※同棲中 別れ話 「出て行きたければ勝手にしろ」 「ああ、そうさせて貰う」 吐き捨てるように言葉を残し、豪炎寺は出て行った。 きっかけは至極つまらない事だった。遅くなる時は連絡を寄越せとか、何の為の携帯電話だとか言われて。 仕事で疲れていた所に更に注意された事が重なって、普段なら我慢できた事もつい荒く言い返してしまった。 そこからはもう、言い合いだった。豪炎寺は心配するだろうと言い、俺は子供じゃないんだからいちいち干渉するなと声を荒げて。 最後の最後に、こんな細かい男だとは思わなかったと告げると、豪炎寺はバッグを掴み出て行った。 こっちだって残業したくてしている訳ではない。忙しくて帰りが遅くなっているのだから、少しくらい労ってくれても良いだろうと思う。 苛々はなかなか治まらず、謝る気にもならない。どうせ家出なんて長く続きはしないだろうと大した気にもとめず、その日はそのまま眠りについた。 * 朝起きて、少し肌寒くて毛布を引き寄せる。いつもは傍にある温もりがないせいだ。隣にいる筈の豪炎寺は昨夜出て行ったのだと、ようやくぼんやりと思い出した。 1人で眠るにはこのベッドは大き過ぎる。 癖で左側を空けて寝ていた自分に軽く苦笑する。豪炎寺との生活がもう身体に染み付いているのだ。 きっと1泊して豪炎寺も怒りは落ち着いている頃だ。今晩には戻るだろう。 冷静に考えると、昨夜の自分は随分と大人気なかったなと反省する。今日は久しぶりに早く帰れそうだから夕食は自分が作ってやろう、そう思った。 * 仕事から帰って、夕食を用意して。けれど豪炎寺は帰って来なかった。 戻らないつもりなのか? まさかと思いつつも自分からは連絡出来ず、けれど携帯電話が鳴るのではとソワソワして落ち着かない。とりあえず、いつ連絡が来ても良いように常に目の届く所に置いた。 豪炎寺はそんなに怒っているのだろうか?いや、もしかしたら何かあったのか。事故や事件に巻き込まれた可能性も否定出来ない。 とにかく心配だった。 ただの残業かもしれないし、帰るつもりがないだけかもしれないが、何にせよ連絡がないのが不安でたまらない。いつもなら"遅くなる"等、何かしらメールをくれるのに。 考えてから、ハッとした。 豪炎寺は昨日こんな気持ちだったんだな。 きっと不安だったのだ。残業ならいつもは連絡をするのに、それがなかったせいで余計心配をかけたのだろう。 なのに、あんな言い方をして責めてしまった。挙げ句に家から追い出したりして。 携帯を掴み、豪炎寺へコールする。もう待っていられない。 『………なんだ』 プツリと通話が繋がった後、しばらくして聞こえた声に事件や事故ではなかったのだと安堵が胸に広がった。 反面、不機嫌な声にまだ怒っているのだと分かる。 「帰って来ないつもりか?」 『出ていけと、鬼道が言ったんだろう』 確かにそうだ。勢いにまかせて心にもない事を言ってしまった。携帯から聞こえる豪炎寺の声が何だか悲しい。 「昨夜は俺が悪かった。お前の気持ちも考えずに酷い事を言ってすまない」 豪炎寺からの返答はない。けれど、自分には謝罪以外の方法が思いつかない。そのまま正直な気持ちを伝え続ける。 「今日、豪炎寺から連絡がなくて何かあったのかと心配だった。昨日のお前の気持ちが漸く分かった」 『……』 「豪炎寺が居ないと落ち着かないし、寝るのも寂しい。帰ってきてくれ」 ありのままに話し返事を待っても、沈黙以外返ってこない。 何か違和感を感じる。豪炎寺とは何度か喧嘩もしたけれど、いつも誠意を持って謝れば許してくれた。無反応なんて事はなかった筈だ。 「豪炎寺、何とか言ってくれないか?」 『……』 「頼む」 尚も続く沈黙を辛抱強く待っていると、やがて諦めたのか溜息交じりに豪炎寺は話し始めた。 『分からないんだ』 「何がだ?」 『鬼道は本当に俺を好きなのか、最近ずっと考えていた。遅くに帰ってきて満足に会話もせず眠るお前を見ていたら、俺はただの同居人……いや、使用人程度の存在じゃないかと思った』 「違う、そんなふうに思ってなどいない!確かに最近の家事はお前に任せきりになっていたが、使用人だなんて……」 ゾクリと嫌な感じがした。 最近ずっと考えていた?豪炎寺は何を言おうとしている。 『最後に触れあった日を覚えているか?』 「それは……」 言われてみれば、最近は豪炎寺に触れた記憶がない。疲れて帰って、眠るのが精一杯だった。 『分からないだろう?そういう事だ』 「待て、違う!最近はちょっと疲れていて…っ」 ざわざわと胸騒ぎがする。頭の中で痛いくらい激しく警鐘が鳴り響いて。 『無理しなくていい、お前は俺が居なくても平気だ。鬼道は1人で何だって出来る』 1人? 「豪炎寺、何言って…」 『鬼道に俺は必要ない。むしろ、昨日の様に傷つけ合うくらいなら』 駄目だ、この話の流れは完全に──。 『もう別れよう』 別れる?豪炎寺と俺が?何故? 「嫌だ」 つい即答してしまう。あり得ない、豪炎寺と別れるなんて考えた事もない。中学の時に気持ちを伝え合って、様々な障害も乗り越えて来た。常に傍にあり続けたいと思っていたのだ。 こちらの動揺などお構い無しに、豪炎寺は話を続けていく。 『このまま一緒にいても、お互いの為にならない』 「待て、豪炎寺はもう俺に愛想が尽きたのか?だからそんな事を言うのか」 豪炎寺に嫌われたなんて、正直考えたくない。 『違う。けれど一緒にいても鬼道に必要とされてないと感じるんだ』 「必要だ、必要に決まってるだろう!」 もう必死だった。豪炎寺を失いたくない一心で、なんとか離れかけた心を取り戻そうと訴え続ける。 言葉を尽くし、懇願して。思いの丈をぶつけると、少しの間の後、豪炎寺がポツリと呟いた。 『俺が昨日何であんなに怒ったのか分かるか?』 「それは、俺が帰りが遅くなったのに何も連絡をしないで、豪炎寺に心配をかけたからだろう?」 『やはり分からないんだな』 電話の向こう側から、落胆の溜息が微かに聞こえた気がした。 「な、何がだ……」 『誕生日、だ』 「!」 豪炎寺の誕生日。すっかり忘れていた。 『自分で言うほど惨めな事はないな。別に欲しい物などなかったが、せめて一緒に居たかった』 自嘲ぎみな声が胸に痛い。 表には出さないようにしているのだろうが、気配で分かる。豪炎寺を深く傷付けた。 「豪炎寺すまない!今からでも…」 『いいんだ、もう過ぎた事だ。取り敢えずお互い暫く距離を置いた方がいい。冷静に考える時間が必要だ』 過ぎた事では片付けられない。豪炎寺は俺の誕生日に「一緒に祝えて嬉しい」と笑って、プレゼントまで用意していてくれたのに。 気に入るか分からないが、とはにかんだ顔を思い出す。 昨夜、豪炎寺はどんな気持ちだっただろう。静かな部屋で独り俺を待ち続ける姿は、考えただけで切なくなった。 駄目だ、このままでは絶対に駄目だ。 「豪炎寺、今どこにいる」 こちらの声の変化を感じとったのか、豪炎寺が訝しげに呼ぶ。 『鬼道?』 「今、どこだ」 『別にどこだって関係ないだろう』 「距離なんて置かない。迎えに行くから場所を言え」 絶対に別れない。それに、こんなに豪炎寺を傷付けたままにしたくない。 『来る必要はない』 「別れない。俺は豪炎寺を手放すつもりはない」 強く告げれば、狼狽えたような様子が感じられる。 『……っもう気持ちもないくせに、手放したくないなんて卑怯だ』 「豪炎寺がもう俺を嫌いだと言うなら仕方がないが、俺には豪炎寺が必要だし気持ちがなくなるなんて事あり得ない」 『嘘をつくな……』 弱々しくなっていく声が、我慢していたのだ、虚勢を張っていたのだと如実に表していた。 「電話じゃだめだ、直接会って話したい。目を見て直に向かい合わなければ伝わらない」 『会いたく、ない』 「会いたい」 豪炎寺に会いたい。きっと泣いている。抱き締めて謝って、安心させてやりたい。 いくら断っても俺が引かないと気付いたのだろう。 『………実家にいる』 小さな声は擦れていて少し涙交じりに聞こえた。 「すぐ行くから待ってろ」 そう豪炎寺に言い置き通話を切ると、すぐに鞄の中の車のキーを手繰り寄せた。 ←→ |