ひとりじめ
「――白石の家来んの久しぶりやな……お?」
言いながら、俺ん家に足を踏み入れた謙也。今日は部活がなかったし、普段謙也の家に、呼んでもうてばっかりで悪いから、学校帰り、俺は謙也を家に誘た。
謙也は二つ返事でOKしてくれて、一緒に家に帰ってきたら、
「よしべえちゃんやんか」
……やなくて、
「エクスタちゃんや」
猫のエクスタちゃんが入ってすぐ、玄関とこで出迎えてくれた。
『エクスタ』みたいなけったいな名前より、こっちの方が似合っとる! 言うて、謙也は俺の飼い猫を『よしべえ』て呼ぶ。
今みたいにエクスタちゃんやて俺が言うても、
「いーや、よしべえちゃんや」
謙也は聞き入れようとせえへん。
しかもエクスタちゃんはエクスタちゃんで、
「おー、ええ子やなぁ」
この名前を気に入っとるらしく、謙也がよしべえて呼ぶようになってから、やたら懐くようになった。
屈んで謙也が差し出した手に、ニャーと鳴いて顔を擦り寄せる。
――本来やったらほほえましい光景の筈やのに、なんでか俺はそれが嫌なモンに見えてしもて……思わずむっとしてまう。
その気持ちをなんとかしとうて、謙也からエクスタちゃんを取り上げようと手ぇ伸ばしたら、
「あ、クーちゃん。おかえりー」
妹の由香里の声がして、そっちの方に意識持ってかれた。
その隙……いうたら変やけど、謙也はエクスタちゃんを持ち上げ、胸の辺りで抱えて。エクスタちゃんは謙也の腕ん中でゴロゴロと気持ち良さそうに喉を鳴らす。
今度はそれに、イラッときた。
「――て、忍足さんやん。こんにちはー」
「お邪魔してます」
謙也の存在に気付いた由香里が挨拶すれば、ペコッて頭下げる謙也。何度かおうたことあるから、謙也と由香里は顔見知り程度ではある筈や。
「へー、珍しい。エクスタちゃんがクーちゃん以外に懐くなんて」
由香里は謙也の腕ん中で、大人しく抱かれとるエクスタちゃん見て感心したように声上げた。
「そうなん?」
……まぁ謙也はエクスタちゃんの恐ろしさを知らんからな。
「せやで。エクスタ、メスやからかも知れへんけど……」
エクスタちゃんの頭を由香里が撫でようとしたら、今まで可愛く抱かれとったのに、歯を剥いて毛を逆立てる。
「ほらな。私が触ろうしたらこないなんねん」
「そうなんや……ていうかメスやったんか……」
エクスタちゃんのあまりの変わりように謙也は素でびっくりしとった。加えて、メスであったことにも驚いとるみたいや。最初に教えた筈やねんけどな。
由香里の言う通り、エクスタちゃんは俺にしか懐いとらん。おかんにも姉ちゃんにも由香里にも歯を剥いて……俺が面倒見るしかなかった。おとんには歯を剥くことはないけど、常にツンの体制でまるで可愛いげあらへん。
俺にしか懐いとらんエクスタちゃん。
――あぁ、もしかして……
さっき俺が感じたイライラは、『俺にしか』エクスタちゃんは懐いとらんかったのに、謙也に擦り寄ったりしたから……嫉妬したんかもしれへん。
今まで俺にしか懐いとらんかったから、エクスタちゃんに対して独占欲がついてしもたんかもしれへんな。
エクスタちゃんがちょっとでも社交的になって喜ぶべきやのに、謙也に嫉妬するなんか……俺も心狭い。
「忍足さんかっこええし、クーちゃんもなんやかんやでイケメンやから、エクスタ、面食いなんかもしれへんな」
由香里が手ぇ引っ込めたら、エクスタちゃんは歯を剥くんやめて、謙也の胸にぴたりとくっつき体を擦り寄せた。
――へ、変やな……。
原因が分かってすっきりした筈やのに……俺のイライラは一向に収まらへん。
それどころか募るばっかりや。
「め、面食い……っ!? お、おおきに……」
面食い言われたんがそないに嬉しかったんか、謙也はほんの少し頬染める。
何照れとんのやお前は。
「――それよか由香里、自分どっか出掛けるんとちゃうん? 時間大丈夫か?」
コートにマフラーっちゅー、いかにも今から外行きます的な格好、由香里はしとったから、俺が聞いたら腕時計の時間見て、
「あ、アカンっ! 行かなっ!」
由香里は慌てて靴を履いた。
やっぱり時間危なかったんか……言うたってよかったわ。
「ほな私出ていくんで。クーちゃん留守番よろしく……と、謙也さんゆっくりしてってな!」
まくし立てるように由香里は言うて、風のように出て行った。
「おー、いってらっしゃい」
聞こえたかどうかは分からんけど、俺は一応言うといた。
由香里がおらんようなって、二人と一匹になった俺達。相変わらずエクスタちゃんは謙也にベッタリで、謙也は謙也で戸惑いつつ喜んどるように見えた。
――なんやねんな。
腹立つけど、玄関で止まっとるワケにもいかんし、
「俺の部屋行こか」
謙也を自分の部屋へと誘う。
そしたら謙也は、
「あー白石、エクスタちゃんどないする?」
腕の中のエクスタちゃん見て、困ったように聞いてきた。
謙也にベッタリのエクスタちゃん。
無理矢理引きはがしたろうと手に掛けたけど、可愛い飼い猫やから乱暴に扱うことは出来ひん。
「しゃあないわ……謙也、そのままエクスタちゃん連れてって」
結局エクスタちゃんは謙也にベッタリのままになった。
「エクスタちゃんも飽きたら、その内離れるやろし……ちょっと我慢してな」
「おぅ。別に構へんで。気に入ってもらえたみたいで、俺も嬉しいし……」
――俺も嬉しい?
謙也の発言に、俺のイライラは酷なる一方や。
まぁ顔には出さへんけど……。
「にしてもクーちゃんか……いつ聞いても似合ってへんなぁ」
人の気も知らんで、謙也は暢気そうに笑みを漏らす。
そいつがまた、俺のイライラに油注いだ。
――謙也が始めて由香里に会った時、何が印象的やて言うたら俺の『クーちゃん』呼びが衝撃やったらしい。
昔からの呼ばれ方やから俺は変や思わんけど、周りからしたらおもろかったみたいや。謙也は結構な人数に言いふらしよって……このネタでからかわれたことを俺は絶対忘れへん。
おまけにセックスん時まで、『クーちゃん』て呼びよって、顔から火出る程恥ずかしかった。家族に馴れ親しまれとる呼び方やからこそ、恥ずかしかった。
……て、そんなことはどうでもええねん!
謙也と一緒にこのまま部屋行こう思たけど、俺が行ったらいっつもしてくれるから、お茶とかお菓子とか出した方がええかな思て、
「謙也、俺の部屋で待っといて。俺、なんか持ってくわ」
台所に行くことにした。
謙也は悪いな言うてから、俺の部屋へと続く廊下を歩く。
俺は原因不明のイライラをなんとかしよう思て、大きく息吸いながら台所に入った。
そんで目についたポテチと、冷蔵庫ん中にりんごジュースあったから、それをグラスに注いで。食器棚から出したお盆に載せたら自分の部屋向かう。
俺は一体、何にいらついてんのやろか……全く分からへん。考えられるとしたら謙也に妬いとることやけど、なんかちゃう気するし。
……まぁ、考えてもそれ以外に浮かばへんから、とりあえずはそういうことにしとこ。
そう心に決めて、
「謙也ー、お待た……」
部屋の扉開けた瞬間、俺の思考は停止した。
「ちょっ、やめぇや、くすぐったいやんか、よしべえちゃんっ」
エクスタちゃんが……
エクスタちゃんが謙也の頬を……
ペロッて……
舌出して……
……舐めよった。
小さい舌出して、なんべんも……
その光景を俺は呆然と眺める。
「あ、おおきにな白石。て、よしべえちゃんっ!」
それまで頬舐めとったエクスタちゃんやけど、その舌が段々唇に寄ってて……そこで俺はハッとした。
零れるとか零れへんとかそんなんどうでもようて、俺は乱暴にお盆を床に置くと、エクスタちゃんを無理矢理謙也から引きはがして、部屋の外にほうり出した。
素早く扉を閉めたら、エクスタちゃんはもう入って来られへん。中に入れてもらおうと、エクスタちゃんは扉をカリカリ引っ掻いて、にゃあて可愛らしく鳴いとるけど、そんなん無視や。
俺はさっきの一瞬で分かってしもた。イライラの正体がなんなんか。
俺は、謙也に嫉妬してたんやなくて――エクスタちゃんに嫉妬してたんや。
エクスタちゃんがあまりに謙也にベタベタするから、俺は飼い猫相手に嫉妬してしもた。
みっともないことかもしれんけど、謙也を取られたみたいでごっつい嫌やった。
例えエクスタちゃんでも、謙也に手ぇ出すんは許さへん。
醜い独占欲が出た。
「ど、どないしたん白石……? よしべえちゃんええんか?」
……エクスタちゃんが悪いねん、俺はなんも悪ない。
謙也の顔見とったら、さっきエクスタちゃんに舐められとったこと俺は思い出して、いてもたってもられんかった。
「ちょ……っ、どないしてん白石っ」
胡座かいとる謙也の前に膝ついて座ったら、謙也の首にしっかり手ぇ回して。エクスタちゃんが舐めとったとこ――謙也の頬に舌を這わして、舐め上げた。
「白石っ、ホンマこそばいって」
身を引く謙也に構わず、俺は謙也の頬を小さく舌を出してペロペロ何度も舐める。
謙也は戸惑っとるみたいやったけど、俺を押し返したりはせんかった。それをええことに俺はエクスタちゃんみたいに、どんどん唇に舌を近付けていく。
2