで熱を帯びた瞳は真剣だった。俺の傍から離れた豪炎寺が俺を好きだと言う。何でもするとまで。

「きっと俺にこんな事言われても迷惑だろうし、気持ち悪いかもしれない。でも心配なんだ」

豪炎寺が気持ち悪い?男だから?

豪炎寺と触れていた唇に指で触れてみる。柔らかくて熱くて、舌に残る感触もはじめてのものだった。

気持ち、良かった。

「俺じゃ嫌なら円堂を呼んできてもいい。だから…」

「なんでもすると言ったな」

「ああ」

それなら。

「なら、隣に居てくれ。ずっと…隣に」

隣に居て、俺を見て、甘やかして。

「前みたいに傍にいて欲しい。心配されたい」

泣いた後のせいか、驚く程恥ずかしい言葉もするする出てきた。あまりにも我慢していたせいで想いが溢れてしまったのか。

「円堂が羨ましかった。また豪炎寺の隣に居るにはどうしたらいい?」

「き、鬼道?」

「何か悪い事を言ってしまったなら謝る。もう恋愛の話もしない。だから」

「鬼道、待て…っ」

「他の誰より優しくして欲しい。豪炎寺の特別になりたい」

「特別って、ちょ…っこれ以上は…」

豪炎寺を見れば真っ赤な顔をして口元を押さえている。普段ポーカーフェイスの豪炎寺が一体どうしたのだろう。

「豪炎寺?顔が赤い」

指摘すれば赤みは更に増した。

「鬼道が……、俺の傍にいたいだなんて言うから」

「迷惑か?」

問えば、豪炎寺は首を振りながら絞り出すように呟いた。



「嬉しい」



信じられないといった表情の豪炎寺に、そっと手を伸ばす。ここ最近はずっと遠くから見ているしか出来なくて寂しかった。

「隣に居させてくれ」

「俺で良いのか?その……男だぞ」

「よくわからない。が、豪炎寺が傍にいないと胸が苦しいんだ」

「それは、お前も俺の事を恋愛対象として想ってくれていると解釈して良いのか?」

恋愛対象?親友でチームメイトで、なにより男である豪炎寺を?

常識的に言ってあり得ない。
けれど、豪炎寺が他の人といると苦しい。誰より傍にいて欲しい。深い、恋人同士しかしないようなキスが嫌じゃなかった。むしろ心地良くすら感じた。

だから、きっとそういうことなのだろう。

「……構わない」

言った途端にギュッと抱き締められて、耳元で囁かれた。

「大切にする」

誰よりも何よりも特別だから、と続ける豪炎寺に、これまでも相当甘やかされていたんだがな、と少し擽ったく思いながら。

「頼む」

と、小さく返事をした。




END


(2014/01/23up)




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