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それに俺は友香里の兄貴で謙也の友達やから、二人になんかあった時、中立の立場に立てる思た。
「ほな、そうなった時はよろしく頼んますわ、『にいさん』」
「ちょ、『にいさん』とかやめてや。今まで通りでええからな」
口調がわざとらしかったから本気やないってのはすぐ分かったけど、あまりにも違和感を感じるその言葉に俺はそう言うた。謙也も当たり前やろとか言うて笑っとる。
――そんな感じで謙也と会話を続けて。喋りながらでも二人で少しずつ手ぇつけてたから、寿司はどんどん減っていつの間にかなくなった。
なんや味わえたって感じはあんませぇへんけど、腹も膨れたし、かなり旨かったことは確かや。
寿司が空っぽになったら今度は謙也が飲もうや言うて、チューハイ持ってきて。酒はこの前の暴走があってあんま気乗りせんかったけど、プルタブ開けて渡されたら、俺は断ることも出来んで、
「おおきに」
謙也からチューハイを受け取った。
「……どないしたん?」
やたらと感じる視線。
謙也がじっとこっちを見とるもんやから、何かあるんかと思て聞いたら、
「いや、何もあらへんよ」
て笑顔で返されて。謙也はそのままチューハイに口をつけたから疑問は残ったものの、俺もチューハイに口つけてひとくち飲んだ。
ゴクリと冷たい感触が喉を通る。
「あー、でもなんか変な感じやな……。謙也とこんな風に、酒飲みながら喋る日が来るなんかさぁ」
机の上に缶を置いて、俺は再び喋り始めた。
「せやな。俺もちょっと……変な気分やわ」
「やって謙也。お前、高校入った途端全然連絡取れんようなったやん? あれでもう、俺らの仲は終わってしもたんかなて思っとったわ」
ホンマにそう思た。
謙也とはクラスもおんなじで、親友と呼べるポジションにおったけど、それは毎日顔を合わせてた中学までで。高校進学してバラバラになったら、俺らの関係は脆くも崩れ去った。
あんま思いたないけど、友達なんか結構その場限りや。環境が変わったら、そっちの知り合いばっかりになってしまうんは当然のこと。こうなることは覚悟しとったけど、謙也といざそうなってまうとやっぱり淋しかった。
いくら待ってもメールの返信はこおへん。
電話掛けても留守電ばっか。
その内連絡することも忘れてしもて、俺は新しい生活に溶け込み、謙也との友情はホンマに終わってしもたと思った。
やからこそ、今こうして謙也と話せとることが不思議で堪らん。しかも何の隔たりもなく、まるで中学時代に戻ったみたいに話せとるから余計にや。
「あん時は……ホンマ悪かったて思っとる。高校馴れんの、必死やってん……。ただでさえ俺は、ギリギリの実力であの学校入ったから、授業についていくんも必死で……ホンマ、色々あってん」
謙也は部活を秋に引退してから、人が変わったみたいに勉強し始めた。親が行け行けて勧めとっても、嫌やて言い続けてきた塾にも通い始めて、謙也の実力はどんどん伸びていった。学校の成績は俺の方がよかったけど、模試の結果でいうたら謙也の方がようなってきた。
そんで謙也は、俺らの学区で一番の偏差値を誇る進学校への受験を決めて。それゆえ周りは無理無理言うてたけど、謙也は見事――合格。
俺らテニス部レギュラーは、謙也の頑張りを知っとったから、謙也の合格を中心に皆の合格祝いをした。
今考えたら、謙也に最後に会うたんはこの時やったと思う。
合格出来たら出来たで、その後が大変や、頑張れよて、謙也は先生からよう言われとったけど、どうやらホンマやったらしいな……。俺も噂であの学校は勉強面に関してはヤバいと聞いてたけど。
謙也の声のトーンが暗なって、あんま触れられたくない話題やったんかと俺は後悔した。何気なく、何も考えんと振った話題や。
「落ち着いた時にはもう、時間経ち過ぎててな……連絡しにくかってん」
「ええねんて。それはしゃあないやん。お前の出身校、かなりの進学校で有名やったし」
「……まぁな。勉強はめっちゃしんどかったけど、あの学校のお陰で医学部行けたようなもんやし」
あ、上手いこと逸れた。
思いっきり話題変えるんもアレやし、謙也の嫌なとこに触れんようにしたらええだけやから、しばらくはこの話題でいくか。
それに謙也の出身校には、仕事柄ちょっと興味ある。
俺は気になっとったことを、この際やからと聞いてみた。
「アレ、ホンマなん? 一年の時から予備校行ってな授業についていけんてヤツ」
「あぁ、ホンマやで。俺も行っとったし。それに学校で教科書は一応買うけど、レベルが低いとかで全然使わへん。学校が用意したプリントで授業やで」
……噂以上の学校。
「しかも進路調査が異様に早うてな。俺一年の時、私大の医学部、進路調査票に書いたら志が低いて怒られたわ」
「医学部て……私大やったとしてもかなり偏差値高いやないか」
「まぁ、せやな。でもあの学校からしてみたら私大のそこは低いねんて。狙うんやったら国公立の医学部にしろ言われた」
「……」
なんちゅー、レベルの差。
俺の勤めとる学校も、通とった学校も、そこそこええとこやったから謙也の言うてることはまるで次元がちゃう。
そうなることが当たり前な言い方。
俺の勤め先で、現役の国公立医学部生が出たとしたら垂れ幕モンやで。
「志高く……的な? 目標が高い方が最低でも四大学には引っ掛かるし。勉強頑張って損なことはないなぁ」
「うわぁ……それ俺の生徒に聞かしてやりたい」
世の中にはこないな風に勉強しとる高校生もおるんやで、せやからしっかり勉強せぇと無性に生徒に言いたなった。
「そないに勉強せぇへんのか、近頃の高校生は」
「言い方、親父臭いで謙也。ちゅーかお前の学校が特殊なだけやて。普通の高校生はテスト前にしか勉強せぇへん」
俺自身は、中学時代と変わらず高校も毎日勉強しとったけど、周りと勤め先の学校見てみたらそんな感じは全くしぃひん。テスト前だけ、熱心に問題集開いて勉強しとる姿が見受けられた。
「全くせぇへんヤツとかもおるで」
中には、テストやいうのに教科書すら読まんヤツとかおる。
「そんなん絶対有り得んわ。順位争いとかはあんまなかったけど、みんな自分の為に勉強必死にしとったわ」
「謙也も勉強しとったんか?」
国立の医学部に現役で通った男やねんから、そらもう勉強頑張ったんは分かるけど、俺が話の流れで聞いてみたら、
「いや、俺言うたやん? 俺、予備校行ってたって。予習とか復習とかで、もう俺の高校生活いうたら、勉強、勉強、勉強づくしやったでホンマ」
当時の苦労が滲み出たような声で、謙也はそう言うた。
「けど無心で勉強出来たから、他のこと考えんで済んで楽やったかな……」
「他のことて?」
「まぁ……色々?」
はぐらかすように謙也はニコッと笑て、手にしてたチューハイをグィっと飲んだ。つられるように俺も一口飲んで、話に一息入れた。
「――白石?」
最初は俺がよう喋ってたから、次は謙也の番てことで。謙也の研修医時代の苦労話とか、大学時代の思い出話とか、そないな話に俺は相槌打ってほぼ聞き手に回った。
やからやろうか……。
あんま喋ってのうて頭が動いてへんからか、強烈な眠気が襲ってきて。知らん間にウトウトしとった俺は、謙也の声にハッとさせられる。
「え……何?」
「え、ちゃうわ。白石、めっちゃ眠そうやで?」
「……すまん」
目ぇ擦ってみたところで、眠気は晴れへん。
眠いっちゅーことはもちろん寝不足やからやと思うけど、昨日は十分寝た筈やし、時刻は午後11時、まだ寝るような時間やない。
俺にとってはかなり原因不明の眠気やった。
「白石、眠いんやったら寝てくれてええで? 疲れとんのやろ。今日週末やし」
そう言われたらそないな気もするけど……ホンマ分からん。とりあえずかなり眠いことだけは確かやった。
眠いけど。眠いことは眠いけど、せっかく謙也と話す機会が出来たのに、ここで終わってまうとか絶対嫌やった。ちょうどええ感じに酔うてきてんのに、テンションだだ下がりやわ……。
「謙也……コーヒーあるか? ちょう眠気覚ましに飲みたい」
「…無理せんでええて。遠慮はいらん」
「いや、大丈夫。まだ11時やんか……全然行けるて」
カフェイン取ったら多少はマシになるやろと思うけど、こう言うてる間も呂律が回らんで、眠気としてはホンマヤバい。
「……冷たいヤツしかないけど、ええか?」
「おぉ……スマンな。濃いめで頼むわ」
ソファーを立った謙也の後ろ姿が、二重にも三重にも見える。気ぃ抜いたらマジ寝そうや。
「はい」
またウトウトしてたみたいで、俺は謙也の声でハッとさせられた。ご丁寧に氷も入っとって、俺の要望通り、謙也は9対1ぐらいの割合でコーヒーと牛乳をいれてくれとる。
おおきに言うてからコーヒーに口つけて、口にした瞬間、あまりの苦さに顔をしかめたけど、目が冴えてくような気がした。
「あー……これでちょおマシになったかも……」
「そらよかった。せやけど眠かったらホンマ寝てくれてえぇねんで? 明日もあるんやし」
「朝とか……一番盛り上がんのはこれからやんか。ホンマ大丈夫やから、ただ眠いだけなんやし」
「けどな、」
「ホンマええねんて。ほらほら、飲もっ!」
謙也の気を逸らすようにチューハイ飲んだら、コーヒーの味と口ん中で混ざってえらいことになったけど、俺は笑ってみせた。
「……白石がそこまで言うんやったら、俺はもうなんも言わんわ」
謙也の言葉に俺はうんうんと頷き返して。控えめにしよう思ってたのに、いるかと聞かれて二本目に手ぇ出してしもた。
二本目になるチューハイを飲みながら、寝てまわんように、ようさん喋った。
――せやけど、
「白石……? 白石っ」
やっぱりアカンかった。
カフェインも、効いてると感じたんは飲んだ直後ぐらいで。しばらくしたら瞼が落ちてきて、眠うてしゃあななってきた。
「白石……俺のことはホンマ気にせんでええから、ホンマ寝てくれてええで?」
今度ばかりは、謙也の言うことに甘える他ない。
呂律は回らんし、謙也と喋ってる最中に寝そうになる始末やった。
「……分かった。めっちゃ悪いんけど、ちょっとだけ寝させてもらうわ……」
俺は体勢を変えて、そのままソファーの上に横になった。三人掛けぐらいなんやろか。結構でかいソファーやけど、俺の体が収まるほどでかくはない。俺は体を折り曲げて、眠りの体制に入った。
「布団用意しよか? 寝にくいやろ」
「いらんいらん。ちょっと寝るだけやから。布団なんか用意されたら本気で寝てまうやんか」
そう。仮眠程度に寝るだけや。
根本的な眠りは解決されんやろけど、1時間も寝たら頭はスッキリするやろう。
「謙也、悪いけど……1時頃には起こしてくれへんか? あんまり寝てまうのはアレやし、ホンマに寝てまうし」
「あぁ、別に構へんで。白石が寝とる間、俺はテレビでも見とくわ」
そう言うて謙也は、リモコンを手に取って薄型のめっちゃでかいテレビを点けた。謙也は俺に気ぃ遣て、聞こえるけど気にならんぐらいの音まで、テレビの音を下げてくれる。
せやから目を閉じればどんどん意識は遠なって、俺が眠りに堕ちるのに、そないに時間は掛からんかった……。