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※シャンクス先生パロ。「シャンクス先生の家庭事情」過去編。



気が付くと、私は高い建物のてっぺんにひとり腰掛けていた。冷たくも温かくもない、ただ心地好いだけの風に前髪がゆらゆらと揺れる。何かないのかと辺りを見渡してみたけれど、見えるのは殺風景な地平線ばかり。見上げたら白い空。見下ろせば、自分が座っているのが何かを知る。古い神殿のようだ。壁がところどころ崩れている。ヒロイン。どこからか、私の名前を呼ぶ声がする。誰もいないはずのこの世界の中に響く声は、酷く耳に馴染んで、甘くふやけた。誰? と心の中で聞き返した。声を出さなくても、相手に伝わると解っていたからだ。ヒロイン。声は私の問いに答えなかった。ただひたすら風が優しい。ゆらゆら揺れる前髪。一度の瞬きの間に、突然目の前に「誰か」が現れたって、私はちっとも驚かなかった。彼が私の名前を呼んでいたのだとすぐに解った。神様かな、と思った。私は両手を伸ばして、ぎゅうと神様に強くしがみついた。何故か堪らなく愛おしかったのだ。神様は大きな手で私の頬を包んで、さっきと同じ蕩けるような声で言った。










「……ん、っ」

唇を深く塞がれて、瞼を下へと押さえ付けていた力があっという間にどこかに吹っ飛んだ。驚きのあまり私が硬直するのを、シャンクス先生が楽しげな瞳で見詰めていた。
寝ぼけた頭をフル回転させる。先生の向こう側に見える深緑は、きっと黒板だ。学校? そうだ、学校。世界史のテストで散々な点を取ったおかげで、放課後にシャンクス先生とマンツーマン補習をしていたはずだ。それで、これはどういう状況かしら。私もしかして、昨日の夜更かしが原因で居眠りして、た? え!?

私が必死に状況処理をしている間にも、シャンクスの大きな手が私の髪をゆるりと耳に掛け、そのまま親指と人差し指で、形を確かめるように耳たぶを愛撫される。ちゅう、とまた唇をぴったりと隙間なく合わされて、食べられてしまう、そう思った。んん、と洩れた音は鼻にかかって、自分が発したものとは思えないくらい悩ましく甘ったるい。学校でこういうことしないって約束したのに。先生と私が恋仲だっていう大きな大きな秘密を、誰かに知られてしまうかもしれないじゃない。
シャンクスの唇がじれったく離れていく。

「…寝てんなよ、赤点ちゃんめ」
「…、は、」

たった数秒の口づけで、酷く息が上がっていた。頬が熱いからきっと顔が赤いんだろう。至近距離にあるシャンクスの瞳をぼうっと見詰めていたら、大きな手の平が頬をするりと撫でた。心地好さにきゅっと目を閉じる。心臓がどきどき、恋をするような音を立てていた。

「せっかく補習してやってるのに、居眠りなんてしょうがねぇ奴だ。次やったら舌、入れるぞ?」

びく、と甘い声に肩が震えた。体の真ん中を突き抜けたのは苦しいくらいのときめきだ。見詰められて目を逸らす。溶けて、しまう。

「ふつ、に、起こして…くださ…誰か来ちゃったら…」
「誰も来ねぇよ、放課後に、わざわざこんな4階隅っこの社会科教室なんかまで」
「でも、だって、こわい…」
「ばれるのが? …お前は心配しなくていい。おれだって考え無しにやってる訳じゃねェよ」

大丈夫、って頭を撫でられて、本当に大丈夫な気がしてしまうから困る。チョークの粉に白く汚れた大好きな先生の黒いスーツから大好きな匂いがふわふわ漂う。視線を俯かせると、ノートに歪んだ文字が並んでいるのが見えた。眠気と戦いながらも書き取ったのだろう。カルディア、ユダにて、神殿破壊。眉をしかめたくなる。いくら愛しい先生の担当教科と言ったって、片仮名も国名も宗教も、もうたくさんだ。性に合わない。

「…私、やっぱり勉強出来ないよ、せんせ。家庭科と体育しか点数取れないもん。進学出来ないなあ、就職とか、かなあ…」
「このままの成績じゃそうなるだろうな。…そんな顔するなよ、いざとなったらおれが嫁に取って養ってやるから」

私はゆらりと先生を見上げる。跳ね上がった鼓動を隠すように口調のテンポを遅くした。

「…ねえ、私もう結婚出来る年です。からかってるなら今すぐ冗談だって白状して」
「ばぁか」

赤く染まった空と茜色の教室。すぐさま返された言葉に驚く私の頬をムニと摘まんで、私の好きな顔で、あまりに綺麗に笑う。誰にも告白出来ないけれど、好きになる人を、私は間違えていないなぁと思った。

「…はやく卒業しろよ、ヒロイン」

額に口づけられる。熱っぽい眼差しに、私は頷く他なかった。許されないこの恋心だけひたむきに貫いて、時が来たらお父さんとお母さんに話して、荷物を持ってシャンクスのところに行く。きっと世界一幸せにしてもらえるんだろう。愛しい人が「先生」ではなくて、「旦那さま」に変わる。はわ、あ。

「ど…どうしよう、それじゃあ私、お嫁さんになるんですか? シャンクス先生の?」

若い世界史教師は、高揚する気持ちを抑え切れない少女にふと柔らかく微笑むと、小さな頭をぐりぐりと撫でて言った。先生としてあるまじき赤い髪が、きらきらして、眩しかった。

「次赤点取って留年しないよう、頑張らなきゃな、ハニー?」
「…!!」

たちまち顔を引き攣らせる私に親愛なる未来の旦那様は、呑気なまでに大きな声で楽しそうに笑うのだった。


第一志望就職先/20100514