滴る深紅に愛など添えて | ナノ


―――――…


すっかり陽は落ち辺りは暗い。緑が豊かなのはこの村の良いところだが、冬場になると木々が道に落とす影が大変寒々しくてこれは困る。走ったせいでずり落ちたストールを肩に掛け直しながら、ドロシーは仕切りに口から白い息を吐き出しつつ小道を駆けていた。いけない、折角リナリーに言われていたのに、家を出るのが遅くなってしまった。でもこのままいければ、ミサが始まるまでにはぎりぎり間に合うだろう。このままいければ―――…

「…あっ!?」

キン、と貫くような痛みに、ドロシーは思わずぴたりと足を止めた。崩れるように踞る。右足をつったようだった。こんな時に…とドロシーは眉間のシワを深くするが、焦ったところで何もできない。脇道に逸れて、大きな樹に背を凭れずるずると座り込む。喉は氷柱を押し込まれたかのようにひりひりと痛んでいたし、頭は酸欠でほとんど朦朧としていた。足のこともそうだが、日頃の運動不足がたかったようだ。教会に着くのは無理そうだ…明日神父様とリナリーに謝ら…ないと―――
走ることを諦めたと脳が認知すると、全身は瞬時に重くなり、疲労と眠気が襲い来る。ああ、こんなところで…とドロシーは思いながらも、数分だけだと自分に言い聞かせて瞼を下ろした。
あっという間に意識は闇の底へ。








今日も大した収穫はなかったな。お世辞にも麗しいとは言えないご機嫌のアレンは、些か不満な表情のままテールコートを翻した。腹が空いたからいつもより少し早めに街へ下りたけれど、自分を警戒してか人通りは至極少なかった。事に至る方法としては、女性にごく普通にナンパする要領で声を掛け、人目のないところへ連れ込むのが一番容易だ。名は広まっていても自分の顔を知るものは居ない、そう、『この世』には。知っていたとしても僕がかの有名な吸血鬼とは、誰も夢にも思わぬだろう。いつもは一般人として世間に紛れている。正体を知られれば血を吸い上げて殺すだけだ。
考えに耽って無意識に足を進めていたら、いつの間にやら小さな村のはずれまで来てしまっていた。僕ははたと立ち止まる。梢の間に、黒っぽいワンピースのような布地と、そこから伸びる白い足らしきものが見えたからだ。こんな寒い夜に何事だろうと近寄ってみると、そこには少女がひとり、樹の幹にぐったりと凭れ掛かっていた。ワンピースかと思われたそれは修道着で、彼女がシスターであることを証明している。息はあったが、ぐっすりと深く眠り込んでいるようだった。それを見た途端僕は呆れを通り越し感心すらした。こんな季節のこんな時間に外で居眠りなんて、この女は凍え死にたいのか?殺人吸血鬼を恐れて街の者が神経質に家の戸締まりをしている中で、これほどの無防備さったらない。これじゃあ吸血鬼でなくても、通り縋った男に強姦されたって文句は言えないだろうに…
僕は未だ眠りこける彼女の前で膝を折り、その頬に手のひらを当てた。案の定それは氷のようで、蒼白な頬には血の気がなく、こいつは本当に生きているのかと疑ってしまう。こんなにも細いいかにも病弱そうな体だ、きっと貧血でも起こしたに違いない。まあ少なからずとも、数少ない女が、まるで食べてくれと言わんばかりに目の前で横たわってくれているのだから、アレンにとっては喜ぶべき事態だった。自身の体をゆっくりと屈めると、女の修道着の、かっちりと覆われている首回りを静かに裂く。曝け出された眩いばかりの白に知らず喉が鳴った。細身の少女、しかも貧血となれば十分な量など皆目期待は出来ないが、食後のデザートということで、ありがたく頂こう。
そうして首筋に歯を立てようと、そこに顔を埋めた瞬間、ふわりと、嗅いだことのないような香が鼻孔をくすぐり、僕は思わず牙を止めた。赤ワインのような、甘い香。それは確かにこの女の肌から漂っていた。僕は注意深く彼女の肩口に鼻を押し付け、すん、と嗅ぐと、やはりそこからは今まで感じたこともない程に美味そうな血の匂いがする。この薄い皮膚の下に駆け巡る血の香まで感知するなど、吸血鬼の性だろうか。僕は暫し考えた。このまま牙を立てれば、血液不足で彼女は死ぬだろう。しかしこんなにも甘美な匂いのする血を飲める機会が、いや実際の味などまだ解らないが、ともかくも一回きりというのは大層惜しい。ならば―――…
僕は体を女の上から退くと、その体を軽々と抱き抱えた。また微かに香る甘い香にアレンはにまりと笑い、元来た道を引き返し、すっかりと陽の落ちた夜の黒の中に少女もろとも消えた。
残されたのは、破り捨てられた黒い布の断片のみ。


吸血鬼の好運


//20081018
吸血鬼は修道女を手に入れました