a liar




「鬼道、俺好きな人が出来たんだけど」

朝、登校途中で一緒になった円堂が、突然何の前フリもなく言ってきた。

「好きな人?」

「そう、好きな人」

「……そう、か」

平静を装って返事をしたが、内心は突然の告白に酷く衝撃を受けていた。

じわりと痛む胸と、震えてしまいそうな声を何とか抑えつつ、出来るだけ自然に笑って。

「良かったな。頑張れ」

それだけ答えると円堂から視線を外し、歩く速度を早める。動揺を悟られない内に、早くこの場から立ち去りたかった。

「えっ……それだけ?…って、鬼道…待てよっ!」

「すまない、少し用事があって急ぐんだ」

何か言いかけた円堂を振り返りもせず無視して、足早に先を急ぐ。本当はこんな不自然な態度をとりたくなかったが、やむを得ない。

こんなに惨めな表情は、ゴーグルでもさすがに隠しきれないだろうと思ったのだ。



*



朝、円堂に言われた事がぐるぐると頭の中で繰り返されている。

好きな人が出来た。

円堂は、きっと俺に相談したかったのだろう。でなければ、わざわざ俺に明かす意味がない。

けれど相談なんて、上手く答えてやれないだろう。きっと心から祝ってやれないし、普通に笑えない。それどころか、下手をすれば醜い自分が顔を覗かせる様な気がした。

円堂の恋が上手くいかなければいい、と思ってしまいそうな自分がいる。


嫉妬だなんて、醜い。


相談は、女子にモテる豪炎寺にでもしろと言えば断れるだろう。

円堂とは今まで通り親友でいい。これ以上は、元々望みなんてなかったのだと、自分に言い聞かせながら午前中を過ごした。



午後の授業も、全く集中出来なかった。

円堂の好きな相手を、自分の知る限り思い浮かべては落ち込んで。
雷門か、木野か…それとも久遠だろうか。自分の知らない、他の誰かの可能性だってある。

きっと、相手が誰でも円堂なら上手くいく。円堂に好かれて、断れる奴なんているだろうか。

言葉ひとつでこんなに胸が苦しくなるなんて、自分にとって円堂は、本当に大きくて大切な存在だったのだと改めて痛感した。



*



いつもより長く感じた部活が終わると、逃げるように部室を出た。円堂に捕まりたくない。

いつもは部室で書いている日誌を、わざわざ自分のクラスの教室で書く。誰も居ない教室は少し薄暗くて、文字が見辛いのでゴーグルは外した。

今日は監督が不在で、いつも通りの基礎練習をした。活動内容の欄に"通常通り"とペンを走らせた時、ポタリと落ちた水が、たった今書いた文字を滲ませてゆく。

何だ?

しかも滲んだ文字だけじゃなく、視界自体が霞んでよく見えない。

目元に手をやり、生ぬるい液体に触れてようやく分かった。

ああ、俺は泣いているのか。

涙を抑えることも出来ないまま、今日の自分を振りかえる。

"通常通り"、なんかじゃなかった。

正直、円堂を意識してばかりで今日の部活中の記憶なんて、殆どない。

緊張した。こわかった。つらくて、集中出来なくて。

そんな自分が、嫌だった。

次々溢れて落ちる涙に、ぱたんと日誌を閉じる。このままだと、濡れてぐちゃぐちゃになってしまう。

泣くなんて、久しぶりだ。久しぶり過ぎて、涙の止め方を忘れてしまっている。

「………っ…」

出来るだけ声を押さえて、飲み込むように。

失恋で泣いているのか、サッカーに集中出来なかった情けなさで泣いているのかは、分からなかった。

机に軽く俯せていると、不意にガラリと教室のドアが開いた。驚いて顔を上げれば、そこには息を切らした円堂が立っていた。

「…やっと、見つけた…!」

「…えん、どう…?」

「鬼道、話が……って、どうしたんだよ、何かあったのか!?」

泣いている俺に驚いた円堂が、慌ててこちらへ来る。今、1番会いたくない相手だ。急いで目元を拭い視線を逸らす。

「……っ別に」

「別に…って、どっか具合でも悪いのか?」

「大丈夫だ、何でもない」

お前には関係ないと、突き放すように告げる。
出来れば、今はそっとしておいて欲しかった。

「でも…鬼道、泣いてるじゃん…」

「……話とは、何だ」

さっさと用件を言えと、目の前に立っている円堂へ促す。息を切らして探しているくらいだ、余程重要な用件なのだろう。
やや躊躇しながらも、円堂が口を開いた。

「……朝、好きな人ができたって言ったろ?」

また、その話。

「用件はまさかそれか?俺はその手の話に向いていない。相談なら、豪炎寺あたりにしてくれ。俺はもう帰るから…」

いい加減にして欲しいとの気持ちから、少し棘のある言い方になってしまう。帰ろうと机の横の鞄に手を掛けると、やけに暗い声が落ちてきた。

「鬼道は、俺に好きな人が出来たら嫌いになるのか?」

「は…?」

円堂の声が、微かに震えている。

「今日、ずっと俺の事避けてたろ?」

たしかに避けていたが、円堂は別に普段と変わらず笑っていた様に思う。

「俺のプライベートなんかどうでもいい、…っていうかむしろ関わり合いたくないって事か?」

円堂が、若干苛ついているのを雰囲気で感じる。こんな円堂は珍しい。……それに、少しこわい。

「気のせいじゃないか?俺はいつも通り…」

その時、円堂にギッと睨まれた。ビクリと思わず身体が揺れてしまうほどの激しさに、言葉が詰まる。

「朝、話が途中なのに聞いてくれなかっただろ。部活中に何度も話しかけようとしたけど、全部聞こえないフリされた。目もわざと合わせないようにして、今だって俺と会いたくないから、こうやって教室で日誌書いてる!」

「な…」

あまりの円堂の剣幕に、反論が出来ない。全部言う通りだが、ここまで怒らせていたとは思わなかった。

「何で、だよ…」

拳をぎゅっと握り締めた円堂を見て、反射的に殴られる、と思った。そのくらい円堂は鬼気迫る顔をして、俺を見下ろしていて。
スッと円堂の手がこちらに伸ばされ、思わず肩を竦めて目を瞑ってしまった。

暫くギュッと瞳を閉じていてもどこにも衝撃はなく、そっと目を開けると、そこには酷く哀しそうな表情の円堂が力なく手を下ろして立っていた。

「え、円堂…?」

「俺、鬼道を殴ったり…しないよ……」

「……あ…」

傷付いた声が、胸に響く。痛い。

「鬼道、おれの事……そんな簡単に嫌いにならないでくれよ…」

小さく絞り出された声は掠れて弱々しくて、こちらが驚くほどだった。

「…嫌いに…なんて」

「っ…俺から、簡単に離れようと……するなよ…っ」

「!?」

一瞬感情が高ぶったのか、円堂の声が一際大きく教室に響いた。

「……っ、軽い気持ちで好きな人できたって冗談言ったら…」

「じょうだ…ん…?」

「それ以降、もう俺には興味ないみたいに話聞いてくれないから…っ」

言葉を詰まらせながらも、懸命に訴えてくる円堂は苦しそうに顔を歪めている。

「鬼道、俺の事はサッカー以外全然興味ないんだな……」

「ち、違う、そうじゃないっ」

誤解だ、全然違う。

「……こんな簡単に俺…嫌われちゃうの…か…」

「違うんだ円堂、すまない…」

下を向いたまま、どんどん小さくなる声を聞いているのが辛くて、椅子から立ち上がり円堂を慰めるように抱き締める。

まさか、円堂を傷つけるつもりなんてなかった。自分の事でいっぱいいっぱいで、円堂の気持ちまで配慮が出来なかった。

腕の中で、円堂がポツポツと話し始める。

「俺さ…好きな人が出来たって言ったとき、鬼道がちょっと困ればいいなって思った」

困る?

「鬼道の困った顔が、見たかったんだ。だから嘘ついた…ごめん」

どうして円堂に好きな人が出来たら、俺が困ると思ったのだろう。普通は驚く、とかじゃないだろうか。



まさか。



思い至った結論を確かめる為に、円堂に質問をぶつける。

「円堂、俺にも好きな人が出来たんだ」

「え……」

「友人として、喜んでくれるか」

「…え?…えっ…?」

俺の恋愛を、お前は親友として喜べるのか?

円堂の困惑した表情を、じっと見つめる。

「あ……、…っ喜べ…ない…よ」

「……」

「全然っ……嬉しくない!」

嬉しくない、なんて。

円堂本人には自覚症状がない。けれど、それはきっと嫉妬と呼ばれる感情で。



嫉妬されて……嬉しい。



まだ確信は持てないけれど、少しくらいは期待しても良いだろうか?親友以上に想われている、と。

「円堂、もう遅い。帰るぞ」

「えっ、鬼道の好きな人の話はっ?」

「秘密だ」

朝の仕返しだ。もう少し、困った顔を見ていたい。

「秘密って……。…あ、好きな人なんて嘘だ、なぁ嘘だろ?」

「さぁな」

俺を久しぶりに泣かせた罪は、償って貰おう。

嘘だって言ってくれよ、と半分泣きそうになりながら執拗に聞いて来る円堂に、適当な返事をしながら。


軽くなった足取りで教室を後にした。




END





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