がつがつと荒々しく床を蹴りながら、オレはひたすらに廊下を進んだ。息が乱れるのも構わずに、走って、走って、漸く見付けた彼女の背中。
「ヒロイン!」
小さな影は、オレがもう1メートルほどまで近くに来たあたりでゆったりと振り向いた。久しく見た彼女の表情に、オレははっと息を止める。
「…ヒロイン…」
彼女の瞳は凍っていた。仕事のため屋敷を出る直前にはきらきらと輝いて、こぼれ落ちそうな程に大きくてまるくて綺麗だったそれが、今は2つの冷たい氷と化していた。
「…たくさん、死んだわ。私の、部下たちが…」
報告は受けていた。あるファミリーの偵察に出ていたヒロインが、偶然そこで起こった内乱に巻き込まれ、彼女を援護しに向かった部下たち数名が射殺されたと。ヒロインの性格からして絶対に自分を責めているのだろうと、それを心配してオレは彼女を探していたのに、オレの予想以上にヒロインの精神状態は昏睡しているようだ。
探しだし、呼び止めたまではいいが、いざ声を掛けるとなると言葉に詰まった。何か言わなければと中途半端に口を開いて、しかし声は出てこない。喉が動かない。すると代わりに、閉ざしていた唇をヒロインが震わせた。
「…私が、皆を殺し、たんだわ」
それは違うと否定したかったのに、出来なかった。声すら無表情で、抑揚がなくて、まるでパソコンで打ち出したような音。届かない。オレは咄嗟にそう悟った。
ならばせめて、強く抱き寄せて、涙を流すことくらい許してあげたかった。しかし、今目の前にいる少女はとてもとても弱く見えて、抱き締めなどしたらぱきりと、簡単に折れてしまいそうだと感じすらしたのだ。
苦しくて苦しくて苦しくて、思い切り胸に閉じ込め抱擁してやりたい気持ちを必死に抑え、オレは彼女の頭を引き寄せて、小さな頭の頂に額を押し付けた。
「…泣けよ、」
半ば自分に言うように、やっと機能した喉が紡いだ言葉がそれだった。泣いていいよと許可をするような、そんな甘い言葉では彼女の心は癒えないし、第一許可だなんて上からものを言えるほど、オレも偉くはない。強制で、命令で、その重荷を半分でいいからオレに預けてよと、声にならない声で静かに願った。
「なぁ、早く、泣いてくれよ」
「…ボ、ス」
くぐもって聞こえたのは、聞いてるこっちの胸が貫かれるような、切ない涙声だった。それでもオレは心底安堵して、今度こそ小さく震える体を抱き締めてやる。
「誰も悪くない。誰も、悪くないんだ」
ねえ、オレは、祈るよ。君がいつも笑って泣ける日が訪れることを、君がいつか大声で幸せを叫べるような世界に成ることを。
しかし私はやはり無力で、決して優しくはない神とやらに縋ることしか出来ないのです
震え始めた小さな肩を、オレは俯いたままきつく抱き締めた。
20080619
抱え込むヒロインと、自分の弱さを痛感するボス