text | ナノ


※ケーキ屋ヒロインと聖職者アレン


人もまばらな午前10時のメインストリート。
ピカピカに磨かれた窓ガラスに映る自分を覗き込み、爽やかな春風に乱された前髪を指先で摘んで、さりげなく直した。店の花壇では真っ白な花がゆらゆらと揺れていて、それを見下ろしながら数秒かけてやや早くなっている鼓動を落ち着ける。赤い屋根の可愛らしいパティスリーの中は、オープンして間もないこの時間からすでに何人かのご婦人方の影が見えた。
ふー、と肩を落ち着けてから、手をかけた扉はチリンとベルを鳴らして来客を告げながら開く。

「いらっしゃいませ」

せっかく心の準備をしたというのに、可愛らしい声がかけられてどきりとする。ちょうど顔を上げたところだった彼女が、すぐに気付いて僕に笑いかけていた。

街一番のパティスリーで働いている女の子。彼女の名前はヒロインというようだ。
半年ほど前だったか、コムイさんに頼まれて訪れたこの店で、うっかり一目で心を奪われた。僕だけが一方的に彼女の名前を知っていて、一言二言雑談をするだけの関係に未だ甘んじているけれど。
任務から帰り、暇さえあれば、お使いでもないのにこの店に足を運んでいる自分がいる。
内心どぎまぎしながら彼女に微笑み返し、彼女の佇むショーケースの前まで足を進める。ああ今日も、思わず引き締めた口元がうっかり緩んでしまうくらい可愛いな。

「こんにちは、ヒロインさん」
「お久しぶりですね。お忙しそうで」
「はは、まあ、少しだけ」
「今日は?」
「ケーキをいくつか見繕っていただこうと思って」
「はい!新作がいくつか出たところですよ」

穏やかな口調でニコニコと話す彼女の笑顔が眩しい。彼女から甘い香りがふんわりするのは、このお店だからだろうか。
苺のように赤い唇、ほっそりとした華奢な指先、笑うたびに細まる丸い瞳。ああ、見惚れる。

「…あの?」

はっ、と我に帰る。思わず雑談もおざなりに、ただ彼女の愛らしさに目を奪われていた。不思議そうな心配そうな、そんな目でこちらを見るヒロインさんの、その頬に手を当てて引き寄せたいと、そんな欲望を抱いたのはいつからだろうか。
じっとそのまま見つめていたら、彼女の耳がほんのりと赤くなり、恥ずかしげに少し視線を逸らした。堪らない。もうそろそろ、彼女をこの可愛い店の外に連れ出す誘いをしても、良いだろうか。

「あの、ヒロインさん」
「は、はい?」
「…ええと、良ければ、」

「ヒロイン、いいかい」

言いかけた僕の背後から低いテノールが響き、それは彼女の名前を呼んでいた。しかも呼び捨て。
ぐっと口をつぐんで後ろを振り向くと、そこに居たのはテーラードスーツを上品に着こなした長身の男であった。その姿を見るや否や、ヒロインさんはぱあっと目を見開く。

「ああ!お待ちしていました!」

花が咲いたように笑った彼女は、少しだけすみません、と僕に会釈をしてから、その男の元へ駆け寄った。僕も咄嗟に笑顔を返しその姿を見送ったが、たちまち頭がさっと冷えるような、そんな心地を覚えていた。
嬉しそうに男を見上げるヒロインさんと、まるで恋人にするような微笑を浮かべながらそれに応える男。見たくないはずなのに目が離せない。それは数分だったのか数秒だったか、ふたりは会話を終えたようで、男は彼女からケーキの箱を受け取り、店を優雅に出て行った。彼女はぱたぱたと小走りに僕の元へ戻って来て、顔にかかった髪をさっと耳にかけながら小さく頭を下げた。

「すみません、お話中に」
「……いえ」
「えっと…なんのお話でしたっけ…」
「…今の方、」
「え?」

ああ、止まらない。口が勝手に動いている。

「随分仲が良さそうでしたが、ヒロインさんの恋人ですか?」
「えっ!?」

大きく見開かれた瞳をじっと見つめる、僕の顔はどんな表情をしているか。とても見れたもんじゃないよな、と思いながら、それでも聞かずにいられない。ヒロインさんは頬を赤らめて、口ごもりながらもぱたぱたと首を横に振った。

「ち、違います!」
「…違うの?」
「いつもご贔屓にしてくださっている、昔からのお客様です。奥様との結婚記念日のケーキをご予約されていて、今日お受け取りにいらして…」
「そ、…そうなんですね」

かあ、と思わず赤面。分かりやすく焦って嫉妬して、相手はただの常連客。バツが悪くてぽりぽりと頬を掻く僕を、ヒロインさんも心なしか気恥ずかしそうに見上げている。何その可愛い顔。あーもうダメだ、もう言っちゃえ。

「あの、ヒロインさん」
「はい」
「明日もいらっしゃいますか?」
「あ、はい!でも明日は、わたしは昼までですが」
「じゃあその後の時間、少し僕にいただけませんか」
「へっ…?」
「…だめ、ですか?ご予定が?」
「っ…いえ、な、なにも…」
「じゃあ、決まりですね」

真っ赤になっている彼女に向かって早口で捲し立てるように約束を取り付け、じゃあ、と僕はそそくさと店を出た。チリンとまたベルが鳴るのを背中で聞いて、僕はやけに早足で教団への道を辿る。心地よい温度の風が熱い頬を冷ましていく。笑えるくらい綺麗に晴れた空を見上げた途端、溢れ出したかのように大きなため息が口からこぼれた。

いつか彼女をデートに誘う時は、もうちょっとスマートにやろうと思ってたのに、いざという時に限って嫉妬に駆られてあんな風になってしまって、僕としたことが、カッコ悪すぎる。
どくどく脈打つ胸に手を当て、コートの胸元をくしゃりと握って初めて、ケーキを買い忘れて来たことに気付いた。ふは、と、次に口から漏れたのは嘲笑のような笑みだった。

好きってこんな感じか。甘酸っぱいなぁ。こんな気持ちになったの初めてだ。
明日のためにせめて、イメージトレーニングでもしておこう。次はもっと上手くできるように。


動悸と誤算と甘い熱


20180408
べた惚れアレン