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小さく息を吐き出しただけで、大きな白い煙の塊がひとつ立ち上った。カーディガンの袖に隠していた手をこすり、マフラーを引き上げる。空はもううっすらと暗い。私を通り過ぎていく生徒の数も疎らだった。冷たい空気を吸い込みすぎた喉がひりひりと痛かったけれど、私はそれでもそこを動かない。ポケットから携帯を取り出し、動きが鈍った指で開く。

―――ピンに呼ばれたから少し遅くなるけど、良かったら待ってて。

付き合い始めて間もない恋人から届いたメールを眺めて、それだけで脈がちょっとだけ早くなった。待ってて、なんて、いくらでも待つよ。一緒に帰りたいって言ってくれているみたいで嬉しくなってしまう。

「ねえ」

とんとんと肩を叩かれた拍子に、私は驚いて振り返る。そこに立っていたのは、見知らぬ男の人が二人。

「君、さっきからずっとここにいるよね。誰か待ってるの?」
「え、は、はい…」
「へえ〜、こんなほっぺ赤くしちゃってねえ。何年生? 名前は?」
「へ…? いや、あの」

着崩した制服に明るい茶髪。どうやら上級生のようだった。ずいっと顔を近付けられて、私は思わず一歩後ずさる。そんな様子に彼らはけらけらと愉快そうに笑った。

「可愛いねー! そんな怖がらなくていいよ。可哀想に、こんな寒い中ひとりで、彼氏でしょ? 待ってるの。酷いヤローだねえ」
「や…っ」

すっと手がこちらに伸びる。小さく悲鳴を上げて反射的に顔を伏せると、次の瞬間にはパシ、と乾いた音が耳に触れた。しばらく目を閉じたまま硬直していたが、伸ばされた手が触れてくる気配はない。恐る恐る視線を上げると、まず目の前にしゃんと背筋の伸びた背中が見えた。男の子の背中。庇うように私の前で伸ばされた右腕。自分の手を握り締めるさっきの男の隣で、もう一人が苦い顔をしていた。

「こいつにあんまちょっかい掛けないでください」
「あ? お前、下級生の分際で―――」
「この子は、俺のなんで」

行こ、ヒロイン。そうやって手を握られて、風早くんはこっちを振り向き様苦しそうに微笑んだ。私が何かを言う前に手を強く引かれ、風早くんは私に向けるのとは丸っきり違う鋭い視線を先輩たちに送ると、私を連れてさっさとその場を後にした。



「…か…かぜはや…くん?」

50メートルほど校門から歩いたところで、ようやく早足だった風早くんが止まる。怒っているようなオーラに怖じ気付いて、それから何も言えずに黙っていたら、突然きゅっと強く繋いでいた手を握られて肩が跳ねた。ついでに心臓も。

「か、かぜは」
「こんなに冷たくなって」

やっとこちらを見てくれた風早くんは、ちょっと悲しそうな顔でそう言った。私の両手をそっと取ると、包み込むように握って、彼の温かい頬に触れさせた。顔がかーっと熱くなって、心臓がさっきとは比べ物にならないくらい、ばくばくと動き出す。か、か、風早くん、そんな、大胆な……!

「あ、あ、えっと」
「教室で待っててくれれば良かったのに。わざわざあんな寒いとこで…」

あ、そうか。気付かなかった。

「…か、彼氏と待ち合わせって言ったら、やっぱり校門かなって…思って…」

私がそう話すと彼はきょとんと目を見開いた後、ぷはっと吹き出して笑った。あ、いつもの風早くん。やっといつもの風早くんだ。

「…凄く焦った。ヒロインが、あの先輩に触られそうになったの見て、何か考える前に体が動いててさ」
「…うん…」

手が解放されたかと思ったら、今度は冷えきった私の頬に風早くんの手が当てられる。どうしよう、どうしよう、嬉しいよ恥ずかしいよ、好きだよ、風早くん。

「寒いとこ待たせて、怖い思いさせて、彼氏失格だよな…」
「そ、そんなことないよ!!」

私が力一杯言うと、風早くんは驚いた顔で口を閉ざした。

「寒いのなんて我慢出来るし、先輩からも風早くん、助けてくれたよ! びっくりしたけどかっこよかったよ、嬉しかった! 私が風早くんを大好きなんだから、すっごく大好きだから、彼氏失格とか合格とか、そんなの―――」
「〜〜〜っ、わかった、わかったからヒロインっ」

あれ、と思った時には、風早くんは真っ赤に上気した顔で私の口を塞いだ。むぐっと言葉を封じられた私の顔を、照れたような、切なそうな、恥ずかしそうな、なんとも言えない表情で見詰められて、自分が今勢いで何を口走ったかに気付き、彼に負けないくらいに赤面した。

「…あんまりどきどきさせるようなこと言わないで…」

私が黙ったことを確認すると、はーーーー…っ、長いため息を吐きながら、ずるずるとその場にしゃがみこむ風早くん。
私が慌てて膝を折って、彼の顔を覗き込もうとしても、逸らされてしまう。

「ご、ごめんなさい」
「…いや、違う。嬉しすぎるだけだから謝んないで。すっげえ情けない顔してるから、ヒロインに見られたくない…」

そう言ってまた熱っぽいため息をこぼす、彼のさらさらした黒髪から覗く耳が酷く赤くて、胸がきゅんと苦しくなった。

「…ふふっ」

口に手を当てて押し殺したはずだったのに、風早くんには聞こえてしまったようで、拗ねるような目で私を見た。あ、ほんとだ、ほっぺも赤い。かわいい。

「笑うなよっ」
「あははっ、だ、だってー」

そっと手が触れ合って、笑いがぴたりと止まった。風早くんはふわりと優しく笑ってゆっくりと立ち上がると、私にもそうするよう促す。

「またこんなに冷たくなってる。帰ろう」

繋いだ彼の手は私くらい冷たかったけど、心臓がまたどきどきして、そんなの感じる余裕もなかった。いつもより近くにいる風早くんに、それが伝わらないことだけを願っている。


//20170319