最近鍾会様の様子がおかしい。

いや実際、並みいる武将の中でも彼はとりわけおかしな方であって、周りにも遠巻きにされている。せっかく光る才能があり、家柄も良く、容姿も優れていらっしゃるのに、性格だけがどうも奇妙な方向にひん曲がっているのだ。

とはいえ、根っこのところは悪い人ではない。が、嫌われても仕方が無いほどの自信家で、人を馬鹿にするからいけない。なまえとは本当に実力差があるので別に馬鹿にされても平気だが、他の男性の武将や武官はそうはいかなかった。青二才が、とどこからともなく聞こえてきた悪口は、きっと鍾会様に対してのことだろう。

 そしてそんな、近しいものには呆れられ、深く関わりのないものには嫌われている彼が最近何かとなまえに話しかけてくるのだ。
 大した用事でもないのに呼び止められ、彼の執務室で何故か茶をご馳走になる。それが二、三度ではないから困っている。

 元々彼はあまり仕事や学問に関すること以外で人と関わりを持とうとはしないし(曰く、旧式と話をしても時間の無駄だそうだ)そうなれば、彼の部屋によく出入りするようになったなまえはとんでもなく目立つ。ましてや男女と性別も違えば、あらぬ噂を立てられて正直どうしていいかわからなかった。

 別になまえは皆ほど彼のことを嫌っているわけではないが、恋い慕うには身分や才能、あらゆるものが違いすぎる。一人の人間としては(性格を除き)尊敬もしているが、男性としては考えたことがなかった。
 それは彼自ら神のように崇めよ、と言わんばかりの態度なので、無理からぬことだったのかもしれない。とにかく神は神であって恋愛対象になどなりえず、むしろそんな神と噂が立つことになまえはひたすら恐縮するしかなかった。

 しかし、そんな折である。あの鍾会様から『お前は私のことをどう思っているんだ』と言われたのは。

 彼が他人からの見え方を気にするなど非常に珍しい。だが、なまえはすぐに彼から教えられた通りの"鍾士季"像を述べた。性格にさえ言及しなければ、彼は彼が言う通りの優れた人物である。しかし普段なら褒められればすぐ気を良くする鍾会様が、今日に限っては嫌に食い下がる。そして顔を赤らめてまで、惚れた腫れたとおよそ似合わぬ言葉を口にするものだから、なまえは酷く動揺してしまった。

 いや、正確には彼が、ではなく、なまえが鍾会様に惚れていると勘違いしているようなのだが。

 おおかた部屋になまえを呼ぶものだから、他の誰かに冷やかされでもしたのだろう。だが実際部屋に呼ばれたなまえはただ彼の自慢話を延々と聞いているだけで、そんな艶めかしい関係では断じてない。

 お前の自慢話に耳を傾けるなんて、よほど好かれているのだな。

 きっとそんな下らぬ嫌味を、根が素直な彼は間に受けてしまったのだろう。そう考えると神々しかったはずの彼が急に可愛らしく思えてきて、なまえはくすっと笑った。

 それでも、誤解は解かねばなるまい。変に下心があると勘違いされ、口を聞いてもらえなくなるのは困る。自慢話は確かに長いが、彼はなまえに学問を教えてくれるし、女相手に兵法の話を真面目に取り合ってくれる彼はなんだかんだで器が大きいのだ。だからこそなまえは彼に感謝し、彼の役に立ちたいと本気で思っていた。

 笑顔で忠誠だけを近い、なまえはその場を後にする。これでこの話は終わりだ。こちらが態度を変えなければ、彼も流石にからかわれたのだと気づくだろう。

 だが翌日、いつも通り彼の部屋に誘われたなまえを待ち受けていたのは、妙に落ち着きのない彼の姿だった。

「……鍾会様、いかがなさいましたか?」
「な、なんでもない! そんなことより、この菓子の固さはなんだ、食えたものではない」
「はぁ……確かに高級菓子とのたまうならば包み紙も美味しくなくてはいけませんね」
「なっ!」

 なまえのもっともな指摘に、さっと顔を赤らめる彼。本当はこんな意地の悪い言い方をするつもりではなかったのだが、今日の彼は気もそぞろといった様子で、なまえは招かれたものの先程から殆ど放置されているも同然だったのだ。そのため意識しないままに言葉に刺が混じってしまい、自分でも驚いた。

「わ、私を馬鹿にしたな! わかっていて黙っていたんだろう!」
「そういうわけではありませんが、今日の鍾会様はどこか心ここにあらずといったご様子。私はもう失礼した方が良いのではありませんか」
「お前が出ていったところで何が解決するわけでもないね」
「ですが、何もなさらないなら私がここにいても致し方ありません」

 なまえはこれを、"会話"という意味で口にした。彼の部屋に呼ばれてするのは決まって難しい話か彼が如何に優れているかの話だったし、今日のようにただ座っているだけならば正直時間が惜しい。
 しかし真剣な表情のなまえに対して、彼は口元を手で押さえたかと思うと耳まで真っ赤になって固まった。

「そ、そうだな……」
「では失礼いたします」
「待て! わかった、女にそこまで言わせておいて帰したとあれば、この鍾士季の名に関わる! 望み通りしてやろうじゃないか」
「そうですか? では、次の戦の陣形ですが……」

 一体何が彼の名に関わるのかわからないが、人一倍自尊心の強い彼のことだ。とにかく話ができるとわかって座り直したなまえは、突然目の前に迫った彼の顔にぎょっとする。そしてわけがわからぬままに、唇に柔らかいものが触れた。

「な……にを……」
「喜びすぎて思考が追いついていないようだな。ふん、まぁ無理もない。この鍾士季からの接吻を受けたのだ」
「……接吻?」
「そうだ、誇りに思うといい」

 自信満々なその物言いは確かにいつもの彼のものだ。しかし、その顔は依然として赤いまま。なまえは自らの唇に触れ、そして彼をまじまじと見つめる。脳が事態を理解した頃には、赤面する二人が向かい合っているだけだった。

「な、なぜですか鍾会様! 鍾会様のような方が、噂に惑わされるなど」
「噂? 噂とはなんだ?」
「私が鍾会様をお慕いしていると、そう思ったからこんなお戯れを……!」
「なに!? やはりなまえは私のことが好きなのか!?」

 やはり、と言いたいのはこっちだ。彼は噂を確かめるべく、冗談半分の気持ちでこんなことをしたにすぎない。そう考えると悔しくて、傷ついた。唇を奪われたこともそうだが、尊敬する彼に遊ばれたことが許せない。一瞬でも嬉し恥ずかしく思った自分が馬鹿みたいだった。

 あんまりです、鍾会様。

 そう言ってなまえは部屋から立ち去ろうとした。が、それよりも早く彼がなまえの腕を掴んだ。

「私もお前と同じ気持ちだ、喜びなよ」
「え?」
「お、お前のことが好きだと言ってるんだ。この私がだぞ!」

 ふん、と鼻を鳴らした彼に、なまえは呆気に取られるしかない。だがようやくそこで、彼がそわそわしていた理由や名に関わると言った訳がわかって、気づくと笑みを浮かべてしまっていた。

「何がおかしいんだ」
「本当に……鍾会様は可愛らしいお方ですね」
「言っただろう、そういう言葉は……」
「言葉は?」

 こんな意地の悪い言い方をするつもりではなかったのだが、ついつい彼が愛おしくて意地悪をしてしまう。神々しさはどこへやら。目の前にいるのはただ一人の、不器用で素直じゃない男の人だ。

「だ、だから可愛いという言葉はお前のほうが似合う! 言わせるな!」

 どう考えても、貴方のほうが。

 なまえは内心でそう思うと、にっこり笑ってこれからも彼を支え続けることを誓った。

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