log | ナノ

気付いたとき目の前は真っ暗で、自分の瞼がいつの間にか閉じていたことを知る。どうやら眠っていたみたいだ。自分の下に感じる、ベッドにはあるまじき革のような感触に、ソファの上なのかなと推測する。ええと、何でそんなところで僕は寝てたんだっけ?確かジョニーにチェスを誘われて、談話室で待ち合わせて、それから…?その後の記憶が綺麗さっぱりない、ということは、どうやら僕は談話室で彼を待つ間に眠ってしまったようだ。こうして分析していないで自分の目で確かめれば早いのだが、いかんせん僕は、まだとても眠い。あわよくばこのまま二度寝してしまいたいくらいだ。しかしどうやらすぐ近くに人の気配がするし、目を閉じているからってこんなに濃く影が落ちているのも可笑しい、深夜でもあるまいし。…深夜、じゃないよな?僕がここに来たのは昼時、どれだけ僕が爆睡していたとしても、夜になるまでには誰かが気付いて起こしてくれただろう。というかジョニーは?チェスはどうなったんだろう?ああ、これは呑気に寝ている場合でもないな、それにしてもやっぱり何か、変―――…

「…うぅん…?」

うつら、目を、開いたら。目の前に合ったのはヒロインの顔でした。

「…ッ!?え、ちょ…」
「…っあ…!」

驚きに目をぱちくりさせながらも、勢いよく離れていった彼女の甘い香りを名残惜しく思う手前、僕もなかなかだなあとは思うけれど。ヒロインは口元を押さえ、絶対に僕を見まいとするように顔を横向けていた。よくよく見てみれば、頬も目元も額も、耳まで真っ赤。

「…あ…の、ヒロイン…?」

戸惑いながらも何事だろうとそっと彼女の名を呼ぶと、ヒロインはとうとうぐるりと僕に背を向けてしまった。えっ、とつい声が出てしまって、カッコ悪かったな今の なんてずれた事を考える。

「…どうしたんですか、ヒロイン…」

肩に手で触れてこちらに向くように促すと、おずおずとだけど僕の方を向いてくれて少しほっとする。けれど顔は、見てくれないんだなぁ。どうすればいいんだろう、ていうかさっきのあれは何だったんだろう、もんもんとそんなこと考えていたら漸くヒロインの唇が震えながら開いて。

「…ご、ごめ…」
「え…?」

あ、あれ、謝られてしまった。未だ状況を理解しきれない僕は首を傾げる。

「何が、ですか?」
「………」

口を隠すヒロインの手がぴくりと震えたのを僕は見逃さない。これ以上問い詰めても、きっと彼女は何も言ってはくれないだろう。それなら自分で考えてみようか。まず僕がソファで寝ていて、きっとそれをヒロインが見付けたのだろうな。それで、いざ僕が意識を取り戻してみれば僕らの顔が物凄く近くにあった。声を掛けたら弾かれたように離れてしまって、今その白い頬を、真っ赤に上気させ、て…。どくん、どくんと心臓が深い鼓動を刻み始める。ひとつ、僕の中で今立てられた仮説、これが正しいというのなら。ヒロイン、君って人は、なんて可愛らしい子なんだろう?

「ね、ねぇヒロイン、あなたもしかして…」

きゅっと彼女の腕を握って言いかける、ヒロインは泣きそうな顔をして勢いよく頭を左右に振った。僕の言葉を否定してるというよりは、続きを聞きたくないと拒否しているように見える。しかしここで大人しく引き下がってあげる僕ではない。だってそれ、『照れ隠し』なんでしょう?

「ヒロイン、僕に、」
「やっ」
「キスしようとしてたんですか?」

ぶわっと一気にヒロインの顔が真っ赤になる。絶句は肯定と取りましょうか。少し力を込めて掴んだ手を引くと、それに抗おうとしたヒロインが体ごと僕の腕の中にふらつきながら倒れてきた。信じられない、アテレコしたらそんな台詞がつきそうな表情で見上げてきた彼女に少し笑う。

「いつの間にそんな大胆になったんですか?」
「ち、違」
「我慢出来ないくらい僕が欲しかった?」
「だっだからっ」
「寝込みを襲うなんて、可愛い顔して中々やりますね」
「ッ…!」

つい嬉しくて意地悪に捲し立ててみれば、ヒロインは唇を真一文字に結んで唸り「ばかばか違うもんっ」と僕の肩を握り拳でぼすんと一度叩いた。痛くないですよ、なんて言ったらきっと今度は力一杯やられてしまうから黙っておく。両手のひらに顔をうずめてしまったヒロインの頭を、髪の毛の流れに沿って撫でる。

「ごめん、ごめん。そう拗ねないで下さい」
「…私は」

少し怒ったような口調で言いながら、ヒロインは僕の頬に触れる。赤い傷をすっとなぞられて、僕は内心ヒヤリとした。

「アレン君の寝顔が珍しかったから、眺めてたらつい、見惚れて…」
「…え」
「な、んかよく解んないけど、いつの間にか顔、近付けてた」

呆然とヒロインの顔を見詰めていたら、彼女は次第に気まずそうに口の端を横に引いていき、ふい、と目を逸らしてしまった。突き上げるような高揚感が僕を襲う。愛の言葉も滅多に言ってくれない彼女が、僕の寝顔に見惚れて、あまつさえキスまでしそうになったという。考えてみれば僕、物凄く勿体ないことしてるじゃないか。あと5秒遅くに起きれば良かった。

「自惚れても、いいのかな…?」

どうしても緩んでしまう顔をそのままに言えば、ヒロインは頬を膨らませて、ぽすんと僕の胸に頭を寄せる。艶々した髪をゆっくりと撫でて、少し背を丸め眉間に唇を当てると、ヒロインは体を固くして目を閉じた。談話室とか食堂とか、そういう場所でこうして甘えじゃれついたらいつもは怒られるのに、なんだか今日の彼女はいたく機嫌が良いらしい。

「ヒロイン、キスして」
「、…なっ」

ヒロインはとても困惑した顔で僕を見上げた。目を細めて、彼女が弱い笑みを唇に乗せて可愛らしくオネガイする。

「キス、して?」

悔しげに下唇を噛むヒロインに、これはもしやいけるかもと笑みを深くする。促すように目元に口付けたら、う、とヒロインは震えるように唸って、観念したように僕の肩に手を乗せた。

「…いっかいだけだから」

十分だ。僕は口の中で呟くと、彼女の眉間に寄った皺をトンと人差し指で叩いた。目を丸くしたヒロインににこりと微笑んでから瞼を下ろす。戸惑って躊躇っておずおずと落ちてきた影と、微かに掛かる温かい吐息に胸が震える。あと何センチ、あと何秒?愛しい姫君からの口付けを待つ。


刻む時の甘美さよ
永久より永きものであれ

//20080919
受身アレンでも良い