snow fairy | ナノ
母は美しい人だった。

「おかあさん、今日ね、わたしね、木から下りられなくなってたネコを助けたの」
「まあ、偉かったのね、リン…でも、あまり危ないことをしたら駄目よ」

そうやって私の頭を撫でる細く白いしなやかな手から、透き通るクリアな声から、容姿はもちろんすらりとしたスタイルまで非の打ち所がない母は、私の自慢だった。

「はは、リン、木登りなんてどこで覚えたんだ?今度お父さんと森に行って一緒に木の実でも取ろうか」
「ほんとう?」

父は、優しい人だった。

ひょろりと背が高くて、手足は細いのに私を簡単に抱き上げる。抱きしめられると暖かくて、腕を回しても右手と左手が繋がらないくらい広い背中が好きだった。

私たち家族が暮らす小さな村でも、一家は評判が良かった。社交的で仲の良い夫婦と、人懐こいその娘。母のその能力が知られるまでは、どこにでもあるような平穏で温かな村と、その住人たちだったのに。

彼等は突然私たちに牙を向いた。

「…おかあさん?」

私の隣でその光景を目の当たりにしたお父さんは、私の手を握っていた左手を離した。あまりにも信じ難い事実に手から力が抜け落ちてしまったようだった。お父さんの手から私の手が落ち、重力に任せて私の肩からぶらんとぶら下がる。ちりちりと焼け焦げたにおいが私の鼻孔を撫でた。

何故母の素性を知られたのかは未だに解らない。けれど、それが村の掟である「雪女迫害」に関わっているのは明らかだった。私とお父さんが森へ行っている間に、私たちの家は火を放たれていた。私が大好きだった、大きくはないが白くて新しい、思い出がたくさんつまった家が、激しい火柱をゆらゆらと立ち上げて炎上していた。

―――愛する母と共に。

「……そんな」
「お、…とう、さ」

放心状態のお父さんは、まるで呼び寄せられるようにふらふらと、燃え上がる家に歩いていった。私は慌てて駆け寄って、お父さんの手を両手で掴み引き止める。

「だめ、お父さん、どうしたの」
「…お母さんを助けてくるから、リンはここで待っていなさい」
「いや、いや!私も行く!」

泣きじゃくる私の頭をお父さんはそっと撫でると、大丈夫、と私に一言呟いて、まるで魂が抜けたようにふらふらと炎の中へ消えていった。いや、いや、そんなお父さんをもう追いかけることも出来ず、私はそこにへたり込んで、いつまでもいつまでも泣いた。

お父さんはお母さんを愛してた。心の底から愛してた。お母さんがいない世界を生きるのは、死ぬほど辛いことだったんだろう。本気でお母さんを助けるつもりで、お父さんは炎の塊となった家に躊躇なく向かっていった。消火しようとする者さえ現れず、私たちの思い出は丸一日燃えつづけた。

お父さんと採った木の実を食べながら、私はふたりを待った。どちらも戻って来ないと解りながら、それでも私は待った。餓えで痩せていく私を憐れみの目で見る者もあったが、誰も救いの手を差し延べてはくれなかった。火事から三回目の夜に、私は適当な家から食料を盗み、港へ走って小船に乗り込み、海へ出た。憎い憎い憎い憎い憎い憎い。小さな弱った体を突き動かしたのは、あまりに激しく醜く熱く強い強い感情。真っ黒く焼けた住み慣れた家の破片を持ってきていたが、握り締めているうちにいつの間にか砕けてしまっていた。
これからどうしようかと考える暇もなく、ただあの悪魔のような村から脱出出来たことに小さな安心感を得た。それから手元の食料を見て、もっと盗ってくるべきだったとぼんやり思った。海には海賊がいるのだと、昔お母さんが話してくれた。そうだ、海賊と戦って食べ物を奪えばいいんだ。別に死んだって構わない。生に固執する理由も意味も、自らの存在価値さえ、そのときの私は持っていなかった。
今にも沈みそうなボロ船の上で膝を抱えて、私は何日とも解らず泣いた。

母から受け継いだ「能力」を、今までまともに使ったこともなかったのに、私はまるで本能のように使いこなすことが出来た。死ぬ覚悟ならいつでも出来ていたのに、皮肉なことに私は長く生き延びる。一週間が過ぎ、一月が過ぎ、年まで明けて―――

白い髭を蓄えた巨人の男に出会ったのは、それから三年後のことだった。

2011016
「#オリジナル」のBL小説を読む
BL小説 BLove
- ナノ -