思い出したくないモノ





「――誰……?」

 分からんくて、本当に誰か分からんくて、俺がそう口にした時、彼の表情が固まって。
 もう一度「誰?」と聞いたったら、その顔がみるみる歪んで、「嘘やろ白石っ!」と俺の肩を掴んだ彼の手は、大きく震えとった。

 ――その時見えた表情。

 彼は今にも泣き出しそうな、なんとも言えへん悲痛な顔をしていて……それが頭にこびりついて離れへん……






 ――俺は俗にいう記憶喪失というヤツで、家族でさえも分からんかった。
 言葉とか、信号の赤が渡ったらあかんとか、イチたすイチはニとか、人として、常識と言われる類の記憶はある。生活面で困ることはあらへん。学習面に関しても、問題はない。

 記憶がないんは自分のことと家族のこと……そんで周りの人間のことや。俺が今まで培ってきたであろう、人間関係っちゅーモンが、一切分からんようになっとった。
 家族のことは思い出されへんのやけど、やっぱり血が繋がっとるからなんかな、一週間も顔を合わせとったら本能的に理解するようになって。
 この人は母親で、この人は父親で、この人は姉で、この子は妹……思い出せんからぎこちない気はするけど、普通に接っせるようになった。

 せやけど、家族以外はそうもいかへん。

 特にコイツ、

「おはよう、白石っ!」

 忍足謙也は、よう分からんヤツやった。

 白い歯を出し、ニッコリ笑って。
 朝――遠回りらしいのに、学校行くんにわざわざ俺を向かえにくる。今日で確か四日目やろか……。記憶なくして最初の方は、母さんが車で送ってくれてたけど、忍足が来るようになってからそれはなくなった。
 母さんは俺のことが心配で『いつも助かるわ、ありがとう』て言っとるから言えんけど、俺は正直コイツが苦手で、あまりええ気分やなかった。

 コイツ、忍足にとっては始めてやないんやろうけど、今の俺が忍足に『始めて』会うた時、忍足は……泣いとった。正確には泣きかけとったやろか。
 俺が記憶失ったんは車に跳ねられたかららしいから、多分心配してくれてたんやろう。
 ええヤツやってのは分かる。
 そんで俺が『誰?』て聞いた時の、動揺した様子と辛そうな顔から、かなり仲やっちゅーのも分かる。
 印象的過ぎて、忍足の顔見る度にあの顔思い出す程やった。
 仲は良かったかもしれん。せやけど、今は……

「お、おはよう……」

 コイツが苦手でしゃあないんや。

「おはよう謙也くん。今日も蔵を頼んます」

 玄関から出てきて、母さんがそう頭を下げたら、俺はもう何も言われへん。

「いえ、そんなん……。友達やから当然です」

 友達……
 その言葉に俺は、違和感を感じずにはいられへん。
 金髪っちゅー派手な頭に、だらしない格好。俺がどんな人間やったんかはよう分からんけど、忍足とはまるで別のタイプやったように思う。
 言うならば優等生タイプ……ちゅーヤツか?

「そう言うてもろたらありがたいわぁ。ホンマ蔵はええ友達持ったなぁ」
「……」

 嬉しそうに、そんでどっか安心したように母さんは笑う。俺は返す言葉が見つからへん。

「じゃあ蔵、いってらっしゃい。車にはくれぐれも気ぃ付けるんよ」
「うん……いってきます」

 母さんから鞄を受け取って、俺は頷き返したら忍足と一緒に歩き出した。

「――白石、足……もう大丈夫なんか?」

 俺の歩く速度に合わせながら、忍足は俺の隣を歩いて。俺の足に視線をあてて、忍足はそう聞いてきた。

「あぁ……もう大丈夫やで。こうやって歩けてることやしな」

 事故の後遺症はなにも記憶喪失だけやない。足と腕も怪我しとった。幸い、軽いモンやったから、たいしたことはなかってんけど……それでも少しは足を引きずる生活があった。おんなじように腕も、包帯で固定してた。
 それも今はいらんようになって。
 学校にもこうやって通えてんねんから、体の方は大丈夫や。
 何をいまさら……な感じで忍足の方見たら、忍足はよかったと安心したように顔を緩めた。
 その表情に、なんや違和感みたいなモンを俺は感じる。

「せやったら今日の放課後、テニス部の練習……来おへん?」
「テニス部……」

 忍足や家族の話やと、俺はテニス部の部長やったらしい。テニスもかなり強うて、かなりのイレ込みようやったらしいけど……その記憶もない。

 それを悲しいと思う感情さえ、俺にはなかった。分からんモンを嘆くことは出来ひん。覚えてないモンは、覚えてなかった。

 そんでそのテニス部は、俺がまだ入院してた時、一回だけ忍足と一緒に見舞いに来てくれた。
 俺と仲の良かったレギュラーだけやったみたいやけど、忍足ん時とおんなじように誰?て聞いたら、みんな顔を引き攣らせとった。でもそれは一瞬だけで、みんな笑顔を作って自己紹介してくれた。
 忍足とおんなじで、みんな多分ええ奴や。

「みんな白石のこと待ってんで! 金ちゃんなんか、白石おらんとさみしいさみしい言うてるし」

 そんなこと言われても……困る。
 『金ちゃん』言う子も、赤毛でヒョウ柄の派手な服着てたっちゅー、それぐらいの認識しかない。

「顔出すだけでもええねんで。大好きなテニス見たら、白石の記憶……戻るかもしれへんし」

 ――俺が使てたていうテニスラケットは見せてもろた。ご覧の通りの状態やから、言うまでもなく何の効果もなくて……忍足が言うようなことは期待出来ひん気がする。せやけど、感情は取り合わせとるから、こんな風に頼まれたら断る訳にはいかへん。

「分かった……。行くわ」
「ホンマかっ!?」



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