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窓を叩く雨の音に目を覚ました。組んだ腕から埋めていた頭を上げ、はじめに見たのは曇った窓ガラス、そこに映った自分の寝惚け顔。いつの間にか寝てしまっていたようだ。
雨はまだ止む気配を見せない。夏だというのに外気は少し肌に冷たく、梅雨でもないのに降り続くこの雨がそうさせているのは明らかである。
少し体を起こすと、肩から何かがずり落ちた。驚いて見ればそれはバスタオルくらいの大きさのタオルケットで、僕の膝に引っ掛かって止まった。誰が掛けてくれたのだろうと視線を辺りに向けても、がらんとした談話室は何の反応もみせない。ふうとゆっくり息を吐き出し、濡れた窓ガラスにことんと頭を預けると、どこからか人が近寄ってくる気配がした。


「起きたの?」


振り向くのも億劫だったので、「ええ」と声だけで返事を返した。こつんこつんと靴の音はすぐ側まで来て、中途半端なまま引っ掛かっていたタオルケットをふわりと拐っていく。


「こんなところで寝るなんて、珍しいね」


彼女はやんわりとした微笑を浮かべながら、タオルを器用に折り畳んで机に置いた。僕はその様子を視界にぼんやり捉えながら、ゆっくりと喉を震わせる。


「少し、疲れて…いたみたいです」
「そう」

かたん、手近にあった椅子を引き寄せると、僕の目の前に座る。降り止まない雨を、窓のスモーク越しに覗き込む。


「アレンくん、最近、喋らなくなったね」
「、 そうですか?」
「あと、あんまり笑わなくなった」
「え、…うそ」


そんなことはないと、あまり俊敏には働かない今の頭でもすぐに否定出来た。だって今まで気を付けていたことだ。僕はお得意の愛想笑いに努めたが、君はそれを冷やかな無表情で見てから、そっと僕の目を手のひらで覆った。


「そんなことしなくていいよ。本物の笑顔じゃないんでしょう」
「………」


ふ、と頬を元に戻す。強張った顔がとても楽になる。作り笑いはかなり疲れた。

「…最近は…考え事が多いので。笑っている暇ありません、ね」
「…ふうん…」

この少女は、何があったの、なんて優しく問いかけてくれないし、慰めてくれもしないけれど。ただ黙って話を聞いて、何時間だって傍にいてくれる。静寂は雨音に満ちる。呼吸の音も聞こえない、静かな談話室。


「…わたしが」


どのくらいか経ってから、彼女が口を開いた。窓に浮いた水に濡れた髪が、滴を頬に伝わせたときだった。


「アレンくんを苦しめること、100分の1でも背負えれば、アレンくんは今そんな顔をしていないのね…きっと」


そんなこと言われるのが意外で、僕は窓に押し付けていた頭を離し、じっと彼女を見詰めた。すっと手が伸びてきて、冷たく濡れた僕の頬に触れたそれは、泣きたくなるくらい温かくて優しい。


「……あ、」
「話してなんて、言わないよ。聞いても何もしてあげられない。だけど、辛かったら、私はいつもここにいるから、だから」


すっと綺麗な瞳が細まったかと思ったら、眉間に慰めるみたいに唇を寄せられて、


「がまんしなくて、いいのよ」


知らず目からこぼれ落ちて伝った涙は、彼女の指の爪先に拭われてから気付いた。雨のように止まらないそれをそのままにして、熱く発熱した胸に手を当てる。はあっ、と嗚咽をなんとか堪え息だけ吐き出して、目前で揺れる黒髪にそっと指を絡めた。


「嬉しくても涙が、出るなんて、不思議ですね」


聖母みたいに君は微笑った。


震える睫毛にキスを捧げます/20080804
アレン君幸せになってください