Two hands | ナノ


「桜!」

無人の教室にひとりでいた私を見つけ、名前を呼んだのはアレンくんではなく、ラビ先輩だった。

「…ラビ、先輩」
「勝ったんだろ?バスケ。おめでとさん」
「はい。…でも、次の試合は棄権しました」
「へ?」

そう、私たちは次の試合へ進む権利を放棄した。私は体中傷だらけで、アレン君は左手を負傷。こんな状態で試合は出来ないと、もう無理はしなくていいんだと、私たちに悔いはないと。皆は笑顔でそう言ってくれた。だから次の試合への切符は、神田先輩たちのクラスに譲った。…否、託したのだ。

「…ばんそーこ、いるさ?」
「いいえ。しばらくしたら保健室に行きます。そういえばラビ先輩は…」
「ん、オレさ?バスケは負けたけどドッヂは勝ち進んでる。オレ筆頭のバレーは全勝さ!」
「筆頭って自分で言いますか」
「いーじゃん事実だしー」

へらへらっと笑ってから、ラビ先輩は不意に真剣な顔になって私を覗き込んできた。ぎくりと肩を強張らせて、なんでしょう、とぎこちなく聞くと。

「…いや。これユウのクラスの女にやられたんだろ?」
「………」
「女の嫉妬は怖いさ。こんなぼろぼろにされちまって」

かわいそーに、と慈しみの瞳で見詰められて、そっと頬っぺたに手のひらを宛がわれる。アレン君より大きくて骨ばった手。その思いがけぬ熱にどくんと心臓が騒ぐけれど、アレン君にされるときみたいな、女の子な音はしない。それがなんだかとても不思議。

―――ガラ

ドアが開く音がして、私は驚いてそちらを見た。そこにいたのは先ほど一試合交えた女の先輩達。気まずそうに俯いていたり、しゃくりあげながら泣いてしまっている人もいる。

「…何かご用ですか」

私が言うとラビ先輩は冷たい視線をそちらへ向けて、すっと手を私から退けた。歯切れ悪く「あの、」と呟く彼女たちを見詰めながら、私は椅子から腰を上げる。

「…ごめんなさい」

涙に潤んだ目を伏せて、先頭に立っていた先輩が頭を下げた。私にはじめに声をかけたあの人だ。それにならうように後ろの先輩たちも頭を俯かせる。

「私たち、すごく酷いことしたなって、…本当にごめんなさい」

私は黙ってそれを見詰めていた。それを許されていないととったのか、先輩はもっと深く腰を曲げながら涙声を上げる。

「知らなかったの、あなたに彼氏がいるなんて。試合が終わって初めて知ったわ。あんな仲よさそうな二人見て、私たち勘違いしてたって気付いて、…ごめんなさい、本当にごめ、なさ、」
「おいお前たちさ、自分が何したか解ってんの?理不尽な嫉妬で桜をこんなにぼろぼろにしたんだろ」

何も言わない私を代弁するように、ラビ先輩が前に出てそう冷たく言い放つ。ひっと息を飲んで震える先輩たち。私は咄嗟にラビ先輩の腕を掴んだ。

「…桜…」
「…せんぱい。私はアレンくんが、世界で一番好きです」

いきなり話が飛んで、ラビ先輩も女子の先輩もきょとん顔だ。しかし私は腕の傷を擦りながら構わず続ける。

「アレンくんの為なら何だって出来ます。独占欲も嫉妬も、多分恥ずかしいとは思わないと思うんです。…先輩たちだって神田先輩のこと大好きだから、私が神田先輩に近付かないようにしたかったんでしょう?」

先輩たちはまるで何も聞こえていないかのように私を凝視していたが、しかし何人かが小さく、小さく頷いた。私はそっと口元を緩めて、ぺこりと頭を下げる。

「すみませんでした。私もう、神田先輩にはちょっかい出しませんから」

もともとちょっかいなんて出してるつもりなかったが、こうしてヤキモチを妬かれるのだから、それは改善すべきということだ。

「先輩たちには、私なんか到底叶わないくらいの魅力があります。それで神田先輩を振り向かせてしまえばいいじゃないですか」
「……へんなこ、ね」

ようやく声が戻って来たらしい先輩は、ぽつりとそう呟くと、顔を手のひらに埋めて動かなくなってしまった。私は軽く唇を噛んで、しかしこれ以上ヘタに慰めるのも野暮だと判断した。ラビ先輩に「あとはよろしくお願いします」と言い残し、「ええっオレさ!?」と戸惑う彼に構わず先輩たちとは逆のドアから教室を出る。保健室に向かうつもりだ。

「待って」

ぱしり。角を直進しようとしたときに少し強い力に手首を掴まれて、私は驚きに声も出ないままその場に立ち竦んだ。え、と右通路に顔を向ければ、真面目なんだか不真面目なんだか解らないような表情をした、

「…あ、アレンく…」

名前を呼ぶと、彼はにっこりと綺麗な笑みを唇に乗せた。掴まれた力の強さに覚えた少しの恐怖も、その優しい笑顔に和らぎ吹き飛ばされる。

「ほんと、桜らしいですね」
「え?」
「さっきのスピーチ」
「スっ」

ま、 さか。聞かれっ…

「桜、僕のこと世界で一番好きなんですってね?」
「うわああぁ!?」

ばっと頬を自らの手のひらで抱く私の目の前で、アレンくんはくすぐったそうに笑う。

「ふふ、そんな顔真っ赤にして…。大丈夫ですよ?気持ちは一緒ですから。僕も桜の為なら何でも出来るよ」
「あーっそんな最初の方まで!もうほら、私保健室行くの!アレンくんも指手当てしてもらお!」

今度は私がアレンくんの手首を掴んで、引っ張って廊下をずんずんと歩きだす。「わわ、」とアレンくんも慌ててそれに従って、しかしそれから数歩も歩かぬうちに。

「桜、」
「なにっ」
「僕は桜以上魅力的な女の子なんていないと思います」

足が縺れて危うく転ぶところだった。


#09 手首を掴む


20080725
ばかっぷる全開。次回で最後です