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「そちらの少年」

はたと足を止めて振り向くと、そこにはひとりの女性がいた。真っ黒のひらひらしたワンピース一枚を身に纏って、無邪気に笑いながらこちらに近づいてくる。唐突に頭を突き抜けた違和感。見知らぬ女性が僕に歩み寄ってくる。アクマ、では、なかった。しかし、任務先でこうして声を掛けられるのは至極珍しい。驚愕と疑心をポーカーフェイスの裏に隠して、僕はにっこりと自分の思う「紳士」の微笑を浮かべた。

「何でしょう」
「あなた、アレン・ウォーカーさんで間違いなくて?」
「え?」

彼女の口から自分の名が出たことに、流石に驚きを隠しきれなかった。目を丸くして、僕と同じくらいの位置にある目を見詰めると、彼女はそれを肯定と取ったらしく笑みを深くした。大きな瞳がすうっと細くなる。

「初めまして。思っていたよりずっと可愛らしい方だわ」
「…どちら様で?」
「知らなくていいかと思うけれど」
「何故です」
「だってきっとがっかりなさるから」

自らの片頬に手のひらを当てて、ほう、と彼女は残念そうに溜息をついた。やはりなんだかおかしい。初めに感じた違和感は、妙に落ち着いたこの声と口調、喋り方。まるでどこかの貴婦人のようなオーラを纏っている。しかし、僕は今聞いた台詞に首を傾げずにはいられない。きっとがっかりなさるから ?

「…それは、どういう…」
「お茶でもいかが?おいしい紅茶のお店を知っていますの」

突然変わった話題に、僕は面喰った。突然晴れた彼女の顔が、ぐんと僕に接近する。

「えっ?は?いえ、でも、」
「心配なさらなくても、お金なら私が持ちますわよ」
「い、いえ、そういうことではなくて」

そっと、真白な両手で取られたのは左手。思わずびくりと身じろいでしまったことに、彼女は気付いていないようだった。一般の女性が自ら、この奇怪な手を取るという行為が信じられず、僕は意味もなく動揺する。彼女はにこにこと邪気のない笑顔を浮かべながら、僕をじっと観察していた。ああ、何がどうなっているというんだ。これは新手のナンパか?師匠が街中でこうして女性に声を掛けられるのを、昔は毎日のように、幾度となく目にしていたから。こほん、咳ばらいをひとつして、僕は注意深く言葉を繋げた。

「一応、これでも仕事中でして」
「本当、お若いのに大変ね、あなた、エクソシスト様でしょう」
「な!ご、ご存知でいらっしゃるなんて」
「ええ、だってこれ、ローズクロス。よく知っているわ」

漆黒のコートに浮かびあがる胸元の白に視線を向け、彼女は意味深に微笑んだ。ますます解らない。彼女は教団の関係者か何かか、それともよほど勤勉家な聖女様か。しかし聞いても答えてくれないだろうということだけは解っていた。きっと彼女はこれ以上、自分のことを僕に知られるのを拒む。だから僕はこの謎だらけな彼女の、美しい手の甲にそっと右手を添えた。

「物知りな淑女様」
「ええ」
「あなたの手はとても温かいですね」
「あら、あなたからそのような言葉を頂けるなんて」
「と言いますと」
「あなたの手も熱いくらいでしてよ」

からかうような台詞に顔を上げれば、慈愛のような温もりを宿した瞳が微笑み、こちらを見詰めていた。赤面せずにはいられなかった。




「知ってんだよぉ。アレンと遊んで来たんだってぇ?」

背中にずっしりと圧し掛かる少女は、少し不機嫌そうに耳元でごちた。ペリ、と包み紙を剥がした飴玉を彼女に渡しながら、ソファの背もたれにそのままゆったりと寄りかかり、ええ、と私は口元に微笑を乗せる。

「ロードが気に入る訳が解ったわ。とても礼儀正しくて、可愛くて、紳士的ね。とても15歳とは思えなかった」
「でしょぉ?でもダメ、アレンは僕のものだからぁ」
「あら、残念。そういえば私は名前すら彼に教えていなかったわ」

からりと音が響く。歯と飴がぶつかった音。嘲笑うように、それは私の耳を過ぎる。

「それはいつものことでしょぉ?人間が好きだからって、関わり過ぎるのもどうかと思うけどねぇ」
「あらでも、人間って面白いわ。とくにあのアレンって少年、エクソシストとゆっくりお話したのは初めてだったけれど、みんなあんななのかしら」

くすくすくす。堪え切れずに手のひらで唇から零れた笑みを受け止めた。彼の眩しい白い髪と、吸い込まれるような黒のコートと、胸を高揚させる赤の頬を脳裏にちらつかせる。

「もっと知りたいわ…―――ミスターアレン・ウォーカー」

次に会う場所が例え戦場だったとしても。


恋心とはまさにこの事
(それにまだ気付かないだけ)

//20080921/mutti
アレンとノアヒロイン