突如船に降り立った女に、船員達は好奇の目を向けた。 「な、なんだ、女…?」 「すげぇ上玉だぜ」 「てかこんなとこまでどうやって…」 「おいお嬢ちゃん、うちの船になんの用だ?」 リンを見上げ下品な笑いを口元に浮かべた海賊たちが言う。油断の二文字を垂れ流す彼等に、リンの赤い唇がゆっくりと動いた。 「沈めさせて頂きます」 凍り付く、まさにそれだった。リンから放たれる殺気が冷気に変換されたかのように、辺りは氷点下かと思うほど冷え込み、甲板にはうっすらと霜が張った。男達から笑みが消え、恐怖さえ浮かびはじめる。カタカタと小刻みな震えが辺りに走った。 「…やべェよ船長、この女!」 「寒ゥ!!」 「悪魔の実の能力者か!?」 船員たちが口々に、危険人物を怖々と遠巻きに威嚇しながら叫ぶ。リンはじっと黙って彼らを眺める。次々に抜かれる短剣の鈍い銀光を、眺める。肩幅のやけに広い男が、低い低い声で言った。 「殺れ」 その合図で剣を掲げた船員達が、猛りながら一斉にリンに襲い掛かった。ひらり、とリンは音もなく甲板に降り立つと、突進してきた若い男を受け流し、ひた、背後から首筋に指を当てる。一瞬走った体の中が冷え切る感覚に、男の顔色がさっと変わった。 「…な」 「人間の血管に針が入ってしまった場合、それはやがて心臓へ辿りつくと言いますけれど」 語り出すリンの顔はまるで人形のようだ。感情がないそれに船員は一層恐怖心を抱くが、びびっているなど悟られるのはプライドが許さない。 「あ、…ぁあン? だからなんだってんだ、お嬢ちゃんよ!」 「血液の一部を凍らせて鋭利な霜を流したら、心臓に刺さって出血して、じわじわと絶命するでしょうね」 さぞかし痛いでしょうねぇ、とため息を吐くように囁くリンに、男ばかりでなく、周りの船員までもさっと青ざめた。 「…っや、やめろ」 「ごめんなさい、私凍らせることは出来ても溶かすことは出来なくて」 「ッ……!」 「今頃はどの辺かしら…もう少しで心臓、かもしれませんね」 「ひ……っ」 「…ああ、怖いですよね。大丈夫。あなたのその顔を見れただけで、私、もう満足ですから」 とうとう死に怯える男の横顔を背中から見つめ、とても満足したとはいえないような淡々とした口調でそう言うと、呆気にとられる男の心臓にそっと片手のひらを当てた。 「さようなら」 「、 ア 」 ぱき。どしゃ。心臓を一息に凍らされた男は崩れ落ちるように、その細い体を甲板へと無様に横たえた。明らかにその体内に、命というものはもう存在していなかった。 「う…っあああああ!」 しんと静まった船上の空気を破って、気が狂ったように走り出す、一人の刃をかわしてその手首をぎゅうと掴んだ。鈍い悲鳴の中、剣を握っていた男の太い手首がパキリと折れる。凍った手の平と共に落下し、深く甲板に突き刺さった短剣をリンは拍子抜けするほど緩やかな動作で引き抜くと、怖じけづいた他の船員に投げ付ける。的確に貫かれた心臓からは夥しい血飛沫が上がり、リンはまともにそれを浴びながらも、まだ生暖かい赤黒い液体を小さな手の平に掬い上げ、無数の氷柱へと変えた。一瞬で絶命した男から振り向き、いくつもの鋭利な氷柱を手にしたリンは、淡々とした口調で残りの連中に言った。 「痛くしますけど、すぐ終わりますから」 「なっ…」 完全に血の気の失せた海賊たちは、地獄を目の当たりにするかのように血濡れの美しい女を見ていた。急激な温度変化についていけない生身の体は、動作がすこぶる鈍い。 「…悪魔だ…」 手首を奪われた男は、その場にうずくまり呻きながら震えた声で呟く。リンは氷のような瞳で男を見下すと、やがてクスリ、と嘲るような笑みを浮かべ、一本目の赤い氷柱を振りかざした。 「…ちょっと違うわね」 惨劇に断末魔。全滅までそう時間はかからない。彼女は楽しんでいなかった。また、罪悪を覚えてもいなかった。殺戮を何とも思っていないのだ。 死臭の蔓延する真っ赤に染まった甲板と、そこに転がる無数の冷たい物体を見回して、リンは小さなため息のような音を口から零した。次に自分の体を見下ろし、ナースから借りた服を汚してしまったことにすまなく思う。頬を濡らす赤い液体を拭うこともせず、ただぼんやりと、気持ち悪い、と思っていた。自分が殺した男達の恐怖に震えた暗い瞳を思い出すけれど、すぐに頭からふっとなくなった。いらない記憶だ、消してしまおう。 踵を返す。仕事は終わった。財宝の一掴みでも持ち帰った方がいいだろうかと一瞬思ったが、すぐに改めた。自分への命令は船を沈めるということだけ。白ひげ海賊団は特別金に困っているわけでもない、むしろ裕福である。余計な手間はなるべく省きたかった。もう自分は、略奪なんてしなくても良いのだから。 船縁に脚をかけて見下ろすと、ポートガス・D・エースが穏やかな波にゆらゆらしながら、眉をしかめて細めた瞳で自分を見ていた。潮風に揺れる柔らかそうな黒髪が眩しくて、私はすいと目を逸らすと、トンと足場を蹴って青く光る海原へと跳んだ。今日の空が怖いくらいに美しいコバルトだということに、そのとき初めて気付いたのだった。 20100720 |