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ぐるり、世界が一転する。頭がえらく恍惚とする。ぐらぐらふらつく足では体重を支えられず、近くにあった小さな椅子にどさりと座り込んだ。何だろう、ぼーっとする。今は何も考えたくない、酷く気分が、いい。僕は先程一口飲み下した、師匠の飲み掛けと思われるワインボトルに再び手を伸ばした。

「ただいま帰り―――あ、アレン君、ただいま」

ボトルに口を付けたところでドアが開く音がして、見ればそこにはヒロインがいた。何をしにかは解らないけど、多分師匠のお使いか何かで出ていたようだ。ただでさえ速かった脈が上がる。

「あーヒロインらぁ、おかえりなさい」

へらりと笑ってそう言うと、僕はワインを残らずぐいと煽った。ヒロインは途端に訝しげな顔をして、ゆっくりと僕に歩み寄って顔を覗き込んでくる。

「アレン君、なんだかお酒臭くないですか?このビン―――あっ、これ師匠のじゃないですか!」
「えー?そうですねぇ、ししょーってばいっつも飲みっぱなしで困りますねー」

空になったボトルを無造作に机に転がすと、カランと軽い音を立てて落ちる寸前で止まった。

「そうじゃないですアレン君、未成年はお酒飲んじゃ駄目なんですよ?」
「んん、じゃあそれは、おさけほったらかしていた師匠の監督不行き届きということで…」
「も、っ」

ボトルを立てようと伸ばされた彼女の手をぎゅっと掴んで、僕はヒロインを自らの胸に閉じ込めた。驚いて固まってしまったヒロインに構わず、小さな体をぎゅーっと抱き締める。言っておきますがこんなことしたの初めてですよ?僕は紳士だから、好きな女の子も完璧に自分のものにしてからじゃないと手を出さない主義なんです。でも僕どうしちゃったんだろう、そりゃ前に好きだとは伝えたけどスルーされてしまったばかりなのに、彼女を捕まえるこの手を離すことが出来ない。女の子ってこんなに柔らかいんだ、ずっとずっと、触っていたいなぁ。

「あ、アレン君、アレン君っ、どうし…!」
「ヒロインってあったかーい…」

絹みたいな髪に頬をすり寄せると、わ、と小さな声が上がった。かちんこちんに緊張してしまっているヒロインが可愛くて、胸から喉元まで何かが這い上がってくるような心地がする。崩れるようにヒロインの体に体重を掛けたら、支えきれるはずもなく彼女は後ろ向きに倒れた。ぶつけてはいけないからと彼女の頭を手のひらで庇うと、ヒロインはうっと呻いてカーペットに倒れ込む。怯えるというよりは困惑したように、ついでにほんのり赤い顔で僕を見上げる少女に、僕はまるで獣みたいに覆い被さっていた。

「かわ、い…」
「どっ…退いてください…」
「やです、ヒロイン、」

きゅ、と手に指を絡めカーペットに縫い止めて、僕はヒロインをぼうっと見詰めた。いい気分。こんな近くでヒロインを見たの、初めてだ。体がぽーっと火照って、眠いときのような気だるさが襲う。気付いたとき、僕は無意識に、ヒロインの額に唇を押し付けていた。

「ひゃっ!?」
「ヒロイン、だいすき」

鼻先でヒロインの頬の膨らみを辿った後、僕のワイン漬けの舌がそこをぺろりと舐めた。びくっとヒロインの体が跳ね上がって、咄嗟に、といったように、指を絡めた手を握られる。

「ひぇ」
「ヒロイン、ヒロインも僕のこと、すきですか…?」
「こ、んなことするアレン君は、き、きらいです」
「でも僕、ヒロインがすきだから、こういうことしたいんです」

だめかなぁって囁いてみたら、ヒロインは今にも泣き出してしまいそうな顔をした。困らせてるって朦朧とした思考でも理解できたけど、ごめん、止めてあげられそうもないんだ。引き結ばれた麗しの唇に、触れたいと、口付けたいと、焦がれてしまうんだから。


―――ガッツン!


「ッッ!?」

赤いその口に食い付こうとしたとき、目の前に星が飛んだ。後頭部に衝撃、コンマ一秒後激痛。首もとが詰まって、体が浮かぶ感覚がした。

「何をしているんだこの馬鹿弟子が!」

ああ、師匠の怒声が耳元で聞こえる。どうやら服の背中を掴まれているみたいだ。ぽいと無造作に放られて床に転がされた僕の目に映るのは、空のボトルと師匠とヒロイン、あと、金槌。師匠に撲られたんだなあ、そう理解する前に僕は意識を闇に落とした。


エデンの誘惑

「しっ、師匠…いつお帰りに」
「たった今だ。間に合ったようだな」
「…、ししょ、アレン君なんか、おかしかったんです」
「酒が入るとあいつは本能を剥き出しにするようだな。起きたらきつく言っておく」
「…師匠、私も、おかしかったんです…」
「…どうしたヒロイン、」

顔が赤いぞ? 口元を押さえて俯いてしまった少女に、クロスは意味深に笑った。
助けなかった方が良かったかな?

20080817
師匠は何もかもお見通し