あいしてやまない
「……っ!」
眼前に広がるのは、目を塞ぎたくなるような悲惨な光景だった。
「なんや、忍足か……ビビらせんなや」
部室の扉を開き、ある一カ所を目にして固まってしまった俺に、そう声を掛けたのはテニス部三年の一人。レギュラーでもなんでもないその人は、ろくに練習にも参加しない俗にいう幽霊部員で、他にいる三人も同じだった。
全員が全員、俺の顔を見るなり安心したように表情を緩め、びっくりさせんなやーとか、先生かと思ったやんけとかいう台詞が口々に聞こえた。
部室に漂うのはいつもの汗くさい臭いなんかじゃなくて……性交の余韻強い、あの独特の香り。
俺が目を向けている場所に気付いたらしい一人が、
「なんや、お前もヤるか?」
精液に塗れ、ぐちゃぐちゃになった――白石の顔を持ち上げた。
虚ろだった白石の目が、俺を捉えるなり大きく見開かれ、
「謙也……っ」
普段耳にしない弱々しい声で俺を呼んだ。
床に飛び散ったボタンが、無理矢理脱がされたことを物語る。
白い……綺麗な肌に残る無数の赤い痕。
――間違いない。いや、否定のしようがなかった。
白石はコイツらに……
「めっちゃヨかったで部長。俺のン喰わえてる時なんかサイコーにエロい顔しよってなぁ……思い出しただけで勃ってきよるわ」
まるで世間話でも語るかのように言ったソイツは、衣服を整えながら立ち上がり、
「そこらへんの女より断然イける。しかも、男とヤったことあんのかええ感じに締め付けてきよるし……ホンマ、これからどう可愛がったろ」
俺に近付いてきて、
「忍足も一回ヤってみぃや。絶対ハマんで」
白石を犯した汚らしい手で、俺の肩を馴れ馴れしく叩いてきた。
その瞬間――
「ぐぉっ!」
俺の中で何かがキレた。
利き手である右手を気にすることなく振るい、力一杯ソイツの顔面を殴った。低い声を上げ床に転がるソイツ。周囲が呆気にとられたのはつかの間で、すぐにピリピリとした空気が漂う。
「忍足っ、お前何すんねんっ!」
俺が殴ったことにより口を切ったらしく、口から垂れる血を拭いながらソイツは体を起こす。下から睨みつけてくるソイツを、俺は冷たく見下しこう言った。
「白石に……俺の白石に、よう手出してくれたな」
途端に見開かれる瞳。どうやら相手が俺だとは思いもしてなかったらしい。
ソイツはしばらくポカンとしていたが、
「なんや、相手お前やったんかぁ……こりゃ傑作やな!」
おかしそうに口角を上げ、笑い出した。ソイツを筆頭に、感染するように広がる笑い声。明らかにそれは、俺を馬鹿にしたものだった。
それに対しては、まるで怒りを感じない。
「あー……おもろ。お美しい部長の相手がまさかお前やったとはなぁ……」
ユラリと立ち上がったソイツを、
「白石に謝れ」
俺はまた殴った。
「忍足っ、お前っ!」
それを合図にしたかのように、他の三人が俺に襲い掛かってきた。俺に殴られたソイツも、バネ仕掛けのように立ち上がり殴りかかってくる。
冷淡に相手を見下ろす一方で、頭の中は怒りで真っ白になっていた。俺は襲ってくる相手をとにかく殴って蹴った。
俺自身も顔を殴られ、腹を蹴られたりしたが、気にすることじゃなかった。
白石が受けた痛みに比べれば――と、俺はただそれだけを思って拳をかざし振るう。
全員、俺の変貌ぷりに驚いていた。
コイツらの中での俺のイメージが、どんなものなのかは容易に想像がつく。
「この……っ」
大方、俺が弱いとでも思ってたのだろう。焦りに滲んだその感情がまさに命取り。動きが単調になるから攻撃を加えやすい。
自分でも分かる。
俺は今、酷く冷たい顔をしている。
人を人とも思わず、恐怖に顔を歪める相手にも手を抜かない。
床に転がる人間達。白石に手を出されては分が悪いので、そんな余裕も与えてやらなかった。
――コイツら殺してやる。
怒りは殺意に変わり、腹を蹴られ、その痛みで強制的に床にはいつくばるヤツにも、容赦なく蹴りを喰わえた。
「やめてや……もう……謝るからホンマ……」
許しを請われたとしても、俺の耳には……俺の心には届かなかった。
唯一俺の心に響くのは、
「――もうええ! もうええから謙也!」
愛しい、白石の声のみ。
見れば白石は体を起こし、辛そうに顔を歪め俺を見ている。白石を思ってしたことなのに、白石にそんな顔をさせてしまっては意味がない。俺は固めていた拳を解き、おそらくリーダー格であろう、俺が最初に殴ったヤツに近付いた。
ソイツの胸倉を掴むと、顔を近づけ淡々と俺は言った。
「……次、白石に手ぇ出してみ。お前ら……ホンマに殺したる」
短い悲鳴を上げ、コクコクと頷くソイツ。しかし、まだ手は放してやらない。気になることが、一つあった。
「まさか……白石の写真とか、撮ってへんやろな?」
カメラは見当たらないが、携帯で撮ってる可能性がある。白石をこれから利用したいのなら、これほどいい脅迫材料はないと思えた。
ソイツの目が気まずそうに揺れ動く。
……思った通り。
俺はより一層顔を近付け、
「出せや」
たった一言、そう口にした。
「出すから……もう……勘弁して…下さい……」
効果覿面だったらしく、ソイツは震える唇で言葉を紡ぐと、ポケットの中から携帯を取り出す。受け取った俺はデータフォルダを開き、目を逸らしたくなるような白石のいかがわしい写真やらムービーを全て消した。
画面を閉じずに携帯をソイツに見せ、
「これで全部やろな? 他のヤツは……撮ってへんやろな?」
床にはいつくばる人間に視線を送り、全員が首を縦に振るのを確認すると、そこでようやく開放してやった。放すと同時にソイツは逃げるように部室を去り、それを追うように、よろめく体を必死に動かして他のヤツも出ていった。
二人きりになった室内。
俺はゆっくり白石に近付き、彼が口を開くより先に、
「――ごめんな白石」
包み込むようにその体を抱きしめた。
先に喋らせてしまったら、白石はきっと無理して笑う。何事もなかったかのように話し、笑顔を作る。
そんな白石は、見たくなかった。
「俺が一緒におったら……こんなことにはならんかった……」
後悔を口にしても、どうしようもないことぐらい分かっている。だが、言わずにはいられなかった。
「ごめん……ホンマにごめんな白石……」
腕の中の白石がピクリと動き、手を俺の背中に回してきた。その手は、その体は、小刻みに震えている。
俺の肩口に顔を埋め、
「………アホぉ……謝らなアカンのは………俺の方や………っ」
消え入りそうな声を発した。
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