綺麗な、月夜だった。 小さく盃を傾けて、喉に流し込んだ冷たい液体を嚥下する。 見事な、満月だった。 きゅ、と目を閉じて波の音を聞く。さざ波に紛れた小さな足音も聞く。 空には、星がなかった。 瞼を上げると、そこにはお前が立っていた。 「…驚いた。おれの前には二度と顔を出してくれないと思ってたぜ」 リンは悲しげに眉根を寄せ、黙ったままそっと近付いてきた。おれの目の前まで来た彼女は両膝をつき、抱えていたオレンジのテンガロンハットをいきなりおれの顔に押し付けた。 「んぶっ!?」 「…取り乱したこと、反省してます。顔も見たくないなんて思ってません」 「ちょっ、じゃあなんだよこれは!」 「だって隊長、怒った顔をしているから」 「………」 そんな固い顔をしていたんだろうか、自分は。おれはそっと手を持ち上げてリンの両手を掴んだ。ハットを退けさせようと力を込めると、ぼとりと大きなオレンジ色がおれの膝の上に落ちる。案外近くにあった彼女の顔をじっと覗き込むと、堪えきれないというようにその瞳は下を向いてしまった。おれは彼女の両手を解放して、静かに言った。 「…怒ってねェよ」 「………」 「心配だっただけだ。火が苦手だなんて雪女の性だろ? 島がひとつ燃えてたの目の前で見たんだ、…怖いに決まってる。お節介だったな。ごめんな」 沈んだ顔のまま、ふるる、とリンは首を横に振った。おれはちょっと微笑んでみる。そんな顔しなくていい。おれのことでお前に、そんな顔させたくないんだ。 「違うんです」 「……へ?」 リンの頭に伸びていた手がぴたりと止まった。雪女だからじゃ、ないんです。言葉を処理するのに頭を回しているおれに向かって、彼女は自白する容疑者のように、やけに神妙な面持ちで言った。 「私の大切なものは全て、炎に奪われました。…何もかも」 「…え…」 おれはぽかんと間抜けに開いていた口を慌てて閉じた。どういうことだ。トラウマってことか? 大切なものを、奪った? 彼女が海に出る前の話だろうか? 唐突に数時間に彼女から聞いた話を思い出した。 『皆私や母を蔑んだわ。』 …何か関係が? 「…聞かせてくれ」 今度は目を逸らされることはなかった。ちゃんとおれの顔を映しているそれは、苦しそうに細くなる。 「…楽しい話じゃ、ありません」 「解ってる。けどお前は、そのためにここに来たんだろ?」 そうだとも違うとも彼女は言わなかったけれど、おれは確信していた。今夜おれがここで呑んでいるのを知っていたのは、マルコだけだったはずだからだ。 「聞かせて。全部受け止めてやるから」 念を押すようにもう一度言うと、リンは俯くように頷いた。 月が綺麗な夜だった。 20101010 |