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ちゅ、と甘やかな音を立てて、唇同士が数センチだけ離れた。瞳を細くしていた彼女の視線は俯いたままであったが、次第にゆっくりと上向いて俺を見つめた。笑わない。無表情。


「今日は、抵抗しないんさね」


もう一度唇を重ね、触れあったまま囁くと、彼女の喉からは小さく音が洩れた。いつもはまるで鈴を転がしたかのようなそれが、今は深く響く釣り鐘のように俺の耳に残る。そっと彼女の横に手を付くと、触れた分厚い辞書がかたりと音を立てて僅かに引っ込んだ。無人の書庫は、真冬の高原のように静かだった。


「…寂しかった?」


視界を閉ざしてまたキスの感覚に浸っていると、突然彼女がそう言って、俺はすこしびくりとした。じ、とこちらを見上げる瞳が、俺の戸惑った顔を映す。自分のその顔が酷く愚かに見えて、目を、潰してしまいたいと思った。


「ねえ、寂しかったの?」


黙した俺に答えをねだるように、今までずっと受身であった少女は、初めて自ら俺に接吻を施した。その間も、どこを見ているか解らない、奥行きの深い目は俺を捉えたままだ。うん、と音にはせずに、頷くことで肯定すると、彼女はすこし満足そうに笑って、俺の背を慰めるようにぺたりと撫でた。


「私も」


小鳥のような声が二人の間に漂う。先ほどまでの、氷のような表情が嘘みたいに、彼女は眠たそうに微笑んで俺の肩口に額を擦りつけた。俺はそっと彼女の頬に手のひらを宛がって、もう一度、殊更優しく口付けた。
離れていた時間は決して短くはなかった。もしその間に隣にいられて、いくつか会話を交わしていただけで、俺たちはどれほど今よりお互いを知れただろうと思う。それでも俺たちは何回だって、愛する人にさよならを言う。そして同じ分だけただいまを言う。そんな幸せでいいと、そうやって自分を言い包めて、仮初めでも無欲な自分でいたかったのに、彼女はあっさり暴いてしまった。いつまでも彼女と笑って泣いて、喧嘩して仲直りして、共に生きたいと願う欲張りな俺に、気付いてしまっていたんだ。


「好きよ、ラビ」


誘惑が俺の壁を砕いていく。怖いと思う内心は穏やかだった。小さな小さな彼女が、とてつもなく大きな存在として、もうすぐ俺の中に入り込んでくる。

守ってあげなきゃなあって、思ってた。でも気付いたら、俺は彼女の、加護の光の中にいた。





//20081005
しっとり甘く