log | ナノ

ツナくんと恋人同士になったのは、大体一年くらい前だったかな。幼稚園のときからずっと続いていた『幼馴染み』というなんとも微妙な関係を抜け出したくて、中学二年生の中頃に、獄寺くんや山本くんの目をなんとか掻い潜って告白した。そうしたらツナくんは恥ずかしそうに俯きながら「先越されちゃったなぁ」って呟いて私を抱き締め、て、…うわあなんか思い出したら顔あっつくなってきた!
まあ付き合い始めたのは一年前でも、二年生のうちは私の部活が忙しくてあんまり放課後帰ったりとかデートとか出来なかったから、三年生になって引退した最近漸く初めて放課後デー、ト………
「…ヒロイン?」

どうやら回想が過ぎたみたいだ。無言で顔を真っ赤にしている私を不振がってツナくんが私の名前を呼んだ。はっと頭を上げれば正面には心配そうな顔でツナくんがじっと私を覗き込んできて、ああそうだ、折角ツナくんとお弁当食べてる真っ最中だというのに。

「あ、ご、ごめんツナくんっ私変な顔してたよね! 少し考え事をね、」
「いや別に変な顔はしてないけど…。何? 考え事?」
「うん。ちょっとツナくんのこと考えてた」
「………」

…あ、あれ?黙ってしまったツナくんが大きな目を更に見開いて、私をびっくりしたように見つめてきた。もしかして変なこと言っちゃったかな私?

「…ヒロイン、これあげる」
「えっ? あ、わーいありがとうっ私奈々さんの玉子焼き大好きなんだー!」


***


ああ寒い寒い。もう春っていっても風は冷たいし全然温かくないんだ。昨日雨も降ってたし、今日はいつもより冷えるな。前から出掛けようとは約束していたけれど、ヒロインをこんな寒空の下連れ出して大丈夫だったかなぁ。

「ツナくん寒いねー」
「…そうだね」
「手ぇ冷たいねー」
「……そう、だね」

…ねえヒロイン、それってさ、わざと?そう聞いてやりたかったけど絶対深くは考えてないんだろうから黙ってた。取り敢えずごほんっと咳払いをしたけどヒロインは気にしていないようで、自分の小さな小さな手を見詰めながらはあと息をかけた。

「ほら、私手のひらとか真っ赤だ。あっそうだ手袋!お揃いで手袋買わない?」

うんそれも凄く魅力的だけどね、ほんとはさほら、…ああ何で解んないかなー。

「? ツナくん? ツナくんおーい!」
「…ねぇヒロイン、俺手袋買えるほどお金持ってきてないんだ」
「えっそうなの? うーんじゃあ温かいとこ行こうか! お店の中とか」
「そうだね。でもその間は寒いんじゃない?」
「え、あ、そっか、うーんと…」

口元に手を当てて真剣に悩み始めるヒロインに、俺は思わず吹き出しそうになる。そんなことする前にさっさと店内に入れば手っ取り早いのにね? ほんとヒロインはいつもどこか抜けてるよな。これ俺が言ったら怒られるかもしれないけど。

「ねぇ、ヒロイン」
「はい?」

ヒロインの手を口元から引き剥がして、ぎゅっと握る。恋人みたいな貝殻つなぎじゃなくて普通にただ「握った」だけだけど、心臓はばくばく暴れていた。そもそも女の子、それも好きな子と手をつなぐなんて初めてなんだ。小さくて冷たいその手が、驚いたようにぴくりと震えたのが解った。緊張気味にヒロインをそっと見下ろしてみたら、さらさらした黒い髪の間に真っ赤になった耳が見える。さっき何気なく視界に入ったときは眩しい程の白だったはずで、寒さのせいではないらしいその赤色が愛しくてたまらなかった。

「ツ、ツナくん…」
「これなら問題ないよね」
「あ、うん、そうだね…っ! あ、あはは、ツナくんあったまいい!」

妙に上擦った声が可笑しくて可愛くて、僕は気付かれないように小さく笑った。ああもう好きだな、大好きだよ、ヒロイン。


***


澄みきった水色だった空は夕日が真っ赤に塗り潰して、そろそろ夜の青に染まり始めていた。美しい水彩画のようなそれは静かな並盛の街に淡い紫の色を敷いていた。もう帰らなければ。そう頭では思っても、この手を離したくないと二人は違わず考えていた。今日別れたって明日会える、そんなことは解って、いるのだけれど。

どちらとも口を開くタイミングを見失って黙していると、そこから数十メートル先に、大きな樹が見えてきた。照明に照らされたそれは、白と桃色の間くらいの曖昧な色で光っている。

「あ、」

思わず、といったかんじで、ヒロインが小さな声を洩らした。少しだけ足を速めてみて、やっとはっきりと形が見える。桜だった。よくよく見ればそこは以前、山本や獄寺たちと花見をしたり、雲雀と戦ったりと、ツナにとっては色々な意味で思い出深い場所だったのだ。しかし夜にここを訪れるのは初めてだった。これを夜桜というのだろうとは思ったが、見え方が昼とは驚く程違う。近くに立つ背の高いライトは、この桜の樹を照らすためだけに存在するかのようだった。

「わっ、ツナくん、夜桜…?」
「あ、うん。みたいだね」
「凄いね、初めて見た!」

ヒロインはツナの手をぐいぐい引っ張りながら走り出した。運動神経があまりよろしくない二人がその数十メートルを走りきるには結構な時間を要したが、息を切らしながら首をぐんと曲げて見上げたその光景は、圧巻だった。

「うわ、わ、まだこんな、咲いてる…」
「ほ、ほんとだ…もう散ったかと、思ってた」

ひらり。ひらり。薄い桜の花びらは空中をさ迷いながら降りてきて、ツナの肩に、ヒロインの頭に着地する。ふとお互いがつないだ手を離してそれを取り除く瞬間が同時だったので、二人は目を合わせて思わず笑ってしまった。

「綺麗だね」
「うん、綺麗。また見に来たいな、この桜」
「違うよ。ヒロインが」
「………へ」

一瞬解らないような顔をした後面白いくらいに顔を真っ赤にして、「ななな何言ってんの綺麗じゃないよ!」とヒロインが叫ぶから、ツナは用意していた「冗談だよ」を言わないで、ただ笑っていた。自分ばかりがどきどきしているみたいで少し癪だったので、ヒロインは熱くなった頬を片手で押さえて、空いた手でツナの手をきゅうと掴む。ツナがはっとしたように息を呑んだのを見て、ヒロインは少し気が晴れた。

「また来よう、ツナくん」
「…ん。そうだね」

ツナは嬉しそうなヒロインの頭をそっと撫でてヒロインの頬にあった手を掴んで退けると、露になった赤い頬に小さく口付けた。離れる前に更に上気したそこに、ツナはまた笑ってしまう。いきなりファーストほっぺちゅうを奪われてしまったヒロインは、口をぱくぱくさせながらツナの笑顔を見上げていた。二人とも鼓動が酷く、速い。

「…帰ろっか」
「えっ!? あっ、あ、うん…」

つながれた手を引きながらツナはもと来た道を引き返し始め、ヒロインもそれを慌てて握り返して着いていく。
並んで遠ざかる二つの背中を、淡い照明の光が優しく照らしていた。


それはある春の日の出来事でした/20080405