a scar(不鬼)




部活終わりで着替えている最中だった。

ユニフォームを脱ぐためにマントを外すと、隣の豪炎寺がギョッとした顔をしたのだ。

普段あまり表情を表に出さない豪炎寺が珍しい。
どうしたのだろうと思っていると、ユニフォームを捲る手を押さえられ「ちょっとこっちへ来い」と腕を掴まれた。
バサリとタオルを首に掛けられ、そのまま持っていろと命じられる。

「ご、豪炎寺?」

まだ着替えもしていないのに、どうしたと言うのだ。

そのままグイグイ引っ張られて、けれどこんな強引な豪炎寺は初めてで、抵抗出来ずに付いて行く。

途中すれ違った円堂に「どうした?」と聞かれると、豪炎寺は「居残り特訓だ」と振り返りもせずに答えていた。

居残り特訓?

そんな約束した覚えはないし、何より豪炎寺が向かっているのは校舎の方向だ。

人気の無い男子トイレに連れ込まれ、ようやく手を解放される。

「……で、こんな所にまで連れてきて何の用だ。相談事か?」

相談にしてもちょっと強引すぎやしないか?
少し不機嫌を顕にした視線を向けると、呆れたように溜息をつかれた。

「やっぱり気付いてないのか」

「だから、何の事だ?」

豪炎寺が何を指しているのか分からず、つい強く聞いてしまう。
微妙な表情をした豪炎寺は、洗面台の前に俺を立たせると、くるりと鏡に背を映すよう促す。

一体何なんだ。

こういう時、豪炎寺がもう少し口数が多ければなと思う。
しかし、鏡に映った自分の首からタオルが取り払われた時、全てが分かった。




歯形。




首筋のユニフォームから覗くそれは、明らかに歯形だった。
しかも薄らとかいうレベルではない。かなり思い切り噛まれたであろう、はっきりとした、痛々しいくらいのだ。

「……あ…」

赤黒くすら見える痕に絶句していると、豪炎寺が気休め程度に教えてくれる。

「マントのフードで隠れていたから、多分練習中は誰も気付かなかったと思う」

「そ、そうか…」

豪炎寺の優しい気遣いにも、あまりのショックに空返事になってしまう。
よく保健室ではなくここへ連れて来たものだと感心する、それくらい酷い。

「鬼道、俺が口を挟む様な事ではないんだが」

「あ、ああ……」

呆然としていた俺に、豪炎寺が少し控えめに諭すように言う。

「同意の上、だとしても」

「ち、ちが…」

違う、誤解だ。俺はこんな特殊な性癖は持ち合わせていない。

「もう少し…その、……大切にして貰え」

困ったような、しかし心配も滲ませた声に、いよいよ居たたまれなくなる。

「──…っ、そう……だな」

もう、あまりの恥ずかしさに、何とかそれだけ言うのが精一杯だった。



*



『もしも…』

「不動、貴様っ」

皆が帰った頃を見計らい着替えると、真っ先に電話した。歯形を付けた張本人にだ。

『鬼道クン?なに怒ってんだよ』

「"なに"だと?お前、首に……こんなっ」

羞恥と怒りで声が震えてしまう。よく平然としていられるものだ。

『なんだよ、誰かに見られたのか?まあ、結構ガッツリいってたからなあ』

「お前っ!よくもそんな事をいけしゃあしゃあと……」

さらりと返してくる声は、悪怯れた様子など微塵もない。

『はあ?ホントに見つかった訳?』

「当然だろうっ、あんな場所にあんなハッキリ…っ!」

『いや、それ鬼道クンの過失じゃん。絆創膏貼るなり、周りを確かめてから着替えるなり方法は色々あるだろ?』

「分かっていればとっくにそうしている!いつの間にこんな所に、…いつ…の……」



いつ?



ちょっと待て。いつ、付けられた?

『……まさか鬼道クン、気付いてなかったとか?』

「え……、ぁ……いや…」

確かに、気付かずに付けられるようなものではないのだ。明らかに痛みを伴うであろう噛み痕だった。

『……へぇ』

訝しむような声音が一転、楽しそうな響きに変わる。

『あんな強く噛んだのに鬼道クンは気持ち良過ぎて、全っ然気付いていなかった訳だ』

「ち、違…っ」

そんな筈がない。あれほどの痕がつく行為に気付かないなんてよっぽどだ。よっぽど……。

考えただけで顔が熱く火照る。

『まあ、あん時は随分と良さそうだったし、途中意識飛ばしそうだったもんなぁ』

「や、め……」

先日の行為をあらためて言われて泣きそうになる。

『いつ噛んだか教えてやろうか?あの時だよ、後ろから…』

「いっ、言わなくて……いい」

何となくは分かる。
不動に後ろからされて、限界まで焦らされ追い立てられて。枕に顔を押しつけたまま泣いて、ただもう訳が分からなかった時。

理性が途切れた、快感だけを感じていたあの最中だ。


恥ずかし過ぎる。


顔が熱い。脳裏にまざまざと自分の痴態が甦り、一刻も早く電話を切りたかった。

「もういい、分かった…」

電話なんてしなければ良かったと後悔しながら、ふと豪炎寺に言われた事を思い出す。

「不動」

『何、まだ文句でもあんの?』

「……大切にしてくれ」

『は?』

「俺の事……もっと大切にしてくれって、豪炎寺が」

また噛まれたくない。かといって、普通に頼んでも不動は聞き入れてはくれないだろう。むしろ面白がってエスカレートしそうだ。

『よりにもよって豪炎寺に見つかったのかよ、ていうか……ソレどういう意味』

「不動が大切にしてくれないなら、豪炎寺に乗りかえる」

別に豪炎寺はただの友人で、そんなつもりは毛頭ない。けれど、不動にはもう少し優しさというか、労りの心を持って欲しい。

『は?ちょっ……、鬼道クン?』

「もう切る」

『はあっ?待て…』

まだ何か喋っている不動を無視して、通話を強制的に終了する。

不動のせいで死ぬ程恥ずかしい思いをしたのだ。このくらいの仕返しは構わないだろう、とドッと押し寄せる羞恥と疲労に、やや投げ遣りに携帯を閉じた。



*



全く、こんな酷い事があるだろうか。急に電話してきたかと思えばただ責められて、挙げ句に違う男に乗りかえるとか脅された。まあ、嘘だとは分かっているけれど。

それにしても、一方的にこちらを責めるという事は、本当に何も覚えてないんだなとやや呆れてしまう。

(結構、痛えんだけど)

肩から肩甲骨あたりに指を這わすとビリッと鋭く痛みが走る。
必死に縋りつかれたせいで深く爪で抉られた傷が、肩や背に幾筋も残っていた。


大切にしてくれ、だなんて。


そんなんじゃ物足りない癖によく言う。
けれどそんな事を言うのなら、今度は焦らして触らないで、決定的な刺激は全て寸止めにして。

"ごめんなさい"と許しを請うまで泣かせてやろう、と心に決めた。




END




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