友雅夢、銀時 | ナノ

夫婦の日


「そろそろ…子も考えなければいけないかねぇ」
「ッ、ごほっ!ごほっ…は、はいっ?」

とある友雅さんの休日。
私の居室で呟いた言葉は聞き捨てならないものだった。飲んでた麦湯で噎せそうになり動揺から一つ咳が出て更に聞き間違えの可能性を考慮して聞き返す。声が裏返っちゃったけど…。

「私も若くないからね…」

脇息に肘を預けてしみじみ言われると何だか物悲しい。けど、なんだって、急に。それにそう言うのは、

「そう言うのは婚姻した男女が考えるものじゃないですか…」
そう、まだ私達、同居しているけど婚姻届は出してないし。ん?でもこの世界って婚姻届出すのかな。

疑問を口にしようとしたとき、友雅さんの表情が凍り付いてるのに気付いた。翠の瞳を見開いて動かなくなってるような…。

「ともまさ、さん?」

私の声にはた、と瞬きして呼吸を再開したみたいだけど視線を落として浮かない顔だ。

「君まさか……いや、説明していなかったか……?」

さっきまで閉じて手元で弄っていた蝙蝠を開き口元隠してしまったけど小さく聞こえてます。
これは不味い事言ったのかな…もしかして……。でも戸惑う友雅さんって新鮮だな。不安もあれど興味も深々。目を離さず見守っていると静かになり、蝙蝠を閉じた。

「千紗、」
「は、はい!」

最近“殿”呼びが抜けて、まだ慣れない。距離が近付いたようで嬉しいけど…。何やら真面目な様子に背筋をしゃきりと伸ばし正座で友雅さんの方を向く。

「こちらの部屋が屋敷のどの方位にあたるか…知っているかな?」
「方位ですか?ちょ、ちょっと待って下さい…」

この世界の人は方忌みだとか何かと方位を気にする。重要そうなクイズに私は記憶を総動員して考える。…ええと、確か…ここに越して来る時やたらと北、北と…女房さん達が騒いでいたような。

「北…ですか?」
「ご名答。そして屋敷に来る前、藤姫に挨拶したのを覚えているかい?」
「ええ、忘れませんよ。物々しい雰囲気でしたからね…」


―――遡る事、三ヶ月程前。

あかねちゃんや天真君達は現代に帰り私だけ引き続きお世話になっていたけど、ついに私も友雅さんのお屋敷に行く事となったあの日。
藤姫は何故か朝から気合い充分に張り切っていた。

「千紗様!藤が立派にやり遂げて見せますわ!」
「え、荷物もないから運ぶ物も少ないし大丈夫だよ」
「そうではありません。御挨拶です。昼前には友雅殿がいらっしゃるでしょう?」
「うん、その予定だけど…」

その煌めく宝石のような瞳に圧倒されてしまったけど、印象的なのは迎えに来た友雅さんとのあの一騎打ちかな。

時折見せる大人びた顔を更に厳しくさせて友雅さんを真っ直ぐ見据えた藤姫は迫力があって隣に居た私もちょっと緊張していた。
「友雅殿…本気なのですね?」
「おや…まるで君が姉君のようだね、藤姫」
「いいえ、千紗様は私のお姉様も同じ…もし千紗様を泣かせたら承知しませんわ」
「藤姫…」

藤姫…そんな風に思ってくれてたんだ。皆がそれぞれの役目を終え急に静かになった土御門殿…一緒に食事をしてても藤姫は何処か寂しそうだった。それは私も同じで、平和になってからは姉妹の様と揶揄されながらしょっちゅう二人でお話したり貝合せしたりと遊んでいたけど…。

彼女が凛として言い放つ姿に鼻がつんとして、目が潤みそうになるのを堪えた。

「約束しますよ藤姫。私とて貴方と同じ位…いや、それ以上に千紗殿を大事に想っているからね」
「友雅殿…。千紗様の事、よろしく頼みます…」

なんでそんな感動する事を二人して言うの…!?
結局、私の涙腺は崩壊した。


……それがそう、もう三ヶ月も前…。
慣れぬ生活に戸惑いながらもいつの間にか冬が来て、庭には浅く雪が降り積もっていた。

「そうだね…あれが、婚前の挨拶だったから藤姫も張り切っていたのだよ」
「……こんぜん」
「そして私の屋敷の北に住むという事は…正妻となった事を表すんだ」
「…え…ええと、つまり、」

結婚してた…ってこと……。

「ええええ!?な、なんで言ってくれなかったんですか!?」
「私の屋敷に来る事を承諾してくれたから、分かってくれているものと思っていたよ」
「それはだって、ただ同居かとっ……じゃ、じゃあ、友雅さんが私を呼び捨てにし始めたのも女房さん達が私を奥方様と呼んできたのも揶揄ってとかじゃなく…」
「そう、私の妻だからだよ?」

とうに呆れを通り越してしまったのか瞳を細めて優しく微笑んで紡がれた言葉にボッと頭から炎が噴き出そうだった。同時に頭を抱える。
私もいつかは…と思っていたのに、もうしていたなんて。知らなかった羞恥と夫婦になっていた喜びが綯い交ぜになって言葉に出来なくなってしまった。

「く…はははっ……ああ、すまないね…でも、今気付いたとは」

堪え切れなくなったと言わんばかりに肩を揺らして笑う友雅さんがいっそ憎らしい。この人が年中甘い言葉を言うせいでプロポーズに気付けなかった…なんて理由通りません、よね。

「う……ごめんなさいっ!京の事勉強してるとか言っておいて結婚に気付かないなんて…っ」

神に許しを乞う様に胸の前で両手を組んで素直に謝る事にした。異世界に飛ばされてきた時から、帰れずここで暮らす可能性を考慮して文化や文字を勉強してたのに恋愛関係はからきし…。

「まぁ、私の説明不足もあったからね。…千紗、こちらにおいで」

とんとん、と膝を蝙蝠で指して彼が言う。もはや逆らえない私は静々と応じる他ない。
近付いて控え目に腰を降ろせば伽羅の香が薫り、真近に迫った長い睫毛の掛かった瞳を覗くのもまだ耐性が付かない。全部に鼓動を早くされてしまう。

「改めて…千紗。私の妻となってくれるかい?」
「う、あ、はいっ……ふ、不束者ですがよろしくお願いします…」
「良かった…では私の子も産んでくれるね」
「あ、話戻るんですね……」



家族が増えるのは、もう少し先のお話。

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