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優しいのです、私の彼は。

「…いきなりどうしたんさ」

談話室のソファに沈んで分厚い本を読んでいたラビが、げんなりとした顔を上げて呆れた声を出した。ふたりきりの午後の談話室。暖かな陽射しはカーテンに遮られてくすみ、ひと度目を閉じればすぐにでも眠りに落ちていけそうだ。私はラビの腰掛けたソファの肘掛けに両手をかけてもたれ、その柔らかそうな赤毛を見上げながら憂鬱に繰り返した。

「優しすぎる」
「知ってるさ」
「優しいアレンくんが大好き」
「ノロけたいなら聞かねーよ」
「ちがくて」

がくりと肘掛けに頭を寝かせ、小さなため息をひとつはく。

「アレンくんは、いつも私を壊れ物みたいに扱うの。そっと頭を撫でてくれて、優しく手を握ってくれるの。…すぐほどけちゃうくらい優しく」
「ふうん」

頭の良いラビは、すぐ私の言いたいことに気付いたようだ。笑みを含んだふうん、の後、本を閉じる思い音がした。

「優しすぎるのが嫌なんさね」
「いやって…いうか」
「もうお前たち半年だろ?どこまでいったんさ?」
「それは…」
「ちゅーした?」
「……」
「…もしかしてキスもまださ?」

ラビがくすくす笑う声がして、私は顔をあげた。おかしそうに控えめに笑ったラビが、私の頭をくしゃくしゃと撫でる。ラビの手は重くて大きくて、その動きも男らしく粗雑だった。これが彼の手だったら、と、想像した瞬間にきゅんと疼く胸。

「私、すぐ壊れたりしないのに」
「もっとハゲシクしてほしいんでしょ?」
「はげしっ…そ、そんな」
「アレンも慎重すぎるさー。大好きで大事なのは分かるけど、半年もガマンなんてオレは出来ないね」
「ラビは一週間も経たずに手を出しそうだね」
「手を出すとは失礼さ。好きな人が自分のこと好きって言ってくれて、そばにいてくれてるのになんでがまんしなきゃいけねーの?って思うだけさ」

なるほど、と思って黙ってラビを見上げていると、ちょっと微笑んで私のほっぺたを指先でつんつんとつつく。

「恋する乙女の桃色ほっぺ 」
「なにそれ…」
「アレンのこと考えてんだろ?」
「どうしてわかるの?」
「分かるさ。恋する女の子の顔してるもん」

どんな顔だろう、と頭を捻ると、窓に自分の顔がうつったのが見えた。頬がほんのり蒸気して目はとろんとして、熱を出した子供みたいな顔。談話室が少し暑すぎるせいだと思った。視線をラビに戻すと、ラビはなぜか背後を振り向いていた。

「よおアレン、いいところに」

飛び上がるかと思った。扉の開く音に私だけ気が付かなかった。ばくばくと騒がしい鼓動を聞きながら頭を傾けると、カーディガンを羽織ったアレンくんが小さな本を持ってこちらに歩いてくる姿が見えた。不思議そうなアレンくんが言う。

「いいところ?」
「ちょうどお前の話をしてたところさ」
「え?…あっ、ヒロイン!ここにいたんですね。探しても見つからなかったから諦めてたんですけど」

ラビの影に隠れていた私に気が付いて表情をほころばせたアレンくんに、私はどうすればいいか分からず、控えめに手を振った。心臓はまだ落ち着かないままだ。
するとラビが大きな本を片手に立ち上がり、私はびくりと彼を見た。そのままアレンくんに向かってすたすたと歩いていく。彼らがすれ違うときに、ラビがアレンくんになにか耳打ちするのが見えた。驚いた顔をしたアレンくんは振り返り、扉に消えていくラビの後ろ姿をしばし見送った後、向き直って私の方にゆっくりと歩いてきた。私の鼓動は落ち着くどころか激しさをますばかりだ。アレンくんは私のすぐそばまでくると、ラビが今まで座っていたソファに腰をおろし、手に持っていた本をすぐにテーブルに投げ出して私を見つめた。いつも通りの優しい微笑だ。

「…ラビと何を話してたの?」
「え、えっと…あの…アレンくんが優しいって話」
「うん、それで?」
「それで、って…」

私が困って言葉を詰まらせていると、くす、とアレンくんは面白そうに笑って、私に手を伸ばした。

「おいで」
「ひゃっ」

アレンくんはまるで猫を抱きあげるように、私の両脇に手を差し込み、いとも簡単に自分の膝の上に乗せた。いままでの私への扱いからは考えられないほどの強い力だった。

「満足できなくなったの?」
「え…?」
「優しいだけじゃやだ?」
「…!」

ラビがなにか言ったんだ、なにか余計なことを言ったんだな、と気付いて、一気に顔に血が上ったのがわかった。その反応を見て図星だと思ったのだろうか、アレンくんは笑みに艶やかさを増す。ぽすん、と私の胸に顔をうずめ、ぎゅうっと私の腰に回した腕の力を強めた。苦しいくらいだった。

「僕もね、我慢してたんですよ。がっつかないようにって必死で。怖がらせたくなかったんです。だってヒロインは優しいから、僕がなにしてもきっと嫌って言わないでしょ。だから、慎重にしなきゃって思ってたんだけど…杞憂だったみたいですね」

私を抱きしめる腕を少し緩め、アレンくんは顔を上げて私を見上げた。恋する男の子の顔をしている、と、思った。

「キスしたいです」
「えっ…で、でも、ここじゃ…」
「僕たち以外誰もいませんよ。それとも僕の部屋に行く?でもね、そしたらもう、キスだけじゃ帰してあげられません」
「あ、」

私が何か言う前に、アレンくんの顔がゆっくりと近付いてきて、咄嗟に目をぎゅっと閉じたら、柔らかいなにかが唇に触れた。彼のそれだと言うことは分かった。触れていたのはほんの一秒くらいで、すぐにそのぬくもりは離れていく。

「…もういっかい」
「え?」

うわごとのように呟いて、今度は私から驚くアレンくんの唇を塞いだ。さきほどと同じようにすぐ離れようとすると、ぐっと頭を引き寄せられて再び唇を重ねられる。たまに彼の赤い舌が私の唇を舐め、唇で甘く噛まれ、また深く重ね、そういうやりとりが何度も続いた。

「ーーーっは…」

やがて息苦しくなった私は、控えめに彼の胸に両手をついて顔を離すよう促した。そうでもしなければ何時間でも続きそうだったからだ。アレンくんは短い呼吸を繰り返す私を黙って見上げていたかと思うと、ふいに私を膝からおろし、テーブルに放置されていた本を拾い上げ、もう片方の手で私の手をきゅっと握った。そのまま扉に向かって、私の手を引き歩き出す。

「行きましょう」
「ど、どこに」
「僕の部屋です」
「っ、え…」

目を見開く私をちょっと振り返って、アレンくんは情けなさそうに眉を下げ、切羽詰まったような笑みを見せた。

「ごめんね、ちょっともう、我慢できなそうです」

見たこともないような切なくて色っぽいその表情に、私は何も言えないままで、ただ握った手にぎゅっと力を少し込めて、彼に連れられるままに談話室を後にした。

20130315