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きらきらとわいわいと騒がしく眩しいネオンの夜、東京・新宿。一方で、がらんと静かで薄暗い、折原臨也さんのお家、プライベートルーム。ひとりで住んでいるのにやたらと大きなベッドの端っこに投げ出された私は、何とか体勢を立て直しながらも、着実にじりじりと追い詰められていた。もちろんこの部屋とベッドの所有者に。
手汗が尋常じゃない。どっくどっくと心臓がひどく暴れている。楽しげな微笑の折原臨也。その赤く煌めく瞳に浮かぶのは、獣のように獰猛な―――ナニカ。

「折原さ…っ」
「なあに…、ヒロイン」

絞り出した声がどうしても震えた。返された声は鼻にかかるような甘ったるさ。口の中がからからだった。私が後退しようとシーツをきつく握る度に、ぎし、と小さく響く音がちりちりと耳に張り付く。それに煽られていることに気付くと同時に、墓穴を掘っている自分を意識してバカみたいに慌てた。そうしている間に、逃げ場も失ってしまったのだった。手首を掴まれる。腰を取られる。ずるずる、引き寄せられる。ああああ。
ご飯に呼んでくれたんじゃないんですか、とか。どうしていきなりこんな展開になるんですか、とか。どうしてそんな目で私を見るんですか、とか。
聞きたいことはいくらでもあったけど、とりあえずその熱視線にいい加減焦がされてしまいそうなので、と。

「ッ……そ、な、…見なっ…いで、くだ…ぁ…の…」
「うん? そんな意地悪言わないでよ。それとも俺の視線だけで感じちゃうの?」
「ばっ…!! も、やっ、離してくださいっ」
「あは、ごめんごめん。虐めたい訳じゃないから、こっち見てよ。ヒロイン?」
「ひ」

そっぽを向いた途端うなじに落とされた唇に、びくりと体が硬直した。怯んだその隙に完全にぎゅうと引き寄せられて、私は自ら弱者を自覚する。逃げ切れると。抗えると。そんなことを考えた私が愚かだったのだ。彼から本気で逃げようなんて、端から思ってもいないくせに。

「やめ…折原さん、やめ、て…」
「何を?」
「手を退けてください、解放してください、私を家に帰してください」
「人を誘拐犯みたいに言うんだから」

背後で愉快そうに折原臨也が笑った。もちろん私の体を捕まえる腕も手も外れない、どころか、片足まで絡まってきた。私は悲鳴を上げそうになる。

「わ…ッな、なにを」
「だってしっかり捕まえとかなきゃヒロイン逃げちゃうじゃない」
「お、折原さんが、だって、だ、って」
「俺が? …なに?」
「…見たこともない顔を、してる、から」

私が怖ず怖ずと口にした言葉に、折原さんは沈黙してしまった。再びしんとなった部屋が恐ろしくて、私は恐怖心を拭えないままに視線を彼の顔へとずらす。暗くてはっきりとは見えないけれど、折原さんはやはり笑っていた。私の知らない顔で。

私の知らない顔。けれどそこにいるのは、確かに折原臨也なのである。つまり「知らない顔」というのは、造形でなく、表情。

「へぇ…俺、どんな顔してるのかなぁ」
「…笑ってるのに、優しくないです。狼さんみたいです」
「狼…そう。それが怖くて逃げちゃったんだ、ヒロインは」

折原さんの顔が傾いだと思ったら、ちゅ、と触れるだけのキスが唇に落とされた。その温度も感触もいつも通りだから、私は少し安心してふわっと力が抜けて、止まなかった危険信号みたいな耳鳴りが消えた。

「大丈夫、狼だって好きなうさぎには優しくするよ」
「…おりはらさん…」
「そうそう、いい子だね。もう逃げようなんて思わないでしょ?」

柔らかな白にぽすんと横たえられて、誘導尋問みたいな優しい問いに、私は何も考えず頷いていた。私は、うさぎだろうか。狼に好かれたうさぎなのだろうか。

「やっとここまで連れて来れた。やっとだよ。嫌がっても離してあげられそうにないから諦めて」
「………」
「これからたっぷり時間をかけて君を可愛がるんだ。…嫌じゃないよね?」
「…うん…」

もう折原さんが狼の顔をしていても、逃げたいとか怖いとか、思わなかった。だって、頬を撫でてくれる手が、いつもの折原さんだもの。ああ、折原さんが何をしようとしてるのか、やっと解った。しかも本気なんだ。どっくどっく。どっくどっく。

「可愛がって、折原さん…」

思考が飛ぶ程の荒い口づけの2秒前。私はまるで魔法にかかったみたいにまぶたを閉じた。では今から、大好きな狼さんに食べられるうさぎになります。


20100708