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「バリ島ですか?」
「そう」

コムイさんは資料を私と神田に渡して、地図を引いてバリ島をすらりとした人差し指で示した。

「ここにある教会なんだけど、そこでイノセンスが発見されたんだ。だけどまあいろいろ事情があって、探索部隊だけでは取りにいけない」
「事情?」
「資料を見てくれれば解るよ」

手の中の冊子に視線を落とす。描かれているのは美しい教会の絵。綺麗なところだなあと見とれていたら、今まで黙っていた神田が初めて声を上げた。

「おいコムイ、もうイノセンスは見付かってんだろ。俺だけで十分だ」
「いや、そうはいかないんだよね」
「何?」
「これはヒロインちゃんと神田くんふたりでなきゃこなせない任務だ。あんまり時間がないから、行く途中に資料を読んでよ」

私と神田は顔を見合わせた。ほらほら、と追い立てられるように指令室を後にして、仕方なく方舟の元へと急ぐ。

「何かな、ふたりでしかこなせない任務って」
「ヒロインがいたって足手まといにしかならねぇよ」
「ユウちゃんひどい!」
「黙れ」

探索部隊の何人かはもう待機していた。ぺこりと頭を下げる彼らに私も宜しくと挨拶して、しかし神田は目もくれずにさっさと舟の中に消えた。あっ待ってよ神田、急いで追い掛けながら資料を捲る。

バリ島で近日、式を目前に控えた男女のカップルが相次いで行方不明になっており、目撃証言によると「教会に入っていった」との情報。南東に位置するその教会に掲げられた、十字架の中心に埋め込まれたサファイアにイノセンスの疑いがある。牧師の急死をきっかけに数年前から使われなくなった教会は、その牧師の霊がとりついているという噂もある。………

「…ってさ、ふたりじゃないと駄目な理由がまだ解らないのは私だけかな」
「………」
「それはですね」

ぱたぱたとついてきた男性の探索部隊が、資料を片手にひょいと口を挟んできた。驚いて振り返ると彼はにこにこ笑いながら、私と神田を交互に見詰める。

「牧師の急死というのは、ある夫婦の式中に起こったんです。元々かなりお年を召していた上に心臓が弱くて…。教会に牧師の霊が取りついてると言われているのは、亡くなった牧師の魂とイノセンスが共鳴している為だと教団は考えたんです。しかし私たちが回収しようとすると、まるで遠ざけるようにいきなりの雷雨や群発地震が起きて近付けないんですよ」
「何故二人で行かなきゃならねぇかという答えにはなってない」

ざくりと斬り込むような神田の一声が彼の話を遮る。何ぴりぴりしてるの、そう問い掛けたら神田はふんっとそっぽを向いてしまった。探索部隊の彼は意味深な笑みを口元に浮かべている。

「はい、ここからが本題なのですが。ここ数日の間に、式を控えた男女が相次いで行方を眩ませているのをご存知ですよね?」
「ええ」
「牧師は未練を残して亡くなりました。式の真っ最中でしたからね。結婚を迎えようとしていた男女が教会に消えるのも、牧師がその未練を晴らそうと自ら呼び寄せているものと考えています。私たちのように団体、あるいは単独で近付こうとしても拒まれるので」
「…えっと、つまり」
「ええつまり、真似事だとしてもあの教会で男女二人が式を挙げれば、牧師も気が済むものかと」
「はあ、なるほ…ぶっ!ち、ちょっと神田急に立ち止まんないでよ!」

大きな背中に正面衝突した私は、ぶつけた鼻を押さえながら神田を小突いた。ぐるん、と振り返った神田の顔が、耳まで赤いことに驚く。

「てめ、まさか、俺たちにそれをやれとか言うんじゃねぇだろうな!?」
「だってそれしか方法ありませんよ?一般の方は気味悪がって協力してはくれないでしょうし、アクマがいつ襲撃してくるか解らないので、エクソシスト様に回収していただくのが一番かと」

完璧な正論に神田は言葉を詰まらせ歯噛みする。神田と対等に言い合うなんてこの人なかなかやるな、なんてまるっきり他人事でいた私をちらりと神田が見て、しかし思い切り舌打ちされたかと思ったら、扉をばんっと叩き開けてさっさと出ていってしまった。ぶわっと強い風を受けて乱れた前髪を慌てて直しながら、私は目を見開いて憤慨する。

「な、何あれ感じ悪!」
「まあまあ、照れていらっしゃるんですよ神田殿は」
「照れてる?何故?」
「だってヒロイン殿、解っておられますか?」

神田が出ていった扉に手をかけて外を覗くと、そこは美しいバリの風景だった。遠くの丘にそびえるチャペル。数メートル前に肩を怒らせる神田が見えて。

「ヒロイン殿と神田殿が、本物の式場で永久の愛を誓うのですよ」

………うん?






「ヨーロッパでこんな雨土砂降りってヤバいよね。酸性雨?禿げるんじゃない」
「お前そんなこと言ってる暇あったら手動かせ」

そんなこと言ってちょっと頭庇ったの見逃してないわよ神田。そんなこと口にしたら後で殴られるから言わないでおくけど。化学班お手製の団服はかなり丈夫らしいが、濡れたら体にくっついて重く不快だ。頬に貼りつく髪を払って、目の前のアクマをまた一匹破壊した。

「神田、怪我ない?」
「お前は」
「私は平気。神田も大丈夫そうね」

アクマの返り血を雨が流していく。アレン君のコート借りてこれればよかった、フードがあるからまだマシだったろうに。これから暫く安心して頭が洗えない。探索部隊が言っていた通り、教会には迂闊に近寄れないようだ。下調べに来れば突然の大雨にレベル1のアクマの群れ。ああ、今日はこのまま宿に戻るしかないかな。

世話になる宿に二人で帰ると、何やら忙しそうに探索部隊たちがひとつの部屋を行ったり来たりしていた。何かなと思って覗こうとしたら、数人の女性にやんわりと止められる。

「お帰りなさいヒロインさん、ずぶ濡れですね?シャワーを浴びていらしたらどうでしょう?」
「あ、はい、そうします。ところで皆さんここで何を」
「明日の準備ですよ」
「明日?」
「さあ、今日はお疲れでしょう?ここは私たちに任せて、ヒロインさんはお休みになって下さい」
「え、え、あ ちょっと…あれ、そういえば神田は」
「すぐシャワー室に向かわれました」
「あっあの関心無さ男…!」

渡されたタオルで頭をわしわしと掻き回しながら、自分も汗を流そうとシャワー室に向かった。私の背中を意味ありげな微笑で見送り、探索部隊たちはぱたりと部屋の戸を閉めた。












翌早朝。前日の疲れがまだ残り、ベッドシーツを握り締める手を離さなかった私の元に、昨日の探索部隊の女性が訪れた。何ですかと朦朧としながら体を起こしたとき、にっこりと眩しい笑顔で渡された「それ」に、私は眠気もすっかり忘れ壮大に顔が引きつるのを嫌でも感じた。腕に収まるそれはずっしり重い。朝日に負けない輝く純白。絶句する私は「さあ着替えましょうか」と身ぐるみ剥がされ、そして現在に至る。

「ここまでする必要が…」
「勿論。結婚式なんですから、ね?」

裾を摘まんで持ち上げてみる、見に纏うのはウェディングドレス。ひらひらしたフリルやレースがふんだんにあしらわれ、胸元や頭に花、宝石。着たのが私でなければさぞ美しいのだろうなぁと思うとすこし残念だ。

「こんな朝早くからしなくてもいいじゃないですかあ」
「生憎時間が押しているんです。本当は昨日で終わるはずでしたから」

そうして次に手渡されたのは、ぺらりと薄い冊子。開いて見ると台本のように文字が並んでいる。きょとんとする私にひとりの女性が説明する。

「これがマニュアルです」
「マニュアル…?」
「式の台詞ですよ、カンニングペーパーとも言いますかね」
「はあ」
「さあどうぞ。神田さんがお待ちですよ」
「か、かんだ?」

扉を大きく開かれて告げられた言葉に、私はどくりと胸を高鳴らせた。そうか、私がドレス着てるってことは、神田も…
おず、と部屋を出て顔を上げたら、私と同じ白のタキシードをかっちりと着込んだ神田が、居心地悪そうに人差し指で首もとを緩めていた。「神田、」と小さく呟いてみたら、彼は私に気付いたようでハッとこちらを向く。切れ長の鋭い瞳が見開かれた様をリアルに捉える。似合ってるとか、言ってくれるんだろうか。そうどきどき考えているうちにも神田の口が開く。

「すげぇドレス」
「そ、そうだね」
「…気の毒だ」
「…な、っ!?」

しかし期待に相反し、掛けられたのはそんな言葉。下手に貶されるよりも頭に血が上って、私も噛み付くように言い返す。

「しし、失礼ね!神田スーツちょっと似合うとか思っちゃった私馬鹿みたい!」
「はっ?」

ふんっと視線を逸らして、私は足早に宿から外へ出た。教会はここからもよく見える。道に迷うこともない。何なんだほんと、仮にもウェディングドレスって女の夢なのに、気の毒!?なにそれ!神田なんて一生独身でいればいいん「おい待てよヒロインっ」

ぐっと腕を掴まれて、立ち止まり振り向くとやはり神田だった。ほんの少し息を乱して、私を困ったように見下ろしている。

「…何」
「お前、何勘違いしてんだ」

勘違い?何がだ。私はぎろりと神田を睨み上げる。

「どうせ私には似合わないもん、こんな綺麗なドレス」
「やっぱり」

訳が解らなくて顔を上げたら、私が忘れてきたらしいヴェールを神田が手にしているのに気付いた。あ、と声を洩らしたら、それをばさりと頭に被せられる。

「お前にそんな格好、本物の式の前にさせたのが気の毒だっつったんだよ」
「………な」

…何、それ。掴まれていた手はほどかれて、赤面した神田はすたすたと私の前を歩き出す。何でそんなこと言うの、神田。ヴェール持ってきてもらって良かったなあ。きっと私今、神田より顔赤いもの。




こつん。こつん。静かな、今はもう使われていない教会にふたり分の足音が響く。言ってしまえば廃墟のそこは、しかしステンドグラスの一枚も割れてはおらず、美しい姿をしたままだった。きっとこれもイノセンスの力だ。昨日とはころりと態度を変え、教会は何事もなく私たちを受け入れた。正装すれば大丈夫だなんて単純な考え方、と思ったが、やってみたら案外あっさり上手くいく。イノセンスなんて大概いい加減だ。
明るい式場に飾られた花は清楚な香を漂わせる。ステンドグラスから零れる光がドレスと足元を鮮色に染める。高々と掲げられた十字架に、きらりと神々しく輝く青い石。牧師の居ない名ばかりの結婚式。かさ、と台本を静かに持ちかえ、私はそこに視線を落とした。

「始めんぞ」
「…うん…」

神田は難しい顔をしてそれを睨み付けていた。台詞を辿るとごく普通の、式で新郎新婦が愛を誓うときに用いるもので、しかしやはり私たちは初めての体験だし、それを誓うにはまだ早い年だろうとは思う。けれど。

『汝』

私がそう言えば、神田はぴくりと顔を上げた。表情が少し固い。緊張なんてらしくない。

『新郎、神田ユウは、病めるときも健やかなる時も、新婦、ヒロインを―――愛し抜くことを誓いますか?』

どくん、どくんと心臓が大きく動く。神田は難しい顔をしてこちらをじっと見詰めていた。かさりと紙を手放し、私はそれに視線を絡める。虚偽の婚礼なんて、聖職者が許されるのだろうかとは思うが、それでも私は。

「神田なら、いいよ」

笑って、そっと告げると、神田の切れ長な瞳がぱっと見開かれた。いいよ。神田なら。だからねえ、言って。

『―――誓う』

神聖なる教会に響く声は、満ちる光に混じり煌めいた。








「いやーご苦労様!無事イノセンスが回収できたよー」

今回の任務の資料整理をしながら、コムイさんはにっこりと私たちに労いの言葉を掛けた。報告書を受け取りながら私は苦笑を返す。

「私たちじゃなくても良かった気がするんですが…」
「え?だって君たち、付き合ってるんじゃないの?」
「「はっ!?」」

ぐしゃり、と思わず報告書を握り潰してしまい、神田は持っていたイノセンスを取り落とす。二人の動揺っぷりにコムイさんが目を丸くする。

「どうしてそんな事に!?」
「違うの?」
「違ぇよ!」
「けど二人共、顔が真っ赤だよ?」
「「……!」」

にやにやと頬杖をつくコムイさんに、私と神田は揃って絶句した。

「何だ、違ったのかあ。でも今回の任務で愛が芽生えちゃったりしたんじゃない?」
「な、何を…っ、あ 神田っ」
「部屋に戻るッ」

踵を返し、肩を怒らせながら室長室を出ていく神田を、イノセンスを拾い上げてから追い掛ける。すたすたと廊下をはや歩きする神田に慌てて追い付いて、待って、と団服の背を掴む。

「…あ?」

乱暴に振り向いた神田の顔を見上げ、私は驚いて思わず手を離す。

「…かん、だ、ほんとに顔真っ赤」
「なッ…お前に言われたくねェよ!」
「えっ!」

ばっと頬に手のひらを当てる。赤さは解らないが確かに熱い。赤面した男女が廊下で見詰め合い立ち尽くしている、この光景は余程滑稽であろう。

「…私、嘘じゃなかったよ」
「は…?」
「教会で。神田ならいいって、ほんとに思ったの」
「…どういう意味、」
「そのままよ」

自分の声が掠れていることもあまり気にしては居なかった。自分はもう、ほとんど告白をしているようなものだと自覚はしていた。神田が好きだとか、別にそういう訳でなく、ただ、神様の前で神田になら、愛を誓ってもいいと思った。彼はどういう風に受け取るだろう。

「…俺も…」

ぽつりと呟かれた三文字に、私はばくんと胸が跳び跳ねた。その間にぱっと報告書を掠め取られ、あ、と私が声を上げると、神田はぶっきらぼうに「さっさと終わらせるぞ」とまた私に背を向けて廊下を歩き出した。俺も、何なのかは解らず仕舞いで、それから神田は一度も振り向いてはくれなかったけど、私は堪えきれず口元に笑みを浮かべて、再び彼の背を追った。

「待って神田!私もやる!」


幸福の造花、息吹く
/20180401