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その日の早朝から黒の教団では、ハロウィンパーティーの準備が速やかに行われていた。食堂は一角を、修練場は中央階を残して完全封鎖。手の空いた総合班の面々は、昨日仕入れたばかりのカボチャの中身をせっせとくり貫いている真っ最中だ。昼になれば団員たちは次第にそわそわし始め、誰が用意したんだか、魔女や狼男の衣装に身を包んだ者も現れ始めた。陽が沈む頃には、ずらりと廊下に立ち並ぶ無数のロウソクとカボチャ。先程任務から帰ってきたばかりのヒロインは、ホームの変わり様に仰天した。大きなジャック・オ・ランタンを手に取り注意深く調べていたところに、後ろから声を掛けられる。

「おやヒロインちゃん、帰ってたんだね。おかえり」
「あ、ええ今、ただいまコムイさん。凄いですねこれ」
「でしょ?リーバーくんたちも時々手伝いに行くから、僕は自由を謳歌しやすくなっているという訳さ!」
「はぁ…」

物凄く生き生きと笑うコムイさんに、ヒロインはランタンを慎重に元の場所に戻しながら引きつった笑みを返した。するとコムイさんは彼女の背後に視線を向けて、あ、と一言、意味深な笑みを浮かべた。振り向くとそこにはヒロインの恋人が居て、彼も丁度こちらに気付いたようで、まるでランプ紐を引いたかのようにぱっと明るい笑顔になってひらひらと手を振って来た。

「ヒロイン、おかえ…」

アレンは言い切る前に、何か世にも奇妙なものを見たような困惑顔になって、突然こちらに駈けてきた。ヒロインは首を傾げつつも答えようとしたがしかし、「ただい」ま、を言う前に一瞬声の出し方を忘れた。アレンが助走をつけた勢いを殺さぬまま、飛び付くように抱き着いてきたからである。

「―――な、!ちょっ、アレン!?」
「あ、あれ?」

おかしな声を上げながらも、ぎゅっと抱き込んできたアレンの腕に驚きながらもヒロインは直ぐ様我に返り、頬擦りしてくるその白髪頭をばっしーんとはたいた。

「たッ」
「ななな何考えてるの馬鹿!廊下のど真ん中よコムイさんの目の前よ!」
「わ、解りませんよ、体が勝手に動いてるんです!」
「吐くならもっとマシな嘘吐けこのケダモノ似非紳士ッ」
「嘘じゃな、イタッ、痛い痛い!」
「…待ってヒロインちゃん」

顔を赤くしてぎうーっとアレンの白い髪を引っ張っていたヒロインの手に制止を掛けたのは、思いがけずコムイだった。驚愕の瞳を向けると、コムイはまだヒロインを抱き締めたままのアレンを興味深そうに見下ろしていた。

「アレンくん」
「は、はい?」
「体が勝手に動くっていうのは?」
「ええ、ヒロインを見た途端体が突然…今もです、自分の意志じゃ腕が動かせない」
「うーん…もしかしたら、アレンくんは乗り移られているのかもしれないね」
「「は?」」

突然オカルトなことを言い出したコムイに、ヒロインとアレンはそろって怪訝な顔をした。コムイは二人をしげしげと観察しながら考察する。

「だってほら、今日は幽霊の祭典ハロウィンだよ?ヒロインちゃんが今回の任務で破壊したアクマって確か…」

ヒロインはつい昨日遂行してきた任務を振り返った。名前を知っている人も少ないような小さな小さな国、まだ幼い一人息子である王子を病で亡くしたショックから、一国の女王が息子の魂を宿したアクマとなった。レベル3まで進化したそれの破壊が今回の仕事で、私は無事やり遂げてきたはずだ。男の子の魂は確実に救済した。

「そう、王子はまだ小さかった。自分を救ってくれたヒロインちゃんにお礼が言いたかったんじゃないかな。だから魂だけでも動きやすいこの日を利用して、一番ヒロインちゃんに親い存在のアレンくんの体を乗っ取った、と。どう?」
「なるほど、そういうことですか」
「科学者としてはあまり肯定はしたくないけどね」

納得して大きく頷くアレンに対し、ヒロインはまだ疑わしいと言いたげな目をしていた。

「じゃあ、アレンの中の王子様、あなたが私のどこを攻撃したか…忘れてないよね?」
「えっ?ヒロイン、まさかどこか怪我でも…って、うわ」

アレンは口では狼狽えるが、その腕はすぐに動いた。腰のやや左上。触れられた途端にぴりりと痛みが走りヒロインは顔をしかめ、アレンは更に慌てて謝ってきた。コムイの仮定は実証されたようだ。

「いいよアレン…あなたの意志じゃないんでしょ」
「あ、やっと信じてくれた。ていうか傷!まだ痛むんでしょう?治療は?」
「もうしてもらったよ、平気。それにアレン、言動がバラバラ」
「心身が別人なんだから仕方無いでしょう!」

呆れるヒロインに向かってアレンは半ばヒステリックに叫んだ。心配する本物のアレンをよそに、王子に乗っ取られたその体は無遠慮にヒロインに擦り寄っているからで、アレンも内心それに腹立っているらしかった。そこで漸くヒロインは、コムイがまだ自分たちを見ていることに気付き、かっと顔を熱くした。はたから見ればこれは『アレン』と『ヒロイン』が、公共の場でじゃれあっているようにしか捉えようがないのだ。

「どうやら王子様は、ヒロインちゃんに大層なついてるみたいだねぇ」

コムイは複雑な心境になりながらも、アレンと、強引に彼の体を引き摺りながら自分の部屋へ向かうヒロインとの後ろ姿を見送った。




「あーもう、なんでよりにもよってアレンなんだか!重い!」

何とか部屋まで辿り着いたヒロインは、ぜえはあと息を切らしながらもドアを開けて、倒れ込むように中へ入った。するとやっとアレンの体が自分から離れ、えっと思ったときには、アレンは扉のところでひとり立ち尽くしていた。

「…離れられるなら最初から、」
「違いますよ、王子が自分から離れたんです。ヒロインがしんどそうなことにさすがに気付いたんじゃないですか?」
「………」

私が一言言えば良かったのだろうかとヒロインは心底後悔する。額に浮かんだ汗をぐいと拭って、ベッドにばさりと倒れ込んだ。なんだかんだで任務直後だ。こちらだって疲れている。
ヒロインがアレンにひらひらと手招きすると、アレンはさほどの距離もないのに走りよってきた。子供みたいだ。いや、体を動かしているのは実際子供なのだが。ヒロインはアレンの手を両手で握ると、魂に語りかけるように言った。

「王子様、長い間辛かったでしょう?苦しかったでしょう…?でももう大丈夫なの、神様のところに戻っていいのよ」
「…ヒロイン…」
「私は王子と話してるのアレン」

突っ撥ねる様に言うと、アレンは少し傷付いたような顔をした。しかしその裏にある、穏やかな含み笑いも絶えてはいない。

「お礼なんてそんなのいいから、早く王女の…お母さんのところに帰って少し眠りなさい。…次は、元気な体で産まれてきてね。愛してくれる人を悲しませたら駄目よ」

ぱた。手に生暖かいものが落ちてきて、驚いて顔を上げると、アレンの両の瞳からぼろぼろと涙が溢れ落ちていた。私はぎくりとしてすっと目を細める。

「…どうしたの」
「ち、がっ…僕じゃないです、勝手…に…っ」

止まらない、きっと王子のそれをアレンは必死に拭う。ヒロインは黙ってそれを見詰めた後、アレンの手を止めて、濡れた頬をそっと撫でた。

「おやすみなさい、王子様」

また一、二雫涙を溢すと、アレンはゆっくりとヒロインに顔を近付けた。ヒロインは肩を震わせてアレンの胸を弱く押し、静かに囁く。

「…どっちの意志?」
「体を動かしているのは王子です。…でも」

別れの口付けを乞う幼い王子様と。

「僕も、したいな」

久しい恋人の温もりを求む少年と。

「………」

そのどちらもを汲み取って、ヒロインは黙って目を閉じた。重なる唇から流れ込む熱い感情と沸き上がる恍惚。王子やアレンが訴えかけてくる想いに満たされて自分まで泣きそうになり、ヒロインは焦って身を引いた。一瞬後に、アレンはふるりと小さく身震いし、脱力したようにその腰をベッドに落とした。数回手を開いたり握ったりを繰り返し、顔を上げてヒロインを見詰める。王子がアレンを離れたのだろうなとヒロインはぼんやり思っていたが、次の瞬間には、その体はアレンによってベッドに押し倒されていた。顔をひきらせるヒロインを、アレンはにっこりと見下ろした。

「こっ、今度は一体何、」
「いやあ、どうしたんでしょう、王子がヒロインと最後の思い出作りをしたいんじゃないですか?」
「子供がそんなこと考える訳ないでしょ!」

怒鳴られるだけで手が出ないのは、何だかんだ言ってヒロインが自分を許してくれているのだとアレンは知っていたから、王子ではなく『アレン』として再度ヒロインにキスを施す間も、遠慮なんて言葉はちらりとも浮かばなかった。今に始まる甘い宴をよそに、天上に広がる漆黒の夜空の海には、金の一番星が突如姿を現す。それはまるで小さなプリンスのように、若々しく傲慢に煌めいていた。

//20081031
ハロウィン企画