text | ナノ


「どうしよう!!!」

その日のお店の営業終了後はというと、顔を真っ赤にして身悶えるヒロインの絶叫が、 清掃を終えて静かになったホールに響いていた。にやにやとその様子を見守る先輩スタッフの1人が、茶化すようにヒロインに声をかける。

「聞いたわよ〜〜!あの紳士様にお誘いされてたでしょ」
「ああ!!どんな服を着ていけばいいんでしょう!!どんな顔して会えばいいんでしょう…!ていうか、どうしてわたし呼び出されたんですかね!?」
「そんなのデートに決まってるでしょ」
「デート!?わたしと国宝級に美しいあの紳士様が!?わわわたし、あの方のお名前さえ分からないのに…!」
「っていいながら、めちゃくちゃ嬉しそうね、ヒロイン」
「嬉しいです!嬉しすぎて熱が出そうです!!」
「明日発熱で休まれたら困るからはやく帰りなさいな」

あああ、と悶えながら、わたしは震える手で自分の熱い頬を両手で覆った。

たまにお店に来ては、大量のケーキや焼き菓子を買って帰られるあの綺麗なお客様。見とれてしまうくらい品の良い顔で、いつも一店員のわたしに優しく笑いかけてくださって、お店のケーキを美味しかったと言ってくださって、本当に神様みたいな大好きなお客様。
年は同じくらいだろうか。たまに来てくださるそのお姿を見るのが目の保養だったのに、今日お久しぶりにご来店されたかと思えば、突然明日デートのお誘いをされてしまった。その時の彼のほんのりと赤い恥ずかしそうなお顔を、今でも鮮明に覚えている。「だめ?」なんて、そんな風に照れた顔をされて、わたしが断れるわけないのに。

心臓が破れそうだ。きっと今日はまともに眠れないんだろう。彼は何を思ってわたしなんてお誘いしてくださったのか。軽い気持ちのお戯れだとしたら?ああ例えそうだとしても、こんなにも浮かれている私の心はどこまでも正直だし、それでも良いと思ってしまう都合の良さ。

「…名前、知れたら良いな」

ぽつりとつぶやくその声は、唇を覆う両手の中に消えた。






仕事終わりにそそくさと着替えを済ませ、いつもより少し時間をかけて髪を整えた。裏口から出て店の正面に回ると、昨日見たばかりの白い髪が視界に入って、どきんと心臓が跳ねた。わたしが声をかける前に彼はすぐにこちらに気付いて、少し急ぎ足で迎えに来てくださる。ドッドッと鳴る胸を押さえたくなる
衝動にかられながら、わたしは自分のできる精一杯愛想の良い笑みを浮かべた。

「ヒロインさん。こんにちは。お疲れ様です」
「あ…っ、こんにちは、ありがとうございます。……」

次の言葉を選んでいると、彼はふとわたしの手元に視線を落とした。少し大きめのケーキの箱。
あ、と咄嗟に顔を上げて、その箱を彼にぐいと差し出す。

「昨日、ケーキ、せっかく買いに来てくださっていたのに、お渡しできなかったので。わたしが選んでしまいましたが、いつも買われていらっしゃるくらいの数を見繕ってきました…」

少し面食らったようだった彼は、すぐに理解したようで、ああ、とばつが悪そうに苦く笑った。

「こちらこそ、昨日は注文もせずにさっさと帰って、失礼を。あなたを連れ出すお約束ができて、胸がいっぱいになってしまって」
「え……」
「これで足りますか?」

懐から取り出した小さな袋がわたしの手に乗せられた時の、確かな重みと金属が擦れる音で、渡したケーキの数倍の金額がそこに入っていることは容易に想像できた。
受け取れませんと、小袋を返そうと突き出した手を、するりと彼の大きな手に包み込まれて、指を絡めて握られる。恋人にするかのようなそれにどっくんと鼓動が乱れて、きっと真っ赤になっているわたしを彼が天使のような優しい顔で見下ろしている。

「アレンです」
「っえ、え、?」
「アレン・ウォーカーと申します。名乗るのが遅くなってすみませんでした。貰いすぎていると思われるなら、良ければ、あなたに名前を呼んでいただきたいんですが」
「で…でも、このケーキはわたしが勝手に持ってきたものなので、そもそもお代なんていただかないつもりで」
「ではなおさらです。どっちにしろ、呼び名がないのは困るでしょう」
「……え、えっと」
「………」
「…ア…アレンさん」
「…………はい」

その嬉しそうなハニカミも、ますます色濃くなった頬の赤も、知らん振りしててあげる。自覚をしてしまったら、おしまいな気がするの。

20180430