snow fairy | ナノ
リンは船縁に腰掛け、海にだらりと足を投げ出す。細めた瞳で敵船を見詰めるのは、きっと距離を計るためだろう。

「300…いや、250メートルかしら」

おれは海の上で水上スキーを操りながら、ぶつぶつと呟く彼女を見上げた。敵船までの距離は、彼女の言う通り200メートルは軽く超している。

「リン、そっちの縄梯子使って降りて来い! 向こうまで運んでやるから!」

口に手を添えてリンに呼び掛けても、彼女はちらりとおれに視線を投げ掛けるだけだった。彼女の戦闘スタイルがどのようなものかは知らないが、ここから攻撃するのはなかなか難しいだろうし、出来たとしてもかなり消耗するはずだ。オヤジに「ついていけ」と言われたのは、「連れていってやれ」という意味だと解釈していた。けれど。なのに。あろうことか。

リンは船縁にすっくと立ち上がると、そのまま、真っ直ぐ海へと足から飛び降りたのだ。

「―――ッ!?」

いくらおれが嫌いで堪らなくて同じストライカーになど乗りたくないからって、海に飛び込むなど能力者にとっては文字通り自殺行為だろう!
咄嗟に彼女を受け止めようとそこへストライカーを動かしかけたが、突然の凄まじい冷気に全身が粟立ち、運動神経が一瞬停止したように思えた。驚愕したおれの瞳に映ったのは高く上がる水しぶきではなく、聞こえたのは重い物体が水に叩き付けられる音ではなくて、カツンッ、と硬い何かがぶつかるようなそれだった。

一瞬後、リンは、海の上に立っていた。

「…は…?」

何もなかったかのようにリンは肩にかかった髪を背中へ払う。彼女の足元には分厚い氷。呆気に取られたおれはしばらくその様を無言のまま眺めて、ああなるほど、と内心でだけ呟いてほっと胸を撫で下ろした。

「…冷や冷やさせてくれるなよ」
「それはどうも」

言っている間にも、みるみるうちに氷の道が敵船のある方へ伸びていく。なるほどこれならスキーもいらない、と感心しながら、飄々と歩いていく彼女の少し後ろをついていった。

「しかし便利だな。海上でも自由自在ってことか」
「…能力使わないで下さいね。溶けるから」
「ああ。手出しはしねェって約束だからな」

返事をしながら思った、おれとリンは戦闘の相性さえよろしくないらしい。こればっかりはもう割り切るしかないだろう。彼女がある程度の実力を持っているなら、サポートなど必要ない。そもそもリンは、今まで単独で海を渡ってきたのだろうか。船を沈めた犯人をオヤジは拾ってきた。他に仲間はいなかったのだろうか。
などと考えているうちに、馬鹿デカいやっこさんの船が近付いてきていた。自分たちの元まで伸びる氷の道に気付いたらしく、通ってきた道は大砲によってあちこち粉砕されていた。けれどリンの表情は変わらないから、対して心配をする必要もないのだろう。いよいよ敵船は目の前だった。

さあ、どうする。

リンはくいと頭を後ろに倒し、船の船首を見上げた。三秒ほど観察した後、彼女は今度は頭を戻し、す、と左脚を持ち上げた。

―――キ、ン

「!」

彼女の脚は空気を踏み付けていた。ぐ、とリンが前屈みになると、彼女の細身がふわりと宙に浮く。続いて持ち上げられた右脚はまた少し上の方を踏み、彼女はまるでそこに階段があるかのように、無の空間を実に軽やかに上っていった。

ぱらぱらと、リンの脚が踏んだ場所から小さなガラスの破片のようなものが落ちてくる。光に反射したそれは星屑のようにキラキラと輝いていた。片手を差し出してみると、降り懸かるそれはひやりと冷たくて、おれの手の平をぽつぽつと濡らした。

「…すっげェ」

とんだ芸当だ。空気中の水蒸気を凍らせて足場にしている。氷粒の雨に濡れながら、おれは見上げた。丁度リンが、船首へと降り立ったところだった。






「こんにちは」

ざわつく海賊船の上、にこりともせずリンは言った。ざわつく焦げ臭い風が、どこからか流れてきてその頬を撫でた。


20100719
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