友雅夢、銀時 | ナノ

ホワイトデー


―――遡ること一年前。
私は恋人が居た。社会人になりたての頃からの付き合いで、春からの同棲の約束を交わし、行く行くはこの人と結婚するんだって思い込んでいた。
…しかし、引越し当日。二人で決めた日当たりの良いマンションの一室には一人分の荷物しか運ばれておらず、連絡しようとスマートフォンを見ればメールがひとつ…極々、簡素な文章。

『他に好きな人が出来た。さよなら』

終わりはこうも呆気ないものなのか。一人には広過ぎる3DKの部屋で立ち尽くした、そう遠くない過去―――

その数ヶ月後に私の目の前に現れた非現実的なイケメン…橘友雅さんに出会っても暫くは恋なんてすまいと思っていたものだ。まあ、その、葛藤の末……結局恋してしまったけど。恋は落ちるもの、という言葉を経験してしまったのだから仕方ない、という事にしてほしい。


そんな回想をする間にも時は過ぎ、友雅さんは不慣れながらも古書店員を勤め、私はというと変わりない会社員生活を送り…約束のホワイトデー当日となった。
定時上がりで万事問題なし。家の最寄り駅で友雅さんと待ち合わせてスーパーに寄って、それから……

「よっ、菊井さん。どうしたの、そんなニコニコして」
「へっ、あ、お疲れ様です!わ、私ニコニコしてました?」
「うん」

会社からほど近い駅前の交差点で運悪く同僚の麿山さんにニヤけてるのを見られてしまった…。顔に出やすいのかな、私…気を付けないと。

「ところでさ、この後空いてる?ほら、ホワイトデーだしこの間のチョコのお礼に何か奢るよ!」

同じ部署の女性社員みんなでお金を出し合った義理チョコにそこまで恩を感じて頂かなくてもいいんだけど…麿山さん、彼女に振られたって噂本当なのかな。まさか、私に声を掛けてくるとは…。

「すみません、ちょっと予定がありまして…」
「えー、なになに?菊井さん彼氏いたの?」
「あー、えぇと…そういうんじゃ…」

大して話した事もないのにデリケートな事をズバリ聞いてくるなこの人は…。先程の笑顔と打って変わり取り繕った笑みで言葉を濁しながら目を逸らし向こう側の赤信号を見遣る。もうすぐで信号が変わる。早く、早く青になって…。

がしっ

「え?」

麿山さんに大胆にも肩を掴まれた。反射で一歩後ずさったがそれでも距離が近い。

「彼氏いないなら良いじゃん!俺良いとこ知ってるからさ、飲み行こうよ」
「い、いえ、ですから私このあと予定が…」

あれ?この人、話聞いてた?予定あるって私言わなかった?
信号は青に変わって人が一斉に動き出したのに、その波に乗れず立ち往生。後ろから前から邪魔そうに私達を避けていく人からの視線がいたたまれない。
私の愛想笑いもそろそろ限界だ。

(同じ部署の人と波風は立てたくなかったけど…っ!)

肩に置かれた手を払いのけようとした、その時だった。その手が離れ、聞き馴染んだ声が降ってきたのは。

「千紗、こんな所にいたんだね。…こちらは?」
「…っ!?」

いるはずのない存在を確かめるべく見上げてみると確かに友雅さんで、肩から手が退けられたのも彼がやや力のこもった様子で麿山さんの腕を捕らえていたからだった。その行動とは対照的に物腰柔らかな笑顔なのが少し怖い。

「痛っ…!な、なんなんだよアンタ!」
「友雅さん!あ、あの、その方は同じ会社の麿山さんでっ」
「ああ、失礼…。千紗が嫌がっているように見えたものだから」

私の言葉にパッと解放され、麿山さんは手首を大袈裟に擦りながら二、三歩下がる。

「千紗って…菊井さんやっぱり彼氏いたんじゃん!いないと思って声掛けたのに…くそー!」

そう捨て台詞を吐いて走り出したと思いきや凹凸のあるタイルに足を取られたのか、勢い良くすっ転んだ。心配になって声を掛けようとしたら「やめておきなさい」と友雅さんに先手を打って止められ断念したけど…明日から気まずいな。

「ふう…でも助かりました。ところで…友雅さん、どうやってここに?」
「勿論電車だよ?ほら、」

取り出されたるはチャージ式の交通に便利なプリペイドカード。いつの間にそんなハイテクなブツを手に入れていたのか。電車の仕組みが分かれば確かに、緊急時のため会社の場所は教えていたし先日給料を得た彼は交通費を払えるし、ここに来れるのも納得だ。ただ自慢げにそれを見せてくる様が少し…可愛い。

「ここまで一本で来れるとはいえ辿り着くなんて凄い…!」
「ふふ、駅の中というのは入り組んでいて苦労したが、何とか千紗殿と会えて良かったよ」

本当に凄い…私の手助けなしで電車に乗れるなんて思わなかった。また寂しさに僅かに心が痛むけど友雅さんがこの世界に慣れるのは良いことだ。
というか…千紗殿?…そういえば、さっき麿山さんと居る時は“殿”付いてなかった…呼び捨て、だった。もしかして、恋人を演じてくれた…?

「…!……!!」
「どうしたんだい?さぁ、買い物を済ませて早く帰ろう」
「は、はいっ」

事の重大さを今更思い知り言葉を失ってしまうが目の前で艶やかに微笑む友雅さんと差し出された手の自然さに…つい自分の手を重ねてしまった。
そしてそれはしっかりと握られ、歩き出しても変わる事はなくて。

(友雅さんと手…手、繋いでる…!というかさっきの呼び捨て!なんで…ホワイトデー!?ホワイトデーだから!?友雅さんのサービス…!?)

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