翌日、リンはスッキリとした面持ちで甲板へと姿を現した。僅かに目元が赤いのが気になったが、今までの氷のような冷たい表情と比べれば、そこには人間らしい温かみが宿っている。何も知らない船員たちにとってはあまりに大きな衝撃で、一体何があったのかと勝手な作り話を影でいくつも立ち上げていた。 「よ、リン」 ぽん、と肩に手が置かれ、振り向いてそこに立っていた人物を見上げて、面食らったような顔をしていたリンはすぐに穏やかに目を細めた。 「おはようございます、マルコ隊長」 「吹っ切れた顔してるな。仲直りは出来たのかよい?」 リンは黙ったままふわりと微笑む。つられるようにしてマルコも微笑を浮かべると、良かったなとリンの頭をくしゃくしゃ撫でた。 「しかしこれからエースは大変だねい」 「え?」 「や、こっちの話」 「はあ」 きょとんと首を傾げるリンの向こう側で、彼は、眉をしかめて腕組みをしたまま椅子に腰を据えていた。 「………」 ムス。いつぞやと同じようなむくれた顔で、いつぞやと同じようにリンを遠目に見ながら、エースは酷くご機嫌ななめだった。理由など問うまでもない。昨晩の一件から、リンの中の壁はすっかり砕け、今までとは比べものにならないほど笑うようになった。ポーカーフェースを貫いてきたリンが突然浮かべるようになったあまりに愛らしい笑顔に、言うまでもなく船員たちの視線は釘付けである。格段に取っ付きやすくなった彼女を、晩酌に誘う者が後を絶たない。それで。 「お前は朝から不ッ細工な顔してんな。リンを見習ったらどうなんだ?」 「…うるせェよ」 にやにやと声をかけてくるサッチにそっぽを向きながらも、視線はリンを捉えたままでいた。すると丁度そのときに、5人くらいで集団の男が、リンにへらへらと声をかけた。 「なあリンちゃん、今晩辺りにおれらでちっと飲むんだが、リンちゃんもどうだ?」 「え……あの」 「あ、リンちゃんもしかして飲めないのか? いいよそれでも、居てくれるだけで。なァ?」 「リンちゃんみたいな可愛い子がいりゃあ酒もまた美味くなるってもんさ」 ぽん、と何気なくリンの肩に乗せられた手に、いよいよエースの頭の中でぶちりと音がして、サッチが気付いたときには既に、隣に彼はいなかった。 「……よォ、おまえら、三番隊の野郎共か」 「え…、うわ! エース隊長!」 「隊長…? っ、きゃ」 「こいつはおれンとこの部下だ。ちょっかいかけたかったらまずおれを通してからにしな」 背後から両手でしっかりとリンの頭を抱え込んだエースは、不届きな船員たちをこれでもかと威嚇する。怖じけづいた彼らは無理に作った笑みを浮かべて、その場からそそくさと立ち去った。二番隊長のその見事な嫉妬っぷりに、周りで見ていた野次馬の誰かがひゅうと口を鳴らす。依然解かれないエースの腕に顔を真っ赤に染めたリンは、俯いて、自らの首に回された腕に戸惑いながらも触れた。 「隊長…」 「そもそもお前は、嫌ならはっきり断れよ、今までならどんなに声をかけられようが突っぱねてたじゃねぇか」 「だって、みんなは私を家族だと、」 「そう言ったのは確かにおれだけどよ、さっきのは明らかなナンパだろうが、男の下心も見透かせねぇんじゃお前いつか喰われるぞ」 「違う、隊長、その前に、」 「違うことあるか、大体なぁ、お前は『エース隊長』からなんで『隊長』に戻っ……」 はっ、と。そこでエース隊長は気付くのだ。嫉妬心に駆られ思わず、そしてその瞬間まで無意識に、自分が彼女を抱きすくめていたことに。腕の中のリンの顔が、耳まで真っ赤だという、ことに。 「……暑いです、エ、エース隊、長」 「ッ…わ、悪ィ!」 ばっと勢いよく彼女を解放し、そのまま2、3メートルほど飛びすさった。ようやく解放されたリンは、熱い頬に髪ですだれを掛けるように俯き、その手を自らの顔に当てる。エースは行き場のない手で自らの頬を掻いていた。 「…こりゃあ、心配も野暮みてぇだ」 むず痒い空気を漂わせる二人を生温く見守る野次馬に紛れ眺めながら、何かと苦労症な一番隊隊長がぼそりとごちた。 20110207 |