そんな瞳でこちらを見るな。

 思わず口をついて出た言葉に、目の前の彼女の表情はみるみる翳ってゆく。しかし言ってしまった言葉は取り消すこともできず、そもそもこの私が自らの言葉を後悔することなんてあってはならない。才に溢れ、優れた知略を持つこの私が、過ちを犯すことなどあるはずもないからだ。

「……も、申し訳ございません」

 それなのに、哀しそうな顔をした彼女を見ると、胸の奥がきりりと痛んだ。違うのだ、そんな表情をさせたいのではない。彼女の憧れの混じった眼差しは、本音を言えばひどく心地良かった。まぁ、誰であってもこの私を神のように錯覚し、羨望してしまうのは致し方のないことだが、特にその人物がなまえであれば気分はさらに良いというもの。

 要するに鍾会は、彼にしては珍しくなまえのことを高く評価していたのである。

 武官である彼女はその武のみならず、頭の回転の良さから兵法をも嗜み、私には劣るものの並々ならぬ才を持ち合わせていた。加えてその容姿は、これまた私には劣るものの見目麗しく、女性としての魅力も過分にある。平時の性格は戦場でのそれと違いむしろ穏やかで、人望に厚く、男女問わず様々な人間から好かれているように見えた。

 そしてまた鍾会も、彼女のことを好いている大勢の人間のうちの一人だった。

「お前は私のことをまるでわかっていないな」
「不躾な視線を向けてしまったこと、どうぞお許しください」
「謝ってほしいわけじゃないんだよ、こっちは!」

 謝って欲しいわけでも、ましてや見て欲しくないわけでもない。むしろ、その瞳に映るのは自分ひとりでいいとさえ思っている。
だが、なまえが自分に向ける視線はあくまで尊敬を含んだもので、それ以上でもそれ以下でもない。いっそそのことが嫌なのだ、とはっきり言ってしまえるほど素直な性格であればよかったのに。

「お前は私のことをどう思っているんだ」
「どうって、鍾会様は素晴らしいお方です。才気に溢れ、博識で、」
「ふん!分かりきったことばかり言うのだな。まぁもっと褒めても構わないが、お前にしか抱けぬ感想はないのか? この鍾士季の下で学べるお前も、それなりには選ばれた存在なのだぞ」
「はい、本当に僥倖にございます」

 僥倖なのはわかってるんだよ、と詰め寄りたくなるが、そう言ったなまえがあまりにも幸せそうに微笑むものだから、喉元まで出かかった言葉をなんとかのみこんだ。代わりにもっとこう他に無いのか、と水を向けてみる。聞きたいのは彼女の個人的な感情だった。有り体にいえば、この私の想いに応える気があるのかということ。

 想いを告げずにしてこのような問いを投げるのはいささか無茶であるけれど、なまえの口から恋情に近しい言葉を引き出したくて仕方がなかった。だって、こんなにもこの私の近くにいて、なんとも思わない筈がない。武官と言えどなまえも女なのだし、鍾士季の魅力に気づけぬほど阿呆でもないだろう。それに自分的には彼女に優しく接し、特別扱いしているつもりだった。

「は、はぁ……他ですか、えっと……鍾会様は並々ならぬ野心を抱かれ、それを現実にする力のある方だと」
「ええい!お前もわからないやつだな。結局お前は私のことが好きなのか?どうなんだ?」
「は?」
「だってそうだろう! お前が先程まで挙げていたそれらは、全てこの私、鍾士季の魅力じゃないか。それほどまでに気づいていて、まさか惚れてはいないなんて言うんじゃないだろうな」
「えっ? いや、え?」

 何度も言うが、言ってしまったことは取り消せない。身体がかあっと熱くなるのを感じながらも、それでも強気な態度は崩さなかった。狼狽したように目を泳がす彼女の肩を掴んで、逃がさないようにする。

「あ、あの鍾会様のことは、私、鍾会様のお役にたちたいと……」

 しかし、そこまで言ってなまえは不意にくすっと笑った。逃がさないようにと肩を掴んだせいで、どうやらこちらの真っ赤になった顔に気づいてしまったらしい。笑われたことで恥ずかしいやら腹が立つやら、私は彼女を睨みつけた。

「な、なんだ、馬鹿にしているのか!」
「違います。ただ可愛らしい方だな、と」
「男に可愛いなんて褒め言葉でもなんでもないね。そんな言葉はむしろお前のような女に……か、勘違いするなよ!? 私は別にお前を褒めたわけではない!」
「わかっております」

 なまえは柔らかく苦笑すると、まっすぐにこちらを見た。

「まだまだ至らぬ点も多く、不快にさせてしまうことも多々あるかもしれませんが、私は鍾会様のお側で役に立たせていただきとうございます」
「あ、あぁ……もちろんだ。せいぜいこの私の足を引っ張らないよう頑張るんだな」
「ありがとうございます」

 では、と綺麗な笑顔で言われ、思わず手を離してしまう。去っていく彼女の背中を見ながら、どうしてこうなった? と首を捻るは鍾会ただ一人であった。


prev next
back
「#エロ」のBL小説を読む
BL小説 BLove
- ナノ -