「ミ〜ド〜リ〜タナ〜ビク〜、ナ〜ミ〜モ〜リ〜ノ〜…」
「…上手ね、ヒバード」
私の肩の上でひっきりなしにさえずる小鳥は、私がそう言うと両の羽をふるりと震わせた。主人が居なくて淋しいのだろうか、最近は並盛の校歌を歌ってばかりだ。それも私の肩に止まりっぱなしなのだから普通は煩いと思うかもしれないのだが、不思議とそうは感じなかった。懐かしいそれが酷く心地好いだけ。
恭弥、が。彼がこのアジトから出掛けて、今日で何日目だろうか。草壁さんも恭弥についていってしまったし、元々群れるのが大嫌いな彼のアジトに使用人なんて居ない。よって私と、偵察を終えて戻ってきたヒバードは淋しくお留守番だ。
すっかり耳に馴染んだ校歌を気付けばヒバードに合わせて口ずさむようなことはしょっちゅうだった。今日も例外でなく、一人分の夕食をふんふんと校歌の鼻唄混じりに作っていたところで、ヒバードは不意に歌うのを止めてしまった。
「あれ? ヒバード」
さすがにもう飽きちゃったのかな、と思えば、
「ヒバリ」
思わず私は振り向いてしまった。ヒバードが恭弥を見付けたからだと思ったのだがそこに彼はおらず、淡い期待は裏切られることとなった。そうだ、ヒバリ、というのもヒバードの口癖の一つだ。小鳥の気紛れに動揺してしまった自分に苦笑した。
「ヒバードはほんとにお喋りだねー」
「ヒバリ、ヒバリ」
「ヒバード、いい? あなたのご主人様はね、恭弥、って名前なんだよ」
「キョ、…ヤ」
「うん、そう。きょーや」
「キョー、ヤ」
何回か単語を発音してみせただけですっかり覚えてしまった。頭いいな、さすが恭弥の鳥。
「賢いねーヒバードは」
「キョーヤ、ヒバリ、キョーヤ」
私の折り曲げた人指し指に乗って愛しい人の名前をさえずる小鳥は、堪らなく可愛かった。同時にどうしようもなく恭弥のことを思い出して切なくもなる。
「…きょうや…」
一ヶ月近くかかった仕事を終え、雲雀はボンゴレアジトの地下五階に向かっていた。そこにある自分のアジトへの通路を少しばかり早足に進む。
「哲、資料室からこの件に関する資料出来るだけ集めてきて」
「へい、…恭さん」
「何」
「……いえ、何でも。二時間ほどで戻ります」
「………」
雲雀は眉をしかめて草壁を振り返るが、草壁は何食わぬ顔で一礼すると、さっと身を翻していった。雲雀は更に歩く速度を速める。
(全く、哲は変なところに気を使う)
僕に何か言いかけたのも、わざわざ「二時間」と言い残したのも、僕の邪魔はしまいとする彼の計らいだ。彼は僕が仕事についている間、どれだけヒロインに焦がれていたかを知っている(…やっぱり二時間じゃ足りないんじゃない)
真っ先に向かったのは、五十畳はくだらないほどの広さの和室。ヒロインは寝るとき以外は大抵ここにいる(僕専用の部屋だけど、ヒロインも僕専用だからとやかくは言ってない)
す、と襖を開ける。広い部屋にぽつんと置かれた小さな机、それに突っ伏して微かに背中を上下させる人。確認するまでもなくヒロインだった。
静かに近付いて隣に腰を下ろす。机に片耳を押し付けてすやすやと眠るヒロイン。相も変わらず細くてきれいな黒髪は、遠慮がちに机上で遊ばせている。思わず手を伸ばして触れると、それはしゃらしゃらと揺れて彼女の肩に落ちた。
スロー再生くらいの速さで、頭を撫で、耳元を掠め、頬に触れる。するとヒロインの睫毛がふるると揺れて、ゆっくりと瞼を上げた。
「ヒロイン」
「きょ…や」
掠れた声で僕の名前を呼ぶとヒロインはほんの少し頭をもたげて、崩れるように僕の胸に倒れ込んだ。
「…きょうや、が出てくる なんて、素敵な、ゆめ…」
か細く寝言のようにそう呟いて、ヒロインはまた眠りの世界へと戻ってしまう。気持ち良さそうに寝入るヒロインを起こして夢じゃないよと訂正するのも気が進まなかったので、僕は思い切りきつくしたいのを堪えて、そっとヒロインを抱き締めた。
体温もシャンプーの匂いも、最後に感じたときと少しも変わらないから酷く安心する。
おもむろに指同士を絡めてみる。少し痩せただろうか。淋しい思いをさせていたもの、仕方がないかもしれない。
「ヒバリ、ヒバリ」
ふと顔を上げて見ると、ヒロインの影になっていたところからふわりとした黄色い塊が飛び上がった。数回小さな羽を羽ばたかせると、それは僕の髪の上にぽすんと不時着する。
「オカエリ、ヒバリ、オカエリ」
「うん、ただいま。ちゃんと言い付け守ってたみたいだね」
ヒバードには、僕が居ない間ヒロインの傍にいるように言っておいた。少しでもヒロインの淋しさを紛らわせてあげたかったから。その言い付けをヒバードは忠実に守っていたようだ。
それにしてもヒロインはよく眠っている。風邪ひくから和室では寝ないでねとあれほど言ってるのに…
寝室に連れていこうかと、僕はヒロインを抱いて立ち上がる。
「…ん、」
体が振動したからだろうか、ヒロインは今度こそ目を覚ましてしまった。数秒間の沈黙、ヒロインは僕を見上げながら目を擦り、首を傾げながら細める。
「…あれ、わたしまだ夢見てるのかな…」
いまだ夢だと思いこんでいるヒロインに苦笑する。そりゃ一ヶ月も音信不通だった奴が突然目の前に現れたら、普通はそれなりに驚くだろうけど。
僕はヒロインを覚醒させようと軽く額を弾いてやった。
「い、った!」
「折角帰ってきたっていうのにご挨拶だね、ヒロイン」
「え、…え、きょう、や?」
夢じゃない?あ、痛かったから夢じゃないのか。額を押さえながらまごまごとひとしきり一人言を呟くと、ヒロインは再び僕を見上げて首もとにぎゅうと抱き着いた。
「本物よね!」
「偽物だったらここには入れないよ」
「わ、すごい、おかえり恭弥!」
「…ただいま」
嬉しさのニュアンスをふんだんに含んだ声でそう言うものだから、不覚にもどきりとなんかしてしまった。
「いつ帰ってきたの?」
「たった今」
「草壁さんも?」
「哲は今資料室だよ」
「そっか、二人とも無事だったのね。よかった」
ああ、その笑顔も一ヶ月振り。胸の中が何かに満たされていく感覚。
「キョーヤ」
え、とヒロインを見ると大きく目を見開いて、焦ったように辺りを見回していた。キョーヤ。どうやら僕の名をたった今呼んだのはヒロインではないらしい、ということは、
「キョーヤ、キョーヤ」
「…ヒバード?」
その声は確実に頭上からするわけで、今現在僕の頭の上にいるのはたった一人…もとい一羽。
いや、さっきまではヒバードは僕のことを名字で呼んでいなかったか?聞き間違いでも記憶違いでもないはずだ。いつから主人の名を呼び捨てるようになったのだろうか。
「あ、ひ、ヒバードまだ覚えてたんだ」
「何、ヒバードに変なこと覚えさせたのはヒロインなの」
「変なことって! ただ私は『あなたのご主人様は恭弥って名前なんだよ』って教えただけよ、2、3回言い聞かせたら覚えちゃったから」
賢いよねと言いながらふふっとはにかむヒロインに、僕は大袈裟に息を吐く。
「当たり前でしょ、僕の鳥なんだから」
「でもさすがに物覚え良すぎるんじゃ「アイタイ」
「「………え?」」
甲高いヒバードの声に、僕とヒロインはぴたりと全ての動作を止めた。先に我に返ったのはヒロインだった。僕の腕に抱かれたままばたばたと暴れて、ヒバード! と叫ぶ。
「キョーヤ、アイタイ、キョーヤ、アイタイ」
「ひひひひヒバード! こらっ、ちょ、こっち来なさい!」
僕はヒバードとヒロインを交互に見た。ヒバードに僕の名を教えたのはヒロインらしい。それでは、恭弥、会いたい、これは。
「心当たりがあるの、ヒロイン」
「っい、イイエ!」
裏返った声で一度ヒロインは否定したが、僕がじっと見詰めると言い逃れできないと悟ったのか、赤い顔を下に向けた。
「…教えた訳じゃない。何でヒバードが知ってるのか私が聞きたいくらいよ」
「『何で知ってるのか』?」
「………」
墓穴を掘ったヒロインは自分の失言に肩を跳ね上げ、半ばヤケになったような目付きで僕を見る。
「…、言ったわよ! 淋しくてどうすればいいのか解らなくて、気付いたら恭弥恭弥、…私どうにかしてた、恭弥不足だったのよ」
ヒバードは何回も繰り返されるそれを聞いて、すぐに覚えてしまったのだ。
それは、反則じゃないだろうか。顔を赤くして「賢過ぎるのも考え物よ」とむくれるヒロインは、いつの間に僕に会いたいと口走っていただとか僕不足だとか、一ヶ月間僕を想って恋しがってくれていたのだ。
「……恭弥、お、おろして、重い…」
「全然重くない、むしろ軽くなってるよ」
痩せたでしょ、と言えばヒロインは複雑そうに眉を潜める。的外れな答えが焦れったいのだ。たった今事実を暴露した恥ずかしさでヒロインは僕から離れたがっている、しかし僕がそれを許す訳がない。
「き、恭弥、今帰ったばっかりなんでしょ。ご飯つくるから、ね、おろし…」
「そう、僕は帰ってきたばかりで疲れてる。だからヒロインに癒してもらうことにするよ」
「え、わた、私? ひゃ、ちょっ」
突然歩き出した僕にヒロインは咄嗟にがっしりとしがみついた。来たときと同じように襖を開け、廊下を進む。目的地は寝室。
「何、き、きょーやっ」
「何って解らないの、さっき言った通りだよ」
あっという間に辿り着いた寝室、真っ白く綺麗に敷かれた布団に些か強引にヒロインを組伏せ、両手首を押さえ込んだ。
「覚悟は良い?」
「よよ良くないってば、」
「そう。でも僕はもう待たないから」
だから早くヒロインもその気になってよ、と赤くなった耳を甘く噛じると、強張ったヒロインの体がびくりと震える。
「と、特別、なんだから…」
それだけ言って下唇を噛むと、ヒロインは僕の背中にそろりと腕を回す。全く素直じゃないんだから。
(淋しかったのが自分だけなんて思わないでね)
お顔が真っ赤よ小鹿ちゃん/20080224