あなたの隣で



領地内で起きた小さな叛乱を収め、文和殿が久しぶりに執務室へと戻ってきた。私はただ待つ事しか出来なくて、戦へと出向く度に、不安に押し殺されそうな思いをするけれど、無事に戻ってきた恋人の顔を見て、全身の力が抜けそうな位ほっとした。

「おかえりなさい、文和殿」

「ああ…あー、疲れた…」

「御茶、淹れましょうか?」

「いや、まだ曹操殿に報告があってね…今日は遅くなりそうだから、珠美は休んでいいぞ」

「そう…。じゃあ、お先に失礼します」

本当は、今すぐ駆け寄って抱きしめたいけれど、仕事の邪魔なんて出来ない。この日はぐっと堪えて自分の部屋へと戻った。

その後、先の戦の祝宴や軍議で文和殿は忙しく駆け回っていた。私もお世話はしていたけれど、あくまで女官として。仕事のときの文和殿は厳しいし、真面目に職務をこなされるから、あまり話は出来ない。そのきりっとされた横顔を見るのも、好きなんだけど…。

そして幾日か過ぎて、ようやく仕事に一段落がつきそうなある日。

私は頼まれた書簡を郭嘉様の元へ届けて、文和殿の執務室のすぐ前まで戻って来た。まだ触れてない扉が開いたかと思えば、文和殿の姿があった。

「…?」

「ああ、珠美。戻ったか…」

文和殿が私を視界に捉えるなり、自分の腕の中へ押し込めるように抱き締めてきた。

「ぶ、文和殿…?」

こんな人目につくかもしれない場所で…。こんな事、初めて。戸惑って顔を覗き込もうとするけど、頑なに抱きしめられて、表情が伺えない。彼が私の肩に頭を預けて、大きく溜め息を吐いた。

「もう駄目だ…疲れた」

「…お疲れ様です」

暫く腕を回して背中をさすっていると、不意に肩を掴まれ真剣な顔の文和殿が見えた。

「…郭嘉殿に、何もされなかったか?」

「ぷっ…私が何かされる訳ないでしょう?」

「いやいや、あんた自分が思ってるよりも隙があるから…分からんだろ」

「え、そうでしょうか…」

別段、何を言われてもいないけど、と思い返す。
そして視線を外した僅かな間、ちゅ、と唇を奪われた。

「ほらな」

「っ…!文和殿、こんな場所で」

「あぁ、いいんだ。珠美は俺の物ってことで、知られても構わない。むしろ、知らしめたいね」

「だからって…!」

全く、この人は…何故愛の言葉となると、こんなに甘いの…。心が溶けてしまいそうな熱さを、言葉で戒めても、文和殿に効果はない。私はこの人の腕の中にいるのだから。

「この仕事が終わったら、もう花も見頃だ。どこか、遠乗りに行こう」

低く、落ち着いた愛しい人の声。そして甘い提案。

「…約束、ですよ?」

「あぁ、勿論だ」


コツ、と足音が聞こえて振り返れば、つい先程、書簡を届けた郭嘉様が涼しい顔で微笑んで、立っていた。

「…!!」

こんなやり取りを見られたのかと思うと堪らなくなって、私は顔を文和殿の胸に埋めた。今、顔を見られたくないっ…!

「お、郭嘉殿。何か御用で」

「やれやれ、貴方も人が悪いね、賈ク」

「あははあ、何のことやら」

「書簡に記されていた内容の誤りを伝えようとしたのだけれど…お邪魔だったようだ」

「お気遣い、感謝するよ」


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