log | ナノ

いつから? そんなことを聞かれても解らないけれど、物心ついた時から一緒だったのは確かだ。エースというひとりの少年の存在は、私にとって大切な友人であり家族であり、兄であり弟でもあった。エースもまた私のことを、同じように思ってくれているんだろうなあと思ってた。
エースが村の子と派手にケンカをして、ガープじいちゃんにげんこつを喰らいそうになったのを庇った回数なんていちいち数えてもいない。いつの間にか一緒に居た少年の手をいつの間にか握ったし、いつの間にか抱きしめたし、いつの間にか大好きになっていた。

初めてキスをしたのは、7歳の時だっただろうか。二人きりで留守番をしていたときに、エースが凄く真剣な顔をして私に「キスしたい」って言ってくるもんだから、私はその意味も解らずに頷いて受け入れた。エースの顔は真っ赤で、胸もドキドキしていたけど、私は初めて感じるエースとの唇を、柔らかいなあとか、あったかいなあとかぼんやり思っただけで、他に特別どんな感想があるというわけでもなかった。

「エース、エース」
「…、…ん?」
「お顔がまっ赤だよ、へいき? 熱があるの?」
「…や、大丈夫…」
「ほんと?」

首を傾げて顔を覗き込むと、エースは見ているこっちが泣きたくなるくらい、堪らなく切ない目で私を見た。私は何だか解らないけど胸がざわざわと痛くなって、そんな顔をしないでと慰めたくて、いつもは頭を撫でてあげるのだけど、さっきのエースを真似て引き結ばれた唇に自分の口を押し付けた。これで元気になるのかな、エース。顔を離して表情を伺おうとしたら、その前にぎゅうって強く抱きしめられてしまった。広くてあったかい胸が、長い距離を走ったみたいにドキドキしてる。鼓動の音が気持ち良くて、私は思わずエースの背中に腕を回す。ヒロイン、と呟くエースの声は優しくて子守唄のようで、とろんと落ちたまぶたに私は逆らえなかった。逆らわなかった。








それから日を重ね、年を重ね、16になっても私たちはずっと一緒だった。夜になって人目のない丘で星を眺めた日には、例外なくエースから幾つもの口づけを受けた。私の名前を呼ぶエースの甘くて優しい声が好きだった。きらきらと熱い眼差しも好きだった。

「…じいちゃん、今頃美味しいものでも食べてるのかなァ…」

ベッドに腰掛け投げ出した自分の足の先を眺めながら、私は風呂上がりに濡れた髪をタオルでぐしゃぐしゃと拭いていた。ガープじいちゃんが仕事で村を出てもう三日目で、私とエースだけが狭い家に取り残された。
ずるいよねーエース、と同意を求めて彼の名前を呼んでも、ああ、と素っ気ない声が返ってくるだけで、私は眉をしかめてエースを振り向く。じいちゃんが出掛けてからずっとこうだ。変に緊張したようにぴりぴりして、私ともあまり目を合わせないで、本ばかり読んでいる。そういえば、誰もいないところで二人きりなのに、この三日間一度もキスをされていない。

「どしたのエース、具合悪いの?」
「んなことねェよ」
「じゃあ機嫌が悪いの?」
「いや、別に」

だったらなんでそんなに遠くでひとりで本とべたべたしてるのよ、私と遊んでよ、今私には遊び相手がエースしかいないのに。濡れたタオルを首にかけると、私はベッドから飛び降りて、エースの元へ走り寄りその腕を引っ張った。

「エースってば変。じいちゃんがいなくなってから。じいちゃんがそんなに恋しいの? 明後日には帰ってくるよ?」
「ば、ばか、違ェよ」
「じゃあどうしてよ。なんで構ってくれないのよお…」

まくし立てるほどに目頭が熱くなってくる。私をほったらかしにするエースが悪いんだもん。私にはエースしかいなくて、エースには私しかいないでしょ? 私に優しくしてくれるエースしか知らないよ。

「…泣くなよ、ヒロイン、」
「…まだ泣いてないもん…」
「、…解った、おれが全部悪かったから」
「そうだよ、エースが悪いの。私のこと嫌いになった、エースが、全部…、」
「…は? 何言ってんの、お前」
「エース、」
「誰が誰を嫌いになったって?」

大きくて硬い手の平が私の頬を包んだ。そんなこと辛すぎて言えない。私が涙を堪えて唇を噛むと、椅子に座ったままのエースが私を見上げて、緩く息を吐き出した。

「おれがお前を嫌う訳ねェだろ。今もお前に嫌われないように必死なのに」
「…意味、わかんない…」

私の頬を包むエースの手に自分の手を重ねた。昔から知るこの体温がなければ、私は悲しくて寂しくて孤独死してしまうと思う。私はエースがすごく好きなのに、嫌うなんてありえないじゃない。ほんとに何考えてるのかわかんないよ。いつもみたいに抱きしめて、キスしてほしいのに。

「…お前は、解ってないんだろ」
「え…?」

今にも泣き出しそうな私を、立ち上がったエースが抱き上げた。年も同じで、同じ場所で同じように育ったのに、私は見上げなければもうエースの顔が見えないし、彼の腕は私の体をこうやって簡単に持ち上げてしまう。ぱさりと下ろされたのは、さっきまで座っていたベッドだった。お昼にマキノさんがシーツを干してくれたから、まだお日様の匂いが残っている。予想外だったのは、ふたりで並んで腰掛ける訳でもなく、寝転がって布団を被る訳でもなく、仰向けに倒された私に覆いかぶさるように、エースが両手をついているということだ。

「…エース、どうしたの? 私、何が、解って…ない…」
「おれがどうしてお前にキスするかだ」

性教育を受けてこなかった訳ではない。唇を重ねることは、一番に大切に思う異性とだけ許すべき行為だと教わった。

「…エースは私を好きだからキスしたんでしょう? 私もエースが好きなんだから、何も間違ってないよ」
「お前とおれの好きは違う」
「好きに種類があるの?」

言うとエースはとても辛そうな顔をしたので、自分が失言したことを悟った。だから必死に考える。一緒に居たくて、くっつきたい。そんな私の好きと、彼の好きは違うらしい。

「…友愛じゃねぇ。女としてお前を愛してる」
「ふ…、え?」

まだしっとりと濡れた髪を優しく掻き上げられて、甘い声に体がぞわぞわした。初めて言われた言葉だ。きらきらした熱い視線。魔法がかかったようにぽうっとなって、私の反応を見ていたエースがいたたまれないような顔をする。エースが私を女として愛してくれるなら、私もエースを男として愛さなければならない。そうすればエースは苦しくならないんだ、なんだ、簡単じゃないか。

「…そんな顔で見んなよ、もうギリギリなんだ」

へら、とエースが優しい顔で笑った。私は思わず覆いかぶさるエースの背中に腕を回して引き寄せる。

「私、愛、する。男の人としてエースを愛すよ、それならいいでしょ?」
「、…意味、わかっ」
「エースが教えて」

顔を覗き込むと、唇を深く奪われた。重なった唇が薄く開いて、熱い舌で私の唇の輪郭をなぞられる。口開けって言われるようで、ぁ、と声を洩らしながらそうすると、ぬるりとした舌がそのまま滑り込んでくる。ざわ、いきなり鳥肌が立った。たちまち頭がかあっと熱くなって、どくどく、と心臓が激しく跳ねはじめる。

「…嫌じゃ、ねェ?」

熱い舌は一度私の舌と歯列をなぞっただけで一度引っ込んで、エースらしくもない弱い口調で気遣うようにそう聞いてくる。私はうん、と小さく呟いてエースの胸に擦り寄った。数日しか経っていないのに、酷く久しく感じる体温を逃さないようにと抱きしめる。

「…今のも、キス…?」
「男と女の、な」
「ふうん…」

ちゅ、ちゅ、とまた何度も拙い口づけを重ねて、その合間に「男と女のキス」をする。喉の奥で掴み所のない何かが膨らんでいくような感覚。ふうう、と合わさった唇の隙間から細い息を吐くと、エースは舌なめずりをして顔を離した。

「ヒロイン…」

熱に浮されたような色っぽい顔。エースのこんな顔知らない。こんなに長い間一緒に居たのに、まだ知らない表情があったなんて。

「エ、ス…ちから…入らない」
「いいよ、抜いとけ。緊張しなくていいから」

ぺたり、額に手を当てられ、ぽすんと枕のある位置のすこし下に頭を収められる。

「ん…」
「ヒロイン。これ以上したらおれはもう、お前の家族でも友達でもなくなる」
「…うん」
「お前はおれの姉でも妹でもないし、ただの幼馴染みでもない」
「っは、う、うん…」

言いながら晒された鎖骨を甘噛みされ、声が震える。私に触れるエースの指先は、何か意図を持ってして戸惑いながらも動いている。大切で心地好い関係が、この瞬間書き換わる。手をひとつ繋ぐのにもそこに生まれる感情は、友達や家族とのそれよりずっと甘ったるく、深いものなる。

「おれの女になってくれ、ヒロイン」

私は呼吸を止めた。答えなんてとっくの昔に決まっていたのだ。私は額をエースの肩口に押し付けて、なる、と笑った。笑った、のに、涙が出るのはどうしてなんだろうと思った。





20100516
こんなに長くなるつもりじゃ…