*



鬼道が来なくなってから、部室の鍵を開けるのは俺の役目になった。


毎朝、特にする事もなく他の部員が来るのを、ただぼんやりと待つ。
静かな部室に1人立てば、こんなに広かっただろうかと思った。
いつも鬼道がファイルを見ていた机にそっと触れると、脚が歪んでいるのかガタガタと揺れる。


鬼道はもう来ないのだと認めるのは、つらくて、哀しかった。

毎朝部室のドアノブを回す度、今日こそは居るのではないかと期待して、裏切られる。

キスを断った時、何故かこうなるとは考えなかった。
鬼道の優しさに、無意識に甘えていたのかもしれない。あの位で絆は壊れない、今まで通りの関係でいられると、勝手に思い込んでいた。



けれど、こうして2人きりになるのを避けられている。



明確な拒絶。ついこの間まで、あんなに近くにいたのに。

今更思う。

他愛ない話をしたり、鬼道のページをめくる指先を眺めたり、視線が合ったら小さく笑ったり。


鬼道と2人きりの、あの時間が好きだった。


ゆっくりと腕をさすりながら、あの日の事を思い出す。
腕に掴まれた時の痕が残っていると気付いたのは、朝練の後だった。あの鬼道が、こんなにも余裕を無くしていたのか、と。

最後の苦しそうに微笑んでいた鬼道の表情が、いつまでも頭から離れなかった。


*


もう家に着くという所で、部室に忘れ物をした事に気が付いた。明日提出の書類で、親のサインと印鑑が必要な為、取りに戻らざるを得ない。

仕方なく急いで学校に戻ると、誰もいない筈の部室は開いていて、そこには鬼道がいた。いつもの机で1人真剣にファイルを見ている。


かなり、ショックだった。


自分と朝に会いたくないから、一緒に居たくないから、部活後に残ってまでファイルを見ているのだ。

ドアの開く音に鬼道は顔を上げ、一瞬目を見開いた。

「!……豪炎寺、忘れ物か?」

「ああ……」

「……」

鬼道は視線を合わせないまま、居心地が悪そうにしている。早く出ていって欲しいと雰囲気で感じられ、胸が痛い。

そんなに嫌なのか?目を合わせない程に?


あんなキスをした癖に。


「……こっちを見ろ、鬼道」

「豪炎寺?」

「お前は、酷い…」

目を瞑らせて、キスに慣らして、恋人のように口付けて。


鬼道は俺を変えてしまった。


なのに今更突き放して、こんな気持ちにさせるなんて。

「朝、何で来ない?」

独りになってからずっと苦しかった。寂しかった。

それは、キスを拒まなければ良かったと思う程に。


こんなに鬼道を好きになってしまったのに。


「もう……、俺が嫌いなのか?」

声が震える。

違うと、いつもの様に目を閉じろと言って欲しい。

俺の言葉にやや驚いた鬼道が、困惑を隠しきれないまま口を開いた。

「お前と2人きりでいたらまた、してしまう。いや、もうあれでは足りない。だから……」

距離を置かせてくれ、と少し俯いて話す鬼道はやはり苦しそうで。またその顔だ。

「足りないなら、鬼道が満足するまで好きにしていい」

「…!」

鬼道が弾かれた様に顔を上げる。こんな事言うなんて、自分でも驚いている。でも。

「だから……、傍にいてくれ」

「意味わかっているのか?」

「……ああ」

鬼道が席を立ち、こちらとの距離を詰める。黙って立っていると、トンと心臓の辺りに触れられた。

「豪炎寺の全部が欲しい」

「……っ」

「それでも構わないのか?」

鬼道の赤く鋭い瞳が、キスだけじゃない、身体も心も欲しいのだとハッキリ告げていた。

「……かまわ…ない」

呟いた途端に引き寄せられ、親指で唇をなぞられる。


キスされる。され、たい。


「後悔するなよ」


まるで奪うように荒々しく口付けられながら、もう目を閉じろとは言わないんだな、と思った。


*


「……っ、ん…、きど……」

長い口付けは止むどころか、深く、甘くなっていった。もう最初の荒々しさはない。

「っ…何だ…?」

「は、ぁ…、キス以上は、しない…のか…?」

キスの間中、気になっていた事を聞いてみた。鬼道はこれで満足なのだろうか。

「な…っ」

「俺は……てっきりもっと先までしたいのか、と…」

どうかしたのだろうか。
鬼道の動きがピタリと止まり、やけに顔が赤くなっている。こんな鬼道は珍しい。

「…っ、我慢しているに、決まってるだろう!」

「どうして、我慢するんだ?」

鬼道の好きにしていいと言ったのに。

「……っ、場所も場所だし、準備とか…色々とあるんだ。お前だって、初めてでつらいのは嫌だろう」

なるほど、準備がいるのか。知らなかった。

「つらくても、鬼道がしたいなら俺は別に構わないが…」

「っ!」

「すまない、知識不足で。何か協力できる事があれば……」

「……っ、こ…れ以上煽るな!」

「…?あ…あぁ、わかった」

よくわからないが鬼道は我慢していて、それは俺の為でもあるらしい。なら。

「鬼道」

「…何だ」

「ありがとう、鬼道は優しいな」

「……っ!!?」

お礼を言っただけなのに、ぎゅっと痛いほど抱き締められる。
鬼道は大袈裟だな。

「どうした?」

「豪炎寺、頼むからもう喋るな。……色々と保たない」

何故か焦っている鬼道に喋る事を禁じられたので、仕方なく。



挨拶ではない、キスをした。




END



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