Two hands | ナノ


「桜、思ったより傷多いですね…。大丈夫ですか?」
「うん、平気。アレン君も指、折れたりしてなくて良かったね」
「ええ、あなたの言うとおり突き指でしたね」

絆創膏だらけの桜と、指に包帯を巻いたアレン。この二人が並んで歩いていると何があったのかと誤解されそうだが、単に球技祭に参加しただけなのだから驚きだ。
バスケで優勝したのは、神田先輩率いる3年2組だった。アレンたちのチームが棄権した後から、そう、桜が女子の先輩たちと話した後からそのチームは飛躍的なチームワークをみせ、あれよあれよという間にトーナメント表を上り、優勝カップまで行きついてしまった。バレーはラビ先輩のクラス、3年5組。そしてドッヂボールはなんと、我等が2年3組である。

「バスケで勝ち進めなかったのは悔しいですけど、ひとつでも優勝出来て良かったですね」
「そうだね、唯一2年生が優勝したもんね!…でもアレンくん、今日最っ高にかっこよかった」

にっこりと率直にそう口にできる、桜のそんなところもアレンが好きなところのひとつ。二人の心臓は鼓動を速める。

「…こうえい です」
「あは、顔赤いよアレンくん」
「あなたに言われたくありませんね」

すっかり緩んでしまった顔で笑い合う。試合の緊張がすっかり解けた二人の心は余裕ができていて、どうにも高揚している。
涼しい夕方だった。真昼には騒がしく喚いていたセミも大人しくなり、今は鈴虫が間延びした声で歌っている。どこかの家で泳いでいるのであろう、風鈴がりいんと小さく鳴った。

「教室で話した先輩がね。凄く仲よさそうに見えたって、私たち」
「よく見てますねその先輩。でも桜を傷つけた方でしょう?そう許しませんよ」
「もー、私は平気だよアレンく」
「そうだそれより桜、ラビ先輩とふたりっきりで教室にいたのはどういう了見ですか?」
「え!?」

急にトーンが下がったアレンの声に、桜はやましいことなど何もないのにぎくっと肩を跳ね上げた。それを見咎めたアレンは唇を尖らせ桜を見下ろし、明日絞めにいかないと、と恐ろしいことを呟いた。

「ややや!何にもないよ!?私の怪我心配してくれただけで」
「わざわざ頬に触れる必要がありますか?」
「ちょっとアレンくんどこまで見てたの!?」

思い起こせばラビ先輩は桜の頬に手を添えて、数秒間見詰めあいもした。ドラマのワンシーンか!とでも突っ込みが入りそうな画だったかもしれない。それを、アレンくんが、見てた?桜はみるみる青ざめる。アレンはいいネタを見つけたなとばかりに内心にやりと笑み、しかし不貞腐れたようにああそうですかと道の先を行く。

「いいですよべぇっつに。桜の浮気者ー」
「ちが!?待ってよアレンくんっ、私が一番好きなのは」

慌ててアレンに腕を伸ばした桜だが、ぱたりと足を止めたアレンに桜はつんのめって目の前の背中にぶつかる。

「っうぐ、」
「…解ってますよ」

鼻の頭を押さえる桜に、アレンはくすくす笑いながら振り向いた。

「世界で一番僕が好きなんだよね」
「………」

言い返さない桜は恨みがましい目でアレンを見上げ、しかし視線を足元に落とすとこっくりと頷いた。珍しく素直な彼女が可愛くて堪らず、アレンは口の端が横へと引っ張られるのを止められない。それが面白くなかった桜はあることを思い出して、途端にまるで悪戯っ子のような顔をする。

「ねーアレンくん、体育館で私のこと抱き締めてくれたよね」
「っへぇえ!?」

にこにこしながら思い起こすように桜が言うと、アレンは度肝を抜かれて素っ頓狂な声を上げた。真赤な顔で硬直する彼に桜は堪らず吹き出す。

「やっぱり無意識だったんだ!」
「いいいいつ!?」
「女子の試合が終わって、アレンくんが先輩に抗議しようとしたときだよ」

ああ、全然気付かなかった。アレンは火照った頬を隠すように頭を抱えた。女の子を無意識に抱き締めるなんて何してるんだ僕!?女の子っていったって、桜以外にはたとえ無意識でもそんなことしないとは思うけど。

「わあ…す、すみませんでした」
「なんで?びっくりしたけど嬉しかったよ」
「…え…」

頭を上げて見た桜の顔は、アレンに負けず劣らず赤い。どくんと踊る胸。桜といると、アレンといると、心臓を酷使するから困ったものだ。
再び肩を並べて歩き出した二人の間に会話はなかった。心地よい沈黙。穏やかな夏の音だけが、この恋する男女を柔らかく包んでいる。

ちょん、とアレンの中指が、桜の指に触れた。びくっと心臓は震えて、偶然かなとは思いつつおずおずとアレンを見上げる桜に、アレンはぎこちなくも微笑み返す。偶然なんかではなかった。余裕ぶっていても脈は恥ずかしいくらいに速い。

「………」

桜は反対側の手のひらで、苦しい胸元をぎゅうっと握りしめた。ふふ、と照れ臭そうに笑ったアレンは、そっと桜の手を取って握った。

「…いい、ですか?」

桜はこくんと首を縦に振る。嫌がる理由などどこにも見付からない。アレンはほっと息をついて、指をするりと絡めて繋いだ。

「っ…!」
「やっぱりこの方がいいでしょう?」

蕩けそうなほど幸せに笑うアレンに、恥ずかしい、と訴えるように彼を見上げた桜は、結局何も言えなくなる。もう一度言うが嫌ではない。むしろ嬉しい、大袈裟なようだが涙が出るくらいに。

思ったより、見た目より、ずっとずっと男の子で、最高の恋愛の相を持つ手。優しく私の頭を撫でて、何より安心させてくれる大きな手。
小さくてふにふにしてて、あやとりが上手で、触れてみると驚くくらい女の子な手。いつもあったかくて、僕を慰めることが酷くうまい柔らかい手。

離したくなくなったらどうしようと、違わず考えてしまっている二人は、既に互いに深く依存してしまっていることにまだ気付かない。

毎日通った帰り道に、ひとつに繋がったふたつの影が伸びる。愛しさを伝え合う甘い熱が絡まった指の間で行き来して、二人の心をじわりじわりと侵食していく。

今日は、少し遠回りして帰ろう。もう少しこの手はこのままに。


#10 恋人繋ぎ


20080727
完結