侑士と電話を交わしてから、数日が経ったある日の放課後。
 今日は部活がオフの日なので、家でゆっくりしようと謙也が帰り支度を整えていると、

「謙也」

 背後で、自分を呼ぶ声がした。
 聞いただけで誰のものか分かる。
 全身の筋肉が強張り、教科書を詰める手が止まった。

「なんや、白石」

 振り返り、その姿を確認する。精一杯の笑顔を、顔に張り付けて。

「今日部活ないやんか……一緒に帰らへん?」

 ほんの少し躊躇った後、そう切り出した白石。
 白石に『一緒に帰ろう』なんて誘いを受けるのは久々だった。だから謙也はただ驚き、咄嗟の言葉が出てこない。

「……千歳はええんか?」

 やっとの思いで出てきた言葉はそれで。
 すると白石は不思議そうに首を傾げる。

「なんで千歳が出てくんねん?」
「お前ら仲ええやん」

 揺るぎない事実。
 胸が苦しくなるくらい、謙也はその現場を幾度となく目撃していた。

「千歳は今日補習みたいでな。残っとかなあかんらしい」

 普段授業さぼっとるからや、と白石は付け足した。
 なんだ、やっぱりそうなのか――
 謙也の中で、千歳の代わりということに落ち込む自分と二人きりということに胸躍らせる自分、表裏一体である二人の自分がいた。
 しばしの間悩み、彼の出した結論は、

「ええで。ほな帰ろか」

 それだった。
 始めから白石の誘いを断ることなんて謙也には出来なかったのだ。
 手早く鞄に荷物を詰め、帰り支度を済ます。白石は嬉しそうに顔を輝かせ、一旦席に戻って鞄を手にすると、謙也と供に教室を出た。






 ――いつからだろう。
 白石と『普通』に話せなくなったのは。
 最初は『普通』に話せていた。白石に好意を寄せていても、謙也は友人としての会話が出来ていた。
 しかし、日に日に白石への思いが大きくなるにつれ、話せなくなった。どうしても彼を意識してしまって、『普通』に話すことが出来ない。
 謙也は白石と、友人として接することが既に出来なくなっていた。
 だが今、それをする訳にはいかない。
 謙也は自分の気持ちにしっかり鍵をかけ、友人として彼と必死に接する。
 白石の振る話題に相槌を打ったり、ありきたりな返事を返すだけのものだったが、謙也にとっては精一杯の頑張りだった。
 階段を下り、廊下を歩いて玄関にと出る。
 謙也と白石はそれぞれの靴箱の前に移動し、上履きを脱いで靴に履きかえる。
 履き終え、謙也は少し離れたところにいる白石に視線を向けると、彼の異変にすぐ気付いた。
 白石は手に――淡いピンクの封筒を持っていた。謙也が目を離した短時間で現れたソレ。
 恐らく白石の下駄箱に入っていただろうそれは、誰が見てもラブレターだった。
 何度かこういう場面に遭遇したことはあるが、今日に限ってなんで……
 お門違いだということは分かっていても、謙也は差出人の女子生徒を恨まずにはいられない。同時に好意を告げた彼女が羨ましくもある。

「なんや白石、ラブレターか?」

 溢れ出てくる想いをグッと堪え、謙也は友人ならば言うであろう言葉を白石に掛ける。
 白石は複雑そうな表情を浮かべ、小さく頷いた。

「誰からや?」

 謙也が近寄り尋ねると、白石は無言で手紙を渡してきた。
 手に取り差出人を見てみれば、それは学年でかわいいと評判の女子生徒からのものだった。

「おっ、すごいやん。流石白石やな」
「……」

 白石は先程から一言も発しない。
 謙也から手紙を取ると、無造作に制服のポケットに入れた。恐らく手紙は白石のポケットの中で、その形を崩している。
 そしてスタスタと歩き始めた白石の後を、謙也は慌てて追った。
 謙也は白石の隣を歩き、気になってることを尋ねる。

「で、どないするんや? 付き合うんか?」

 『普通』だ。
 決して不自然なものじゃない。
 友人であるなら当然聞くであろう言葉。
 けれども、生憎と謙也は『普通』の感情は持ち合わせていない。
 胸に渦巻くは醜い嫉妬の感情。
 謙也は知っている。
 白石は絶対に、

「………付き合わん」

 首を縦に振らない。
 謙也は心の中でやっぱりと呟き、明るく笑って自分の感情をごまかす。

「なんでや? あんなかわええ子と付き合えんねんで? めちゃラッキーやんか」

 心にもないことをよく言えるものだと、謙也は自分を褒めてやりたくなった。
 白石は俯き加減だった顔を上げ、謙也をじっと見る。

「俺、この子のこと全然知らんし。なんで付き合わなあかんねん」

 的を射ているようで射ていない。
 白石のこの言葉を建前で、本当は『他に好きな人がいるから付き合いたくない』――謙也にはそのように変換されて聞こえた。
 誰かに心臓をわしづかみされてるような苦しさ。その内に、白石のペースに合わせて進む足は校門を抜ける。
 通常であれば言えないようなことを、謙也はつい口走った。

「そんなこと言うて……お前、ホンマは好きなヤツおるんやろ?」

 男子中学生なら一度はしたことがあるだろう会話。しかし謙也と白石は、この手の会話は避けるように、極力触れないように生活してきた。

「――…え?」

 途端に、明らかに変わる白石の顔色。
 それが全て物語っているようで、謙也は自分の恋は叶わないものなんだと再認識した。
 謙也の中で、何かが切れた。

「誰や? 言うてみ? 俺絶対誰にも言わんから」
「…好きなヤツなんかおらん」

 白石の態度はいつになく素っ気なかった。これ以上聞くなと、突き刺さる視線が訴えている。
 しかし謙也はやめる気などさらさらない。

「おるんやろ?」
「おらん」
「はよ言えや。楽になんで〜」
「せやからおらんて」
「教えろや白石」
「おらんモン答えるもクソもあらへんやろ」

 ――その後も、似たようなやり取りを何度も繰り返したが、どんなに聞いても白石は口を割ろうとしない。
 余程聞かれたくないのだろう。
 それもそうだ。
 男が男を、好きになるなんて異常だ。その思いを理解しない者が聞けば、気持ち悪いと嫌悪感をあらわにする。白石に思いを寄せている謙也は、その気持ちが痛い程よく分かった。
 だから謙也は言ってしまった。もう、自分が何を言っているのか謙也は分かっていない。

「謙也、自分しつこいで? いい加減にせんと俺―」
「千歳やろ?」

 白石の不愉快そうに寄っていた眉間の皺がとれ、驚きに目を剥く。自分でも驚くぐらい、謙也の口調は冷静だった。
 小さく息を吸い、戸惑う白石にもう一度言う。

「お前、千歳が好きやねんやろ?」

 白石は訳が分からない、という顔をしていた。

「謙也……自分何言うてんねん。俺が千歳を好き? アホ吐かせ。第一、千歳は男やろ」

 しかし謙也にはそれが演技にしか見えない。必死に千歳への思いをごまかそうとしている白石の不安を取り除いてやろうと、謙也は優しく言葉を掛ける。

「隠さんでもええ。別に俺、キモいとかそんなん思わへんし。人が人を好きになんのに男も女もない思う」

 俺も男のお前、白石が好きやし――と謙也は心の中で付け足す。

「せやから気持ち、ごまかすことないねんで? 好きやねんやろ? 千歳が」

 いつの間にか白石は下を俯いていた。
 垂れ下がった薄茶の髪が邪魔でその感情が読み取れない。

「まぁ千歳かっこええもんな。――あ、俺は別に好きとちゃうから安心してや?」

 自然と零れる笑み。
 それは自嘲のようだった。

「背高いし、テニス出来るし……白石が惚れる理由もよう分かるわ」

 本当はこんなこと、言いたくない。
 謙也は幾度となく、千歳と自分を比べたことがあった。その度に自分の方が劣っていると思い知らされて、惨めな気持ちにさせられてきた。
 だが、走り出した口は止まらない。

「お前と千歳やったらお似合いやわ。千歳も多分お前のこと好きやて。――告白してみたらどうや?」
「……」

 白石は何も言わない。
 構わず、謙也は喋り続ける。

「不安なんやったら俺が千歳に聞いたんで? 『白石のことどう思う?』て」
「………」
「あ、これは余計なお世話か」
「…………」
「でも、俺に協力できることあったらなんでも言うてや」
「……………」
「お前の友達として出来る限りのことはしたるから。俺、白石のこと……」

 その時、それまで隣にいた筈の白石の姿が消え、謙也は後ろを向いた。少し離れたところに、下を向いて立ち止まっている白石がいる。
 謙也はどうしたのかと思い、来た道を戻り白石に近付くと、

「……っ!」

 いきなり、白石に突き飛ばされた。
 謙也は当然のことながらバランスを崩し、道に尻餅をつく。
 ――何故、自分が突き飛ばされなければならないのか。訳が分からず、白石の理不尽な行動に流石の謙也も腹を立てる。

「白石っ、いきなり何すんねんっ!」
「……」

 先程同様、白石は無言だ。
 謙也はますます腹を立てた。

「白石っ、お前なんとか言うたら……」

 しかし、次の瞬間謙也は言葉を紡げなくなった。
 ――ポタリ
 雨でもないのに、道に小さな斑点模様が出来る。
 それは白石の目から溢れ出たものだと謙也が気付くのに、さほど時間はかからなかった。
 白石は――泣いていた。

「し、白石……?」

 謙也は立ち上がり、不安に揺れる声で彼の名を呼ぶ。

「………ほ」

 白石の口から漏れた震える声。
 聞こえなくて、え?と謙也が聞き返すと、顔を上げた白石と目があった。
 白石は涙に濡れた、赤くなった目で謙也を睨んでくる。

「しら―」
「謙也のアホっ!」

 謙也の声を遮り、白石は叫ぶように言う。『聖書』と呼ばれる、いつもの冷静な彼はここにいなかった。
 溜め込んでいたものを全て吐き出す。

「自分、ホンマなんも分かってへんわっ! 俺が千歳を好き? 笑わせんなやっ!」

 こんな風に、感情を剥き出しにする白石を見たのは始めてで、謙也は呆然と彼を見つめる。

「いつ俺がそんなこと言うた!? 勝手な想像すんのも大概にせぇっ!」

 ――勝手な想像?
 白石は千歳が好きなのではないのか?  どういうことなのか考える暇もなく、その答えを謙也はすぐ知ることとなる。

「俺が好きなんは千歳なんかとちゃうっ! ――謙也、お前やっ!」
「……え?」

 今――白石はなんと言った?
 白石の言った事が謙也には呑み込めず、頭の中をただグルグルと回る。

「ずっと……好きやった! 謙也が、好きで好きで好きで……せやけど俺は男やから、気持ち悪がられんの嫌で言われへんくて………」

 徐々に弱くなる白石の声。
 止まっていた涙も再び流れ出し、白石の頬を伝う。

「俺が好きなんはお前やのに……それやのにお前、千歳が好きなんやろとか言うし……もう訳分からんわ……っ!」

 謙也は黙って白石の言葉を聞き、なんて馬鹿なんだろうと自分で自分を殴りたくなった。
 だが今は、そんなことよりすべきことがある。
 謙也は白石へと手を伸ばし、

「け…んや……?」

 その体を抱きしめた。
 謙也の肩口に顔を出した白石が驚きに満ちた声をあげる。

「ごめん……ごめん白石……」

 言葉よりも、体が先に動いた。

「俺も……白石が好きや」

 謙也の腕の中で、白石の体が小さく跳ねる。

「う、嘘や…」
「嘘やない。白石のこと、めちゃめちゃ好きや。でもお前は千歳のこと好きや思てたから……俺、ヘタレやから、気持ち伝えられへんかった」

 白石の背中に回す手に力を入れ、強く抱きしめる。

「白石が好き。俺が好きなんは白石や」

 今まで伝えられなかった分、謙也は『好き』を囁く。白石はそんな謙也の言葉に、答えるかのように彼の背中に腕を回した。

「俺……謙也には嫌われてる思てた……」
「…うん」
「話し掛けても素っ気ないし、避けられてるような気ぃするし……めちゃめちゃ辛かった……っ」

 白石の手が謙也の制服を掴む。

「ごめん……ホンマごめんな……」
「……もうええ。謝らんでええ」

 背中に手を回したままだが、謙也は密着させていた体を離し、真っすぐに白石を見た。涙の跡は無数に見えるが、白石はもう泣いていなかった。

「俺ら……両想いやってんな」

 白石の言葉に、謙也はそやなと同意した。互いに想いあってたのに、想いを告げられず行き違い。謙也に関しては『仲が良い』という理由だけで勘違いまでして、かなり恥ずかしい。

「もっとはよ、白石に告っとけばよかった…」

 財前や侑士のアドバイス通りにしていれば、白石をこんなに苦しめなくて済んだ。今更ながら謙也は後悔した。

「ムリムリ。ヘタレのお前には無理や」

 すると白石が楽しそうな声を上げた。

「なんやとっ」
「事実やん」

 自分でもさっき『ヘタレ』と言ったような気がするが、他人(ひと)に言われるとカチンとくるものがある。

「謙也のヘタレは一生直ら―」

 だから閃いた。
 これしか自分をヘタレと言う白石を見返す方法がないと。
 謙也は白石にその顔を近付け、彼の唇と自分のものを重ねた。白石は反抗しなかった。重ねた部分から派生する熱が、体温を上昇させる。
 謙也は顔を離して白石を見ると、普段変態まがいのことを口にするヤツとは思えない程、顔を真っ赤にしていた。
 それがすごく愛しくて、かわいい。

「これでもヘタレ言うか?」

 恥ずかしいのか白石は顔をふぃと背けて呟く。

「謙也のアホ……」




 ――求めていたモノは、すぐそこにあった。





end
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