snow fairy | ナノ
彼女との出会いこそが全ての始まりであったのだと、その時のおれが知る由もない。新入りだとある日オヤジが連れてきたのは、見たこともないくらいに美しい女だった。

大きなふたつの瞳や、長く背中に垂れた髪は艶やかな漆黒だが、雪のような肌は白磁の如く滑らかで、きっとうっとりするくらいの触り心地なんだろう。細い腕と脚がすらりと伸びる様は息を飲むほどに頼りなくはかなげだけれど、彼女の纏う白装束には、夥しい量の赤黒い血痕があちこちにこびりついている。けれど、不気味なそれは彼女を汚すどころか、ぞくぞくと肌を粟立たせるくらいの、彼女の狂気じみた美しさを増幅させていた。畏怖と恍惚の入り混じったいくつもの視線が、無表情の女に注がれる。おれは目を離せないまま唇を動かした。

「…オヤジ、こんな美女、どこで引っ掛けてきたんだよ」
「お前も見ただろうが、向こうでデカい海賊船が沈んだ瞬間を」
「は?…おいおい、マジか」

おれは頭をパッと押さえ、東南の方角で起こった二回目の爆風に帽子が掠われるのを回避した。もくもくと黒煙の上がるあの場所に、つい数分前までは髑髏を掲げたなかなか立派な船が浮かんでいたのだ。敵意があるようなら受けて立とうという時に、突如その船は撃沈を免れないほどの大爆発を起こして、あっという間にあの有様だ。察するに、そこに立つ女が一人でそれを成したらしい。この短時間でオヤジがどうやって彼女をスカウトしたのかは知らない。知らないが、どうやら彼女が、この船初の女戦闘員となるだろうということは間違いないようだ。

どれ程の視線を集めようとも女はまったく関心がないらしく、船を見回す訳でもなく、その口元には笑みの欠片もない。透明な空気をじっと見つめ、にこりともせず全く動かないのだから、三秒に一度彼女が瞬きをしていなければ、愛玩用のビスクドール辺りだと信じて疑わなかっただろう。

「そうだな、エース、お前が面倒見てやれ」
「…おれが?」

思わぬ指名にきょとんと自らに指を差し向けたと同時、今まで不動だった女が初めてピクリと肩を揺らし、何も映していなかった目をおれに向けた。心の奥まで見透かしてしまいそうな視線に、おれは少なからず動揺する。彼女の口が小さく開いた。

「…エース?」

透き通った、冷たい声だった。その声がおれの名前を紡ぐことに、何だか酷い違和感を覚える。オヤジは意味深に笑っている。何だってんだ、気色悪ィ。ああ、とおれは頷いて見せた。

「おれの名を知ってるのか?」
「…火拳、の」
「はは、おれも随分に有名になったな。二番隊隊長ポートガス・D・エース。火拳ってのは間違いなくおれのことだろ」

見せ付けるように人差し指を立てて、そこに小さな炎を点して見せる。すると、途端に彼女の気圧が下がり、素早く動いた右手が自らの細腕をぎゅっと握った。気のせいか、辺りが冷え冷えとしてくる。確実に彼女の警戒心のボルテージが上がっていた。睨むようにおれを見るその瞳の奥に確認出来たのは、まさしく怯えの色だった。おれは驚いて鎮火する。

「…、マズイことしたか?」

おれが煙の上がる手をパッと払う間も彼女は無表情だったが、体中から人間不信の野良猫のようなオーラが滲み出ていた。失言した覚えはない。仲間になる者に自己紹介して、こんなにも敵意を剥き出しにされたのは初めてだ。緊張している、なんて可愛げのあるものじゃないだろう。ここでよろしくと握手でも求めようものなら容赦なく噛み付かれそうだ。おれは黙ったままの女に参ったなと頬を掻き、そういえばと問い掛けてみた。

「お前、名前は?」

じ、と女はおれを見つめたまま、けれど口を開かない。予想していた反応に、おれは一歩彼女に近付き、もう一度聞いた。名前、は。彼女はじりと片足を引いて、やがてすとんと視線をデッキへ落とした。

「…リン」
「リン。リンってんだな」

こくりと小さく頷く女―――リンの印象が、おれの中ではやくも変わってきた。何だ、意外と素直な奴じゃねェか。いきなりこんなに大勢の野郎に囲まれて、怖かっただけなのかもしれない。おれは出来る限り人の良い微笑みを浮かべて、すっと右手を差し出した。

「今日から同じ部隊だ、宜しくな」

リンは目の前に差し出された手を一瞥し、おれの顔をちらりと見上げると、手を取ることなく俯く程度に頭を下げた。ように見えた。いや、俯いただけかもしれない。
オヤジに呼ばれたのかどうかは定かではないが、どこからともなくやって来たナースたちが、服を換えた方がいいわと彼女を引っ張って浴室の方へ消えていく。男だけが残された甲板で、マルコやサッチはじめ、他部隊の隊長たちは笑いを堪えるように体を丸めて震えている。下っ端クルーはリンの消えた扉をぼんやりと見詰めるか、立ち尽くすおれに哀れみの視線を向けてくれるかしていた。いやいやお前ら、おれ全然ヘコんだりとかしてねェからな。この先アイツとやっていけるか不安だなんてこれっぽっちも思ってねェよ、そうとも勿論。ただちょっと、ほーんの少しだけ困ったと思うことは、この行き場のない手をどうするか、…なんだよな。


20100715
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