Two hands | ナノ


「「んな…ッ?」」

歓声やざわめきが渦巻く体育館に足を踏み入れたアレンと桜は、既にコートの真ん中でウォームアップを始めていた相手チームを見た瞬間、見事なまでに同時に固まった。突然足を止めた最前列にチームメイトは何だ何だと首を伸ばし、あ、やらげ、やら口々に零して眉をしかめた。

「…ああ。やっとお出ましか」
「…かッ……神田先輩!?」

一番はじめに声をあげたのは桜であった。その腕にバスケットボールを抱え凜とそこに立っていたのは、冷血・無愛想・女子の人気の他に剣道の実力にも定評がある神田ユウだったのだ。

「な、な、なんで…」
「何でって忘れたのかよ?俺は3年2組だぜ」
「は!そうでした!でもどうしてバスケ…」
「もともと球遊びにゃ興味ねぇんだよ。適当に選んだらこれになっただけだ」

タマアソビ。その言葉にかちんときたアレンは、ごあっと激しい燃えるようなオーラを背中から噴き出して顔を上げた。

「…今のは聞き捨てなりませんね、カンダ先輩?」
「あ?俺は桜と話してんだよ、首突っ込むなモヤシ」
「はっ、アレンだと何回言えば解るんですか?人の名前も覚えられない人が馴れ馴れしく桜の名前を呼ばないで下さい」
「てめぇなんかモヤシで十分だっつってんだ馬鹿モヤシ」
「あのう、前々から突っ込もうと思ってたんですが、モヤシってどこかの国の言葉で『俺の女』って意味らしいですよ」
「「!!?」」

にぱっと笑った桜は、顔を青くして硬直したアレンの腕に手をかけ、そのままずるずると神田から引き離しベンチへと引き摺って行った。そのおかげで体育館は倒壊せずにすみ、それが争いをさけるための桜の策略だったわけだが、その代償に衝撃的な事実を聞かされた神田とアレンがいろいろな意味で大打撃を受けたのは致し方ないことだろう。

「…ゔ…ぼ、僕はそんな趣味ないですから…」
「解ってるよもー、ほらしゃんとして!試合までにちゃんと回復しといてよね」
「ちょ、さっきの話詳しく…俺の?何でしたっけ…?」
「ざーんねん私すぐ出なきゃいけないからねアディオース」
「えっちょっと桜!」

髪を高く結い直しながらコートに走っていく桜の背中に向かって咄嗟に手を伸ばしたが、しかしアレンははあと絶望的な溜息を吐いてがくりと項垂れた。気分悪…。ちらりと敵ベンチを盗み見れば神田も同じような状態で、タオルを顔に被り天井を仰ぐ、はたまた船酔いしたような態勢でいたので少し気味がよかった。いや自分も同じようなもんだけど…
試合開始のホイッスルを聞いて、アレンは目頭を強く揉んで顔を上げた。前半5分女子、後半5分男子。試合が終わったら問い詰めよう、今はとりあえず応援だ。



ジャンプボールには、身長が足りなくて辞退した。一番長身の子がそれをかってでてくれたけど、相手の背がまた大きいこと。首がおかしくなりそうだ。
そして、どうも視線がちくちくと痛いのだ。警戒されていると思えばまあ普通なのだが、先輩たちが私を見る目はどうもナイフのように鋭くて、殺意に近いものまで感じる(まあそれは大袈裟だろうけど…あは、は)
ホイッスル。高くあげられたバスケットボールはぎりぎりで相手方に弾かれ、慣れた手つきで早々にボールを奪われた。あっと思いボールが行った方向へ振り向くと、それを追いかける先輩が、あからさまに私の肩にぶつかった。
ぐ、と唇を噛み、その後を追いかける。

「パス!こっちノーマークよ、」

大きく手を上げてアピールすると、ボールを抱えうろたえていたチームメイトが、私に気付いてアンダーハンドでパスを出した。少々ぶれたがそれを掬い取って敵ゴールへ攻めようと踵を返したとき、取り返そうと素早く私に追いついた先輩が私に手を伸ばす。長く伸ばされた彼女の爪が私の肘あたりを強く引っ掻き、私は咄嗟にボールを落としてしまった。呆気に取られた私の背後で、リングがガンと揺れる音と、甲高いホイッスル、歓声。振り返れば敵チームが互いに手を合わせている。

「っ…な…なんなのよ…」

私は痛々しくみみず腫れした肘を押さえながら、眉を潜めてその様子を見ていた。偶然?考え過ぎ?何かがおかしい。
動けなくなった私はその瞬間背後に気配を感じ、はっと振り向く暇もなく、私の耳には女のどすをきかせた低い声が響いた。

「アンタ、えらく神田を気に入ってるようね」
「……?」

ばっと振り返るとそこには同じく背の高い、唇を赤く飾った3年2組の先輩が、腕を組んだまま仁王立って私を見下ろしている。

「2年のくせに調子に乗って。神田に近付いたこと後悔させてあげる」
「私、そんなこと」
「言い訳は聞かない。ほら、始まるわ」

そしてそのひとは私の横をすいと抜けるフリをして、軽く私のバッシュを踏んだ。「つっ」小さく呻いて膝を少し折れば、遠くから私の名前を呼ぶ声がした。ベンチを見ればアレンが不安そうに歪めた顔で私を見ていて、しまった、と思う。もし話しても先輩たちはしらばっくれるに決まってるし、こんなことで一々アレンに心配をかけたくなかった。
平気、と言うように態勢を立て直しボールを見据える。丁度大きく飛んできたボールを受け止め、ガラ飽きのゴール下目掛け大股でドリブルし、そのまま放ったボールは見事ゴールへ吸い込まれた。




「この前はあやとりなんてやってたわね。神田相当嫌そうだったわ」
「ほんと生意気、神田君はあんたのこと何とも思ってないんだから」

フェイントを掛け合うその時も、私は罵詈雑言に耐えねばならなかった。私は別に神田先輩のこと何とも思ってないし、第一アレンがいるし、そう言っても目の前の嫉妬に燃えた先輩たちは聞く耳を持たない。神田ファンクラブの執着は凄まじかった。

何とかディフェンスを切り抜けてパスを回しても、自分はもうボールを持たないのに不必要に体を接触させてくる。苛々が募って、絶対負けない、と歯を食いしばった瞬間、けたたましいアラーム音が鳴り響いた。

「あ…」

ステージの上に設置されたタイマーは、全ての数字が0になっていた。前半戦が終わったのだと理解し、次に見たのは得点表。14対10。こちらが4点、ゴール2回分負けている。

「…っく…」

悔しかった。後半は男子に引き継ぐにしても、私たち女子のチームは負けたのだ。チームメイトとベンチに戻ると、お疲れ、よくやったと励ましの言葉をかけられる。頬に伝う汗を腕で拭おうとしたら、残ったみみず腫れがそれに触れ、ずきりと鈍い痛みが走った。予想外の刺激に思わず声を上げると、アレンがそれに反応してしまい、隠してきた腕の傷は見つかってしまった。

「えっ…?な、桜、どうしたんですこれ」
「ちが…何でもない、」
「そう言えば桜、先輩達にすごい囲まれてたわね…」
「うわ、痛そう!これ先輩たちにやられたの!?」
「ち、違うよ」
「ごめんね桜、桜ばっかり先輩のマークすっごいきつかったもんね…気付けなくてごめん…」

必死に否定しても、誤魔化しきることなど出来なかった。キッとアレンが顔を上げ、怒りに震えて相手ベンチに目をやった。大きく口が開いて、きっと怒鳴ってやろうと思ったのだろう、しかしその声は体育館には響かなかった。やめてとアレンの腕を掴みかけた私は、突然のアレンの硬直を不審に思い、同じ方向に目をやるとそこには。

「…かんだせんぱ…」

神田がこちらに歩いてくるところで、桜は思わず肩を強張らせた。今これ以上あの人に関わると、また先輩たちにどんな勘違いをされるか解らない。
するとそんな桜をアレンはぎゅっと抱き締めて、桜は驚いて心臓が止まるような思いをした。かああ、と顔に熱が集まるのを意識しつつも、何事!?とアレンを見上げると、彼はただ怒りだけを灯した瞳で神田を見詰めていた。抱き締めていることなどもはや解っていないかもしれない。

「っ…神田先輩。あなたのチームの先輩方が、桜を傷つけ「悪かった」

声を荒げてアレンが抗議するのを遮り、神田は謝罪を述べながら浅く頭を下げた。神田が謝るところなど見たこともなく、それが意外過ぎたアレンは言葉をうっかり飲み込み、桜も目を丸くした。背中にまわされていたアレンの腕が解ける。

「…女どもから聞いた」

神田はぽつりとそう言った。恐らくいい気分になった先輩たちは、やってやったわよと鼻高々に、私に嫌がらせしたことを自慢したのだろう。それなのに責任を取ってと神田先輩が私にこうして頭を下げているという事実は、なんとも不思議な感覚だった。

「これは立派な不正行為だ。この試合、俺達の負けで構わない」
「「え…」」

桜とアレンは同時に声を洩らし、顔を見合わせた。しかし桜は神田を見上げ、きっぱりと宣言した。

「試合は続けます」
「…だが…」
「そのかわり」

私はすっと立ち上がり、コートに転がっていたボールを拾い上げる。

「私に一本フリースロー、打たせて下さい」

神田は無表情のまま暫し黙り、しかしすぐに頷くと審判の方へ歩み寄った。承諾が出たようで小さくホイッスルがなり、私は指定の位置についてゴールを見上げ、ボールを頭上に構える。

―――ひゅ、

ぱすんっ。

そのシュートは難なく決まった。わっと2年生ベンチから声が沸く。14対11。これで引き分けはなくなったわけだ。
次は後半戦だ。コートへと繰り出していく男子の間をすり抜けベンチに戻るとき、アレンに擦れ違い様、頭にぽんと手が乗る感覚。

「よく頑張ったね、桜」

2、3度掻き混ぜるように撫でられ、ふっと離れた手の重みを追いかけるように振り向くと、

「あとは任せて」

背中越しに微笑む彼は、この世の何より頼もしく見える。


#07 頭をなでる


20080706
予想外に長くなった…